煉瓦造りのホテル

緑みどり

ホテル

 ナミは甘ったるい倦怠感の中に、時々不安がよぎるのを不思議に思った。

 夏休みはほんの三日前に始まったばかりだ。課題は進学校という名目のもとでどっちゃりと出されたけれど、そんなのはどうだってよかった。それにコウスケくんのことだって……。親友の亜美の話す、『最近の推し』のことだって—亜美にはどうやら好きなひとがいるらしく、聞いているナミの方まで楽しい気分になるのだ—。

 ぎゅっと目をつむった。蝉がうわんうわん鳴いている。

 再び目を開ける。

 目を開いた先には藤の花が咲いていた。ナミはその下のベンチに仰向けになって横たわっている。

 肩は微かに上下し、しなだれた素足のつま先がぴんと張る。


 なんの不安だろう。

 そっと自問してみた。片っ端から考えてみるけれど、どれも答えになりそうにない。卒業後の進路のことや気になっていた男の子のことや、シャネルやディオールのリップがナミの若い心をどれだけときめかせるかということ、明日起こるかもしれない地震のこととか……。ナミの関心をひくようなものはない。今は素晴らしく美しい夏で、それらすべてから遠く離れた場所にいるのだ。


 しばらく藤棚の日陰で空虚な感覚に酔いしれた後、体を起こしてベンチから立ち上がった。めまいがして、色づいていたはずの世界が無彩色になり、蝉の鳴き声が耳の奥で屈折しながら遠ざかってゆく。立ちくらみがした。


 中庭からホテルの薄暗い一室に戻った。室内はシンとして散らかっている。半開きのカーテンや、ベッドの上に放りっぱなしの洋服。一度も開いていない文庫本。壁にかかったアルフォンス・ミュシャのポスターは斜めっている。そろそろ片付けなければならなかった。


 この部屋にはルームサービスが来ない。だから掃除だって自分でする。掃除道具のしまってある場所も知ってる。スタッフしか立ち入れない地下室東側の部屋。洗濯は一階のランドリールームで。たまに下着泥棒が出没するので、洗濯する時は終わるまで待っていなければならない。白いプラスチックの椅子で、本を読みながら待つ。壁も床も洗濯かごも、ドラム式の洗濯機まで、何もかも真っ白な部屋で、「アンナ・カレーニナ」やアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」、「赤毛のアン」シリーズを読む。そうすると、白い壁がロシアの雪原や、遠い異国の大海原に変わる。


 朝食と昼食は母とホテルの屋上で取る。随分豪華な食事風景を想像するかもしれないけれど、実際はそんなことない。森の中に建っているので、屋上から見える景色も木の幹や、青い葉の表裏、駐車場くらい。テーブルだって、古びて錆がかったアンティーク調のもの。椅子は母とナミとお客さま用の三脚だけ。だけど、朝食中に見る朝日は、なかなかに綺麗だし、森の新鮮な風が頬を撫でてゆくのは心地よい。


 雨の日や夜は、ホテル付きのレストランで、また母と一緒に食事をする。近くに併設されたプールで泳ぐことだってできる。

 このホテルに連れてこられてから、随分無為に過ごしている。


「来なさいよ。来年は遊んでられないでしょ」

 夏休みが始まる少し前、母が無責任にそんなことを言った。

「いやだよ。あそこ何にもないでしょ。どこ行くにも車が必要なのに運転できないんだもの」

 ナミが口を尖らせて答える。

 母は平然とした様子で、陽光で眩しいばかりのベランダに洗濯物を干している。日焼け止めと朝の美容液だけで塗って化粧をしていない母は、それでも美しい。こうして不意に娘の心を打つほどに。母が着ると、無地のコットンティーシャツだって高級なもののように見える。


 ナミは母のように美しくはなく、平凡な部類に入る。容姿に恵まれていたなら、さぞかし愉快だったろうに、と思う。母はナミのことを、とても可愛いと言ってくれるし、見た目は大して重要ではないと言い聞かせてくれる。それでも、ナミは美人の部類に入る女の子たちが羨ましかった。


