ちぐはぐな世界の片隅で 風の行方を嘯いて

劣白

プロローグ『チグハグな私』

 水平線の彼方へ続く未知。

 真っ暗な路地裏の向こうから訪れるのは見知った香り。

 ああ、今日は天気だったなぁ……


「あれ?」


 窓には空耳。架空の空に、空っぽの空き缶。

 そっと一瞥。歩き出すのは誰だったか。記憶にあるのは彼女か、それとも走り出すのは自分から。

 黄昏た部屋に、壊れたからくりが孤立している。まるで美術品のような、神秘性を孕んでいるそれを、ガラスを扱うように、優しい手つきで触れた。


「あれれ?」


 革命前夜。広がった星空の下で、私たちは巡り合った。奇跡的な出会いに、果たしてどんなカルマがあったのか。


「聞こ……ま……か?」


 虹の彼方へ流れる鴉。祝福の鐘が鳴る時、警鐘の合図でもある。


「私の声が聞こえますね?」


 この手を離すもんか。

 絶対に。例え、この身が朽ち果てようとも、私は貴女と。


「思えばあの時から。私は間違っていたのか、それとも晦冥か……」


 思えばあの時から。狂っていたのは私だった。執着していたのは現実だ。

 それでも……


「それでも?」


 冷たい風を帯びて沈む夕陽。

 隣に座っていた貴女を、私は受け入れた。

 ひっそりとした車内で、左利きの言葉。歯の浮くような台詞。その目に灯す。

 真っ暗な駅の終点にはナニがある?


「私は私? 貴女は貴女? だよ?」


「戻れない」


 七面鳥を囲んだパーティ。鼻腔を擽るのは焦げた匂い。

 円卓を囲んだ機械。ネジを巻いて動く仕組みだなんて思わない。私にとっては家族同然だ。


「乾いた絵画には何が描かれているのか」


「もうすぐ会えるから、私は目を閉じる。きっとそこには望んだ未来が在る」


「変わらない日常」


「変わらない光景」


「変わらない人々」


「変わったのは――」


 死とは偽りである。それゆえに望むが、自己満足でしかない。






 ここは千年都市。大空には幾つもの光の結界が張り巡らされ、人類の希望のように煌めいている。それは数人の高位な魔術師によって編み出され、恐らくこの世界で唯一の安全都市だ。

 街並みは一言でいえば荒廃している。かつて人間という人類が創り出したであろう建物が幾つも佇立しており、それらは有効的に活用されているが、まだまだ廃墟都市の面影は残っている。

 ジグザグの脅威から逃れるために弱者は強者に縋った末に、必然的に形成されたのが千年都市の実態であり、それ故に人口が単純に少なく、放置された土地が多いのだ。

 つまり、必然的に形成された集落のようなもので、そこに法律も何もないのだが、一応高位な魔術師たちが指揮を執っているので、最低限の治安は維持されている。


 そんな千年都市の端っこ。ジグザグが現れてもおかしくはないくらいの辺境に暮らしている私に、会いにくる馬鹿がいる。


「オーリー! またこんなところで不貞腐れているのか? ってか痩せたか? そろそろやばいぞ? 俺はエムサイズだけあってMサイズだが、お前はSサイズもないぞ? 何を食ってるんだ?」


「雑草」


「草食動物か!? いくら魔人の身体が頑丈だからって、そんな生活を続けていると本当に死んでしまうぞ」


 真っ黒な外套を被った彼の名前はエムサイズ。

 定期的に私に会いにきては揶揄ってくるような仲だが、その関係に合う言葉が見つからない。家族と言われれば絶対に違うし、友だちというやつでもないだろう。

 私は彼に対して好意は持っていない。寧ろ嫌いである。私より魔術の才能に恵まれ、のほほんと笑っている彼が嫌いだった。私を気にかける優しい彼が嫌いだった。

 酷い嫉妬だろう。客観的に見ても自分は酷い。その事実が更に私を追い詰めて、出口のない闇へと誘う。


「さては自己嫌悪してんな。はげるぞ?」


「放っておいてください。髪なんて有っても無くても――なんでもないです


 そういえば、エムサイズのフードの下は髪がないんだった」


「おい、聴こえてるぞ」


「冗談ですよ」


 なるべく嘲笑うかのように答えると、エムサイズは呆れたように溜息を吐いた。


「あー、実はな、今日は用事があって来たんだよ」


「用事? 死に損ないの私に?」


「ツッコまないぞ……これ、知っているか? 最近、街で配られているやつだ」


「なにこれ? 石? いや、魔力が込められた……広告の魔法?」


 エムサイズから渡された石を手に取ると情報が脳裏に流れ込んでくる。視覚や聴覚を頼らない、直接脳に叩き込まれる感覚に少し喫驚してしまう。

 初めての経験だったが、これが広告の魔法というものだろう。無能な私には仕組みは分からないが、便利な魔術だと素直に感心した。


「で、これがどうしたんですか? 仕事の求人だなんて持ってきて……」


 脳内に流されたのは仕事の説明だった。いや、判明したのは募集中ということと、怪しげな高賃金ということ。キャッチフレーズは『君こそが勇者だ!』という胡散臭い、謎のワード。内容が不明瞭だろう。

