2 クリスマスツリー side倖智花

定時で仕事を終えた私は、クリスマスツリーを見るために、一人でこの広場にやってきた。


一目見たら帰ろうと思っていたのに、この大きなクリスマスツリーの前から離れることができなくなっていた。

4年前。このツリーの前で彰に告白された。


「来年も一緒に見にこよう」


そう言って、二人で手を繋いで大きなクリスマスツリーを眺めた。

それから、毎年12月になると二人でここに来た。


私たちは喧嘩をすることもあったけれど、その都度仲直りもしたし、互いに大切に思っていた。

もちろん愛し合っていた。

双方の両親に挨拶も済ませて、このまま結婚すると疑いもしなかった。・・・あの日まで・・・。






   ***



あの日。

屋外のうだるような暑さとは反対に、寒いほどエアコンがきいた喫茶店の片隅で、彰は頭を下げていた。

彰は眉間に皺をよせ、苦しそうに別れを告げ、何度も謝った。


「好きな人ができた。別れて欲しい」と。


私も知っているその人には付き合っている人がいるらしく、彰の完全な片想いだった。

付き合ってもいないなら別に別れる必要なんてないじゃない?


別れたくなかった私はそう言ったけれど、真面目は彰は首を振った。

「他に好きな子がいるのに智花と付き合うような真似はできない。

俺、智花のこと大好きだから、大切だから、こんな気持ちでこれ以上一緒にいられない。結婚・・・できない」



喫茶店から出ると、蝉が大音量でないていた。






   ***



季節は冬になった。

別れて4ヶ月たったが、まだ彰のことが忘れられない。



今日、彰は彼女との交際を公にした。


営業部に書類を持ってきた彼女を、彰が下の名前を呼び捨てにして呼んだのだ。

総務の彼女は入社2年目で、その可愛らしさから男性社員から人気が高かった。

周囲の男性社員は悔しがり、二人は恥ずかしそうに見つめ合い、微笑み合った。


彰が名前で彼女を呼び止めたのは、うっかりなのか?それとも故意なのか?

頭のいい彰のことだ。きっと男性社員に対する牽制に違いない。



彰と私は、会社で付き合っていることを隠していた。同じ営業部の同期。周囲に気を遣わしたくなかったから、必要以上に一緒にいたりするようなことはしなかった。そして、私たちが付き合っていることも、別れたことも、気付く人はいなかった。


同じ営業で働いた7年間。付き合った3年半の間。

彰が職場でうっかり私のことを「智花」と呼んでしまうことは、1度もなかった。


だから、彰とあの子が付き合いだしたと聞いた時、胸が深くえぐられる痛さを感じた。

苦しすぎて、息ができない。



居た堪れなくなった私は、スマホが鳴ったふりをして、営業室から出て行った。

営業室から出る瞬間、ちらりと彰に目をやった。

彰の隣にいる彼女と一瞬目が合った気がした。

でも・・・・彰が私の方を見ることは・・・なかった・・・。






   ***



昼間の出来事に思いを馳せていたら、突然、肩をポンと叩かれた。


彰!?


優しく肩に手を置く彰を見上げ・・・前野君だ・・・。


私の肩に手を置いているのは、営業部の後輩の前野君だった。

彰では、なかった。




「大丈夫ですか?」

と心配そうに私をのぞき込んでくる。


彰じゃなかった・・・。

当たり前のことだ。

彼女と交際宣言した彰が思い出のツリーになんて来るわけがない。

分かってる。もう終わったって分かってる。


前野君に『大丈夫だよ』って言わなきゃ。心配そうな顔して私を見ている。

『あまりに綺麗でボーっとしちゃってた』って笑わなくちゃ。



「・・・だい」

声を出すと、目の前が滲んだ。

ツリーに飾られた豆電球が、ぼやける。

ヤバい!

泣いてしまう!

慌てて下を向いたが、一度出てきてしまった涙を止めることができなかった。




会いたい・・・彰に会いたい・・・。

もう一度好きだと言って。

触れて。

抱きしめて。

会いたい。

会いたい。

会いたい。


・・・・彰・・・・。



目の前に前野君がいるのはわかっているけど、彰への想いが次から次へと溢れてくる。止まらない。




「倖さん」



前野君が私の名前をよんだ。





急に目の前が、暗くなった。

頬にふんわりとしたダウンコートの柔らかさが押し付けられる。

背中に大きな掌の感触が伝わる。

もう片方の掌に後頭部を包まれ、温かいと思った。

同時に、前野君に抱き締められていると分かった。



「ま、前野く」

「冷たい。倖さん、めちゃくちゃ冷たいよ。ちょっとごめんね」


謝った前野君は背中から回したいた手を放して、少し私から離れた。

前野君の手は、彼のダウンコートのチャックをさっと下までおろし、私の両手首を掴んだ。そのまま自分の背中に引き寄せ、スーツとコートの間に私の手を引っ張り混んだ。そして、広げられたコートごと、抱き締められた。