 母はさびれた、蠱惑的こわくてきなホテルを経営している。娘がまだ小さな頃からだ。高校生の娘には、このホテルの経営が赤字なのか、それとも黒字なのか見当がつかない。母は計算が得意ではないし、論理というよりも感覚で生きるタイプだから、経営もさほど上手くいってないのだろう。一体どうやって生計を立ててきたのか不思議だ。収入は他にあるはずだった。とにかく、他に仕事をしているにしても、普通の会社員でないことは確かだ。普段は昼近くまで自宅にいるし、数週間も留守にすることだってある。


 夏休みにはこのホテルに来るのが決まりだ。ここに来て、ただのんびりするだけ。ナミはホテルにいるよりも、どこか旅行に行きたい、と言ったのだけれど、聞く耳なしだ。旅行は春休みと決まっている。しかも、春休みは二週間もないのにまるまる一ヶ月旅行に連れ出されるのだから、たまったものじゃない。新学期早々欠席しなければならないのだ。学年が変わって初めて登校すると、ナミ以外のクラスメイトは仲良しグループを作ってしまっている。友達づくりに苦労するのは言わずもがなで、母の身勝手さにはやりきれなくなる。


 車に乗って出かける。窓は全開。母は鼻歌まじりにラジオを聴いている。ナミは白のティーシャツに色褪いろあせたジーンズという、アメリカのティーンみたいな服装。背が高くて、手足が長いので、そんな格好でも悪くない。


 石畳の上、ショッパーを片手に颯爽と歩く。ナミはショッピングの時の、街の活気とした空気や帰りに寄るカフェが好きだった。

母が美容院に行くというので、ナミはその間に気になってるものを物色した。涼しそうなノースリーブのワンピースに白いミュールを買った。他に欲しいものは後で母に買ってもらうつもりだ。出しぬけに立ち止まって太陽の光を浴びる。背中の方にじんわりと汗が浮かんでくる。木陰のベンチに座って、しばし休憩した。木漏れ日が頬を撫でて、幸せな気持ちになる。血液の循環に合わせて、体内にエネルギーが満ちていくような感じだ。


 美容院から出てきた母と落ち合うと、まず買い物にまわった。一夏分の買い物だ。ナミはそんなに欲しくなかったけれど、母が水着を買ってくれた。一緒にホテルのプールに入りたいのだそう。ターコイズブルーのビキニのそれはシックですぐに気に入った。

 本屋にも行った。十作近く本を買ってもらう。夏に打ってつけの本、コレットの「青い麦」と「シェリ」を見つけた。本を抱えていると、とてつもなく幸福な気分になる。新品の紙の匂いのする、本をこれから読むのだという期待感と意気込みで胸が高鳴るのだ。他に、江國香織のエッセイ本と小説と林真理子の「不機嫌な果実」も購入した。


「今年も読み漁るの?」

 帰りの車の中で、母が訊いた。母の運転は静かでそつがない。

 フロントミラーにはサングラスをかけた母の姿が見える。口元が笑っていた。

「無理のない程度にね」


 今年は本の虫になるのではなくて、友だちと花火大会にも行きたいし、小説だって書いてみたい。ホテルの近くを散策をするのもいいと思う。アルバイトなんかもいいかもしれない。

