第3話

 宮殿の中にはわたくし専用の部屋がございます。先ほどまでいたのは、王弟ゲオルグ様の御部屋でございました。この宮殿に起居するのは王族以外ありえないことなのだそうですが、わたくしは陛下の特別のご寵愛あって、宮殿に起居するのを許されているのです。

 わたくしは十八の歳より陛下のおそばに侍っております。そこで身も心も懇切丁寧に育てられて……ええ、本当に。手取り足取り、身体の奥の奥に至るまで……。それでこのような女となったわけです。酔っぱらいの父が博打の末に大借金を背負い、王宮にわたくしを売ったのです。売られなければ、ユストゥスだけを想って清らかな女として生きられたのでしょうか。

 わたくしは寂しがり屋でして、国王陛下が御忙しかったり、王妃殿下のご機嫌を取っておられたりして一人残されたとき、どうしてもいてもたってもいられなくなることがあります。

 そんな時は、お気に入りのティーカップを眺めたり、アクセサリーの数を数えたりするのですが、たまに廊下や王宮のお庭で男の方とすれ違うことがございます。

 淋しそうだな、慰めてやろうか。そう仰いながら、殿方たちはわたくしの身体を好き放題にするのです。抵抗など考えもつきません。最初は心が冷えましたが、陛下よりもあまりにお優しくお上手な殿方ばかりだったので、身も心も許して高みにあげられてしまいました。でも後で裏切られる。殿方に失望し、絶望し。そんな自分が恥ずかしくて本当に嫌で、好色な女になることにしたのです。

 たしか、何人でしたっけ……取りあえず数えきれないほどの殿方を受け入れました。

 どうせユストゥスは戻ってこない。そんな気持ちもありました。彼でなければ、国王陛下とて、物の数ではございません。

 ともかく、わたくしは自室に戻り、「うひゃひゃ」と変な笑い声をたててしまいました。

 ユストゥスと結婚できるといいます。わたくしの叶わなかったはずの願いは変な形で叶おうとしておりました。

 落ちつくために、バスタブを侍女に用意させました。温かいお湯につかり、二人の男性を相手にした痕跡をぬぐい取ります。

 つん、とわたくしの愛する梨の香りが漂ってきます。お湯に香水をいれているのです。

 お湯からあがると、同じ梨の香りの香水をつけて、濃い桃色のローブ(ドレス)を纏いました。

 少しのんびりしていると、やはり物寂しくなってきて、廊下に出ました。階段を降りて、庭へと向かいます。ちょうど庭にはまったく人が居りませんで、わたくしはゆっくりと過ごすことができました。

 王宮のお庭には噴水がございます。わたくしはそれが好きで、ひと息つきたいときは噴水を見るのです。

 もう気づけば夕暮れ近くになっておりました。朱色に染まりつつある空に、水がきらきらとシャンデリアの光のように輝いております。

 ぼんやりしていると、足音がしました。わたくしに御用のある殿方かもしれません。ユストゥスのことを聞いてしまってから、わたくしの貞操はどうでもよいものではなくなっていました。少しその場を離れようとしました。

 念のために振り向くと、白い絹に銀の刺繍のしてある上着(コート)とベストを身に纏ったすらりと背の高い方が、颯爽と従者を何名か引き連れて歩いておりました。

 長めの前髪を左で分けた黒い髪。白絹のように真っ白な肌。天青石のような瞳。

 ごくりと息を飲みました。大人になったユストゥスでした。ユストゥスで間違いありません。

 わたくしはすれ違いざま、彼のほうへ走ってゆきました。

「あの、ユストゥス? ユストゥス・フォン・リヒターフェルト様?」

 ユストゥスが顔をこちらに向けます。おや、と彼は微笑みました。

 ああ、ユストゥスがいる。そう思ってよろよろと吸い寄せられるように近づきましたが、彼は首を傾げながら、尋ねてきました。

「すみません。ご婦人。私はずっと僧侶をしておりまして、ひょっとしたらお名前を失念しているかもしれません……」

「……」

 わたくしは少なからず衝撃を受けました。ユストゥスがわたくしのことを憶えていないなんて。

 なので、すぐに名乗ることにしました。

「あの、あなたさまに小さいころお世話になった、ツェツィーリエです。ツェツィーリエ・フォン・ロートシュタット……」

「……」

 彼は困ったように目を細めました。

「申し訳ございません。確かに同名の人間は知り合いにいましたが、何年か前、十八歳で亡くなったと聞いています。ひょっとして、ツィリーの同名の御親戚の方でしょうか……?」

 そのツィリーです、ということはできず、居た堪れない気分になりました。

「リヒターフェルト侯爵殿下! 税収入の案件で、国王陛下が……」

 誰かが呼んでいます。

「今、参ります」

 ユストゥスはそう答えました。わたくしがいながら。わたくしを目の前にしていながら。

 そうです。わたくしは昔に比べてしっかり化粧をしていて、髪も結い上げていて、まるで別人でした。

 失礼、とユストゥスが去ると、わたくしは地面にうずくまりました。

 そして、うずくまったまま、笑い転げて泣きました。

 ユストゥスがわたくしを認識できないということが、こんなにつらいとは思いませんでした。

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