 こんな怪しすぎる仕事を私に見せて、エムサイズは何を考えているのだろう。


「いやー実は受かっちゃって」


「そうなんですか? 良かったじゃないですか」


 私は平坦な声で答えた。

 お金に目が眩んで得体の知れない仕事を受けるなんて馬鹿か。絶対に騙されている、と警告しようかと思ったがエムサイズと私は他人だ。

 そんな義理もないだろうし、何もかもが億劫だ。

 彼が勝手に私を救おうとしているだけで、私は何の関係もない。エムサイズがどうなろうとどうでもいい。

 逡巡とする気持ちに折り合いをつけていると、エムサイズは満面の笑みで私の肩を叩いた。


「ほんとラッキーだよな! おまえ!」


「……?」


「なに惚けてんだよ」


「いや、え、どういう……」


「だから受かったのはオリ。おまえだって」


 エムサイズの言葉に、頭の中は疑問で埋め尽くされ、きっと私の顔は間抜けに違いない。それほどまでに衝撃的で、理解不能だった。


 一体、何が起こっている? 存在しない記憶? 夢遊病だった? それとも何かの魔法を掛けられた?


 エムサイズは諭すように混乱する私の肩に手を置きグッジョブ――


「良かったな! オレが応募しておいて!」


「……貴方の所為じゃないですかっ!」


 どうやらエムサイズは勝手に私を装って応募したらしい。

 思わず、声を荒げてしまったが、手を出さなかった私は豪いだろう。褒めて欲しい。


「私は働きませんからね。絶対に」


「オリ……働かないと生きていけないぞ?」


「なら働きません。このまま餓死でもします」


「センチメンタルなのはいいけどさ、そろそろオリも見つけないといけないだろう? 生きる意味ってやつを」


 珍しく真剣な表情で語るエムサイズ。きっと、いつものように格好づけただけだろうが、図星だった私は迷い俯く。

 分かっている。このままじゃ駄目だって。

 生きる希望も、死ぬ希望さえもない中途半端な私だけれど、いつかは立派に胸を張れるのだろうか。


「怪しい仕事ではないから安心しろよ。その求人を出した主はルナらしいぜ!」


「ルナ?」


「まさか知らないのか? この千年都市を形成する高位な魔術師の中でもトップクラスの実力を誇る人だぞ! オレ、何回もおまえに教えたよな!?」


「言われてみれば聞いたことあるような……?」


 普段、私は街に出ない上、ずっと廃墟と化した家でぼんやりとしているだけだ。耳にしたことがあるとすれば、偶に来るエムサイズとの会話での出来事だろう。

 エムサイズには基本的に上の空で対応しているため、憶えていないのに納得だ。


「いや、聞いていないとは思っていたが、まさかここまでとは……オリにはきちんと常識を身に着けて、未来を歩んで欲しいんだがな」


「ふーん……取り敢えず、これは返します」


「おっと、っておい! どこにいくんだ!?」


 戸惑いを隠せない彼を横目に、私は身体を翻した。

 そして、視界に映るのは血の様に真っ赤な夕焼け。それは皮肉にもいつものように世界を照らしていた。


「どこでもいいでしょう?」


 私は振り返らずに、逃げるようにその場を後にする。

 が、手を掴まれて遮られる。


「今日という今日は絶対に連れて行くぞ。せっかくのチャンスなんだ」


「はぁ……分かりました」


 無駄な抵抗はしない。

 体力を使いたくないのもそうだが、何よりも私ではエムサイズに太刀打ちできないのだ。

 今、ここで全力疾走で逃げたとしても数秒で捕獲されるだろう。


「うむ。うむ。なら素直なのはよろしいぞい」


「死ね」


「その辛辣さはジグザグにでも向けるんだな。と、取り敢えず付近の街へ飛ぶぞ」


 エムサイズがキメ顔でそういうと周りの風景ががらりと変わった。

 自分の身体を駆け巡る魔力の反応があり、周りには微かな光。魔力が生じた際に発生するプラーナ光である。

 つまり、これは転移魔法だろう。

 仕組みとしては簡単なため、誰でも覚えられる初級魔術の一つだが、色々と制約があって問題が多いらしい。詳しくは知らない。


 目の前に広がる光景は街だった。

 今にも崩れそうな家が佇立し、瓦礫があちらこちらに放置されている中、人々は生きている。

 死んだように蹲っている人、街頭の下で会話を楽しんでいる人、何かの屋台で商いを行う人。

 過去に来たことがある場所だが、以前よりも活気があるような気もするが、どうなのだろう。


 疑問に思い、エムサイズを見上げると彼は道行く女性の胸を凝視していたため、とりあえず股間を蹴り上げておく。


「いってぇな! 何するんだ!」


「はて? どうかしましたか?」