「今日、街にアイスクリーム屋さんがあったでしょ。あの、駅の隣のカラフルなお店。パラソルのある……。あそこで夏休みの間だけ、バイトしたいんだけど……」

「いいじゃない。やってみなさいよ」

 屈託のないセリフ。フロントミラーの中の口元は相変わらず笑っている。

 ナミは一抹いちまつの寂しさ、心細さを感じた。


 四日後にはアイスクリーム屋の面接を受けた。店長は若い女性で、面接は手狭な事務室で行われた。高校生も多いのだという。初めてのアルバイトにとても緊張していた。

 そんな日の昼下がり、ナミと母はホテルの屋上でアイスクリームを食べていた。母は溶けたバニラアイスをスプーンですくいながら、こちらを窺って、何か言いあぐねている。

「会ってほしい人がいるの」

 恋人ができると母はそう言う。きまって満ち足りた様子で。

 内心ギクリとするのだけれど、眉ひとつ動かさず、

「どんな人?」と、興味を示す。


 今年も恋のバカンスがやってきた。母の恋がいつ巡ってくるのか、ナミにはわからない。相手だって様々で、フリーで活動するジャーナリストやヴァイオリニスト、「普通の」サラリーマンだという人、とにかく、彼らが長続きすることはなかった。そういうのが「大人の恋」というものらしい。気づまりではあったけれど、新しい人たちと過ごすバカンスは楽しくもあった。恋人たちはスパイスのようなものだ。母の恋に、ナミは息苦しく感じながらも、それはそれで良いと思っている。自分だったら、大人になっても恋人を取っ替え引っ替えしない。でも、自由で気楽な恋愛があってもいい。

「経営者よ。三年越しの知り合い」

母は躊躇ためらっている。桜色の薄い唇が少しだけ尖っていた。なんだか気弱そうな表情をする。

「それで、恋してるの?」

 ナミは仕方なしに聞いた。いずれ聞く話なのだ。

 母がゆっくりと微笑む。

「結婚するのよ」

 ナミは言葉を失った。

 結婚なんてどうにかしている。そう言ってやりたかった。だってママ、今までずっと結婚してこなかったくせに。気楽な生活を捨てて、結婚なんて義理堅いおままごとを選ぶなんて。

「おめでたいね。私、その人と一緒に暮らすの?」

 ナミは馬鹿に明るい口調を取り繕った。

「いずれはね、同じ家で暮らせたらいいと思ってるの。でもまずはこのホテルで一緒に暮らすわ。ナミだってホテルなら気まずくないでしょう?」

 母が言う。薄い、アーチ型の眉をあげてナミの方を見た。なんだか妙にきっぱりとした声音だ。口を挟む余地はないみたい。

「そうだね」ナミがぼんやりとした笑みを浮かべて言った。「その人、いつから来るの」


 ホテルの部屋に戻って、部屋のカーテンを開けた。電気はつけないまま。

 憂鬱だった。黒い、あいまいな感情が心の奥底でうずいている。どうすればいいのかわからなかった。逃げ場を失ったような、迷子になったような気持ちだ。

冷房のついていない部屋は蒸し暑く、汗でティーシャツが肌にはりついてくる。ピカソの絵になったみたい。ああいう絵画みたいに、線と線が混濁し、色と色が無秩序に混じり合っている世界にいる。


「それで、どうしたの?お母さんが再婚するって?相手は金持ち?ナミに優しい?若い?」

 回線の向こうで、亜美の能天気な声だけが聞こえた。

 友だちの声を聴くと、安心する。夏休みになってから、もうずいぶん経ったような気がすた。本当はまだ一週間も経っていないのに。亜美ははすっぱな感じがするけれど、優しい。