一瞬で、私は前野君のコートの中にいる。


前野君のスーツごしに彼の体温が、両手に、頬に伝わる。

大きな掌で背中を擦られる。


「うわあ、冷えまくってるじゃん」

「ちょっ、あのっ、前野君」


動揺する私に

「じっとして!」


「俺、こんなに冷たくなった倖さんを、ほおって帰ることもできないし、隣に座って泣いてるのをみてることもできません。俺、温めますから。大人しくこのまま泣いてください。」



「泣いてくださいって。そこは泣き止んでじゃないの?」

「泣きたいときは泣けばいい。けど、このままじゃ風邪ひくよ」

「フッ。変な人」

「ごく、たまに言われます」


前野君はごしごしと背中を擦ってくる。


「大丈夫だよ、泣いてないから」

「は?めっちゃ泣いてたじゃん」

「いや。もう泣き止んだ」


少しだけ体を離してのぞき込まれる。

「あ。本当だ」

もう一度抱きしめて、背中をごしごしされる。

「あの。泣いてないって分かったよね?」

「はい」

「えっと、離してもらえるかな?」

「もう少ししたら」

「えー」


前野君はずっと背中を擦ってくる。


「暖かいですか?」

「・・・うん」

「ほら、手、しっかり背中に回してください」

「いやいや、冷たいから」

「冷たいから回すんですよ、ほら」

「うー」

「照れない。俺だって恥ずかしいんです。温まるまでだから。ほら」

「ふっ・・・はい」

そっと背中に手を置く。

頬が胸に押し付けられる。

・・・温かい・・・。

目を閉じると、鼓膜から前野君の心臓の音が聞こえた。

背中に回した掌から熱が伝わる。


閉じた目から再び涙が溢れてくる。

「あったかい・・・」


前野君のご厚意に甘えさせてもらうことにして、そのまま少し泣かせてもらおう。

前野君は私の肩が震えていることに気が付いただろうか?

前野君は何も言わずに、ずっと背中を摩ってくれている。




  **



「ごめん。泣きすぎた」


私の涙と流れた化粧品でドロドロになってた前野君のスーツをハンカチで拭きながら謝った。

「気にしなくてもいいですよ」

「そうもいかないよ」

「どうせ安物です」

「・・・前野君」

「?」

「いいやつだね」

「よく言われます。でもそれ、失礼だからね」

「?」

「いい奴止まりってことでしょ?男としてどうなんだって話ですよ」

「あははははは」

「その笑いは肯定を意味してますよね」

「あははははは」

「怒りました」

低い声で言われ、慌てて前野君の顔を見る。

「え?ごめん!」

ちゅっ。

左目の横にキスされた。

「!?」

驚く私と対照的に、にやっとちょっと悪い顔をした前野君は

「これで許してあげます」


私はボッと顔が熱くなった。

そんな私を気にすることもなく、ベンチから立ち上がってダウンコートのファスナーを上げる。

「さ、帰りましょうか。家どこですか?」

「く、楠町」

「俺、江原だから通り道ですね」


一緒にタクシーに乗って家まで送ってもらった。

途中で、前野君が「なんかあったら連絡してください」とラインを交換させられた。


「なんかって?」

と尋ねると、

「泣きたいときとか、笑いたいときとか、これ誰かに言いたいってことがあったときとか」

「これ誰かに言いたいってどういう時?」

意味がわからなくて小首をかしげ、隣に座る前野君をみた。


前野君は二重の綺麗な目をいつもより少し大きくして『わからないの?』と言いたそうに、驚いてみせた。


「えー。そのままでしょ?こう・・・例えばですけどね。

自動ドアの前で立ち止まって開くのを待ったら押すドアだったとか。かっこつけて歩いたら段差につまずいたとか。1階に降りようと思ってエレベーターに乗ったら上行きで、用もないフロアに降りて一周するはめにあうとか。きれいな夕焼けをみたとか」

視線を少し上にしながら例をあげた。きっと、自分のした『誰かに言いたいこと』を思い出しているのだろう。そう思うとおかしくてつい笑いだしてしまった。


「あははははは。前野君そんなことあったんだ」

「例えばですよ、例えば」




タクシーの中で、前野君は泣いていた理由を聞いたりしなかった。


前野君と仕事以外の話をしたことは、ほとんどなかったのに、会話が続く。流石、営業部若手ナンバーワンだと思った。


そして、タクシーの中で、ずっと手を握られていた。

その大きな掌は暖かかくて、心地よかった。





お礼を言ってタクシーを降り、マンションに入る。


鞄からスマホを出し、前野君に

「ありがとう」と「おやすみ」

のスタンプを送った。すぐに

「ぐっ」と「おやすみ」

のスタンプが却ってきた。




同じ営業部だったけど、あまり話したことのない後輩が、予想以上にいい奴だっと知った。






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