「くっ! おまえってやつは……いいか、男にとって美女はエーテルと同じなんだ! どれだけ接種しても気持ちいいんだよ!」


 本能が警鐘鳴らし、身の危険を感じた私は一歩後退る。


「おいおい、お前の貧相な身体にこのオレが欲情するわけないだろ? 何度も言うがオレのタイプはルナみたいなクール系だぜ?」


「初耳ですけど?」


 エムサイズが指した先には張り紙があった。

 魔法によって投影されているのは女性。白銀の髪を棚引かせ、血のような赤い瞳でこちらを見下している。凛々しい顔立ちで、女性の私から見ても美人だと分かる。

 彼女がルナという人物なのだろう。想像通りで、確かに千年都市のトップと言われても納得できるような風貌をしている。

 因みにエムサイズが凝縮していた女性とルナの共通点はどちらも巨乳である。


「ま、ルナのところへ向かうか」


「面識あるんですか?」


「おう! 一方的にな!」


 なんだか不安になってきた。


「ルナは千年都市の中心にある城に住んでるらしいぞ」


「中心って?」


「ああ! めちゃくちゃ遠いから魔導列車を使うつもりだ。流石に都市の中心に転移できるほどの魔力は有していないからな!」


 やはり転移魔法というものは使い勝手が良いものではないらしく、エムサイズは苦虫を嚙み潰したような表情で言った。

 

 てくてくとエムサイズの後ろを歩き、やがて駅へと着いた。

 辺境の町なので小さな駅だったが、どこか見覚えがあり、無意識にネックレスを握り締める。


 ああ、私はここに訪れたことがあるらしい。それも親と一緒に……

 だけど、その記憶は朧げで、とりとめないものだ。親との会話すら思い出せない……


「どうしたんだ? あっ! お金のことは安心しろよ? 給料が出たら返してくれ。もちろん、十倍でな」


 最後の一言はエムサイズなりの冗談だろうが、物思いに耽っていた私からすれば拍子抜けする発言であり、白い目で見てしまう。


 それからエムサイズが切符を買い、ホームで待っていると、列車はタイミング良く到着した。

 魔導列車とは、その名の通り魔力で動いているが、元はからくりであった代物らしい。それ故に随分とからくり風味な風貌をしており、人類の敵であるジグザグを彷彿させる。


「それじゃあ乗るか」


 辺りに舞っているプラーナ光を手で払いながらエムサイズは乗車する。

 私は気が進まなかったが、ここまで来て引き返そうとも思わない。溜息を吐いて、仕方なく乗車しようとした――刹那


「ニャにゃにゃ!」


「はっ?」


 何処からか飛び出してきたのは猫。のように見えるが、どこかからくりっぽいそれは私のネックレスを盗って駅から飛び出していく。

 一瞬、唖然としてしまったが、直ぐに湧いたのは焦り。あのネックレスは唯一の親の形見なのだ。

 どうして盗まれたのか? それも猫なんかに?

 パニックを起こしつつも、私は取り返そうと走り出した。


「あっおい! 待て! ってちょおおおおお! 列車さんー! 俺だけ出発しても意味ないぜー!」


 列車が発進したようでエムサイズが叫んでいる。

 これではエムサイズに頼ることができないので、自分で対処するしかない。

 私は駅から飛び出した。


 そして人目を気にせず、全力疾走。

 必死に猫を追いかけていると尻尾が路地裏に消えていくのが見えた。


「はぁはぁ……どこに行きました……? お願いだから返してください……」


 こんなにも体力を使ったのは久しぶりだ。

 自分の運動不足さ加減に嫌気を差しながら、落ち着いて息を整える。

 立ち眩みのようにぼやけた視界の中、猫の姿を探していると何かを踏み抜いてしまったような感覚。

 すると、プラーナ光に包まれた。

 突然の魔法に吃驚するが、声を出す暇もなく視界が光に包まれた。


 やがて、景色が変わった。

 路地裏に居た筈なのに、目の前に広がっているのは広い部屋。長い机の上には本や液体の入った瓶が散らかっており、見たこともないようなからくりが部屋の至るところに設置されている。


 これは、また転移魔法か? いや、それにしてはエムサイズが使った転移魔術とは違った感じがした。


 私が思考を巡らせていると、背後から物音がして振り返った。


「ふむ、どうやら成功したらしいな。はじめまして、私の名前はパソコン。一応、オリの雇用主となる予定の者だ。よろしく」


 背後には椅子に座った謎の人物。

 地面まで垂れた乱雑な漆黒な髪に、珍しい真っ白なローブのような服。ぐるぐるとした厚いレンズの眼鏡を掛けており、膝の上には忌々しい盗人の猫がごろごろと喉を鳴らしていた。

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