「まだ会ってないの。予想ではね、金持ちだけど若くはないと思う。ママもね、決める前に私に相談してほしかった」

 ナミはベッドの上の、香水瓶をもてあそびながら言う。

「へぇ、私には縁のない世界。ナミのママって自由人だもんね。でもやっぱり、義理のお父さんなんて気まずくない?」

 懐かしい声に目頭がじんわりと熱くなる。

「うん。今度会うから様子見するつもり。亜美の方はなんかニュースないの?」

これ以上話したら泣き出してしまいそうだった。だから亜美に相手に話をふる。そうして、クールを気取った。

「どうだろう」声に笑いがにじむ。「この前話してた先輩がね、一緒に花火に行かないかって。それで思ったんだけど、ナミとコウスケくんも来ない?ダブルデートだよ?」

 もちろん誘いに乗った。亜美にもコウスケくんにも会いたい。呑気で、いつでも自然体でいてくれる人たちに会いたかった。


 ホテルの屋上で母の噂の恋人に会った。五十がらみの痩せても太ってもいない、中肉中背の男だ。日焼けしているが、シミやシワはない。

ナミがレインボーの横縞のタンクトップで屋上に出ると、男は涼しい目をしてテーブルに座っていた。母は白い美しい手を頬に当てて、にこやかに恋人を見つめている。年上の恋人たちは午後一番の白い陽射しをあびて、輝いていた。ナミはけれど、男の額にしわが浮き出ていたのを見逃さなかった。

「ナミ、来て座って。ママのお友だちよ」

 母がゆったりとした声で言う。

「こんにちは」

ナミが軽く会釈して男に笑いかける。目が扇形の線になってなくなる、クシャッとした笑い方だ。

「こんにちは、はじめまして」

 母の恋人はナミの笑顔に、ちょっと動作を止めて、意外そうな顔をする。丁寧な言い方だ。ナミは男の言葉選びを気に入った。この人は、ちゃんと言葉を選んで使っている。でも冷たい人だ。母のように冷たくて自由な人。


 ホテルでの三人の奇妙な同居生活が始まった。母は幸せそうで若々しい。ナミは母とその恋人を避ける。義父は賢明だった。丁寧だけれど、冷ややかな、突き放すような態度を取る。それで、ナミは義父に媚びを売らなくてよくなった。母の浮かれた顔さえちらつかなければ、気持ちのいい人でさえある。


「今度、友だちがホテルに泊まりにくるの。近くで花火を見に行くから」

 週一の三人そろっての食事、ナミが切り出した。


「へぇ、このホテルに泊まるの?」

 母がパスタをフォークでクルクル回しながら聞く。ナミのお皿にはバジルが丁寧により分けてあった。


「うん、ちょっとだけ。いいでしょ、ママ。私だって友だちが必要だもの」

 ナミは有無を言わせぬ口調で言う。

 そうした口調は、たとえば半年前にプロポーズして母が断った時や、ホテル経営は二人の共同でするのだと決断したときにそっくりだった。思わず義父が、目を細めてナミを見やるほどに。同じ血なのだ。


 母は特別反対しなかったし、それ以上くわしく聞こうともしなかった。ナミは思わずほくそ笑む。テーブル越しに義父と目があった。微笑をおくる。

母は窓を開けにいっていた。蛾がまいこんでくる。虫の声がきこえた。


 花火の日。久しぶりにコウスケに会った。こんがりと夏色に焼けて、また背が高くなったのだろうか。

会えて嬉しかった。そりゃあLINEでも毎日やり取りはしたし、寝落ち通話だってしたものだ。でも現実で会うのとは違う。生身のコウスケくんは退屈なときに小指を薬指にからめるくせがある。ナミがそっぽを向いていると食い入るように見つめてくるのだって生身の方のコウスケくん。手を握っているときのぬくもりだって枕元の携帯電話よりずっとよかった。

 四人で花火を見て、屋台の食べ物を食べた。ナミは火薬の匂いが好き。つるつると輝くりんご飴が大きすぎてただ眺めるだけになるのも。

 人混みの中ではぐれないように手を繋いだ。コウスケくんの体から発される熱があつい。ナミはくらくらとしながら歩いた。ほっぺたが薔薇色になり、唇は真っ赤になる。


 帰り道、ナミとコウスケは亜美たちとは別れて帰った。2人っきりの夜道で何を話したのかは覚えていない。

下駄のせいでチマチマした歩き方になった。コウスケはそれをからかって笑う。ナミも笑いこけながらコウスケの手を借りて歩いた。キャッと悲鳴をあげ、2人草むらに倒れ込む。バランスを崩したのだ。笑い止まなかった。

コウスケは静かだ。あの長い腕が浴衣の帯にのびてくる。くちびるが不器用に首に触れた。

ナミはもう笑わない。息をつめて、それがなされるのを待った。コウスケがナミの体に触れるのを。


 初体験はナミが思っていたような、深刻なものでは全然なかった。体を引き裂くような痛みとか、出血とか、しびれるような快感とか。声だって自然には出なかった。

ロマンチックでもグロテスクでもない、と自室のカーテンを開けて、伸びをしながら思う。寝汗をかいていた。シャワーを浴びてスッキリしたい。

ああ、でも、と思う。でも、処女を捨てるのって朝のシャワーに似てるかもしれない、と。コウスケのことだってセックスをすればもっと好きになるかもしれないと思ったけれど違った。悪かったってことじゃない。シャワー室で皮膚の上を無数の水滴が流れてゆくのを見ながら思った。でも、なぜか草むらの中で抱かれながら、自分もコウスケも男と女でしかないと悟ってしまったのだ。



 朝の8時からランドリールームのスツール椅子に腰かけて、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を読む。ひとりよがりな夫が妻の浮気をうたがって殺害してしまう話だ。真っ白なこの部屋には似つかわしくない話だ、と思う。

 義父がランドリールームに入ってきた。洗濯をしに来たわけじゃない。片手にコーヒーを持っていた。


「ここにいるのが好きなんです。泊まりにきた人を観察するのが好きで。みんな幸福そうで、寝ぼけた顔をしているから」

 ナミが半分でまかせを言う。


 宿泊客の安堵したような、穏やかな顔つきが好きだった。非日常の空間にいることを思い知れるから。

 だがナミは、もうこのホテルから逃げ出したくなっていた。早く、こんな浮き世ばなれした場所から遠くへ行きたい。制服のプリーツスカートがなつかしかった。ほこりっぽい教室や先生たちの叱る声が。


 義父はナミの持つ文庫本にチラリと目を走らせた。日焼けした肌。わずかに薄くなりかけた髪。額のしわと鋭い目がどこか疲れて見えて色っぽい。ナミはゆっくりと微笑んで義父を見つめた。


「トルストイじゃなくてドストエフスキーを持ってくるべきでした。そっちの方が男性が魅力的だから」


「魅力的?」

 男の目尻にしわが寄る。


「さあ。本当はよく知らないんですけれど。ドストエフスキーの本には破滅的で魅力的な男性がいっぱい出てくるんです。ギャンブラーとかものすごく金遣いの荒い人とか。トルストイのは偽善的でナルシストでいや」


「へぇ」

 義父が温度のない声で言った。

 なんでこんな話をしたのかわからない。いつになく饒舌だ。


 またコウスケと会ってセックスした。今度はホテルの中、ナミの部屋で。コウスケが求めたのだ。


 アルフォンス・ミュシャのポスター、魅惑的な女の人の絵が斜めっている。喉がかわいた。

 もう、コウスケを好きかわからない。人間って不思議な生き物だ。それでも、こうやって会って彼を受け入れているのだから。


 窓の外、義父が中庭の藤棚の下に立っている。シュミーズ姿で半ば口を開いて、外を見つめた。


「どうしたの?」

 コウスケが痩せた背中を起こして聞いた。


「なんでもない。シャワー浴びていい?」




どうして義父と寝たのだろう?母への恨み?社会への反抗?それとも単なる好奇心だろうか?

彼と寝ずにいられなかった。母の男と寝たことを汚らわしいとも思わない。ホテルの自室で服を脱ぎ、手と手を重ね、体を重ね、喘ぎ声をもらした。アルフォンス・ミュシャのポスターの女は夢見るような目をして、裸の義父も、裸の少女も、どこも見ていない。

ナミは女の顔を見てほっとした。義父の裸を見て軽蔑したものだ。もしかしたら、軽蔑するために彼と寝たのかもしれない。いつも仮面をまとったような義父も、裸になれば普通の中年の男となんら変わりなかった。



 恋もセックスも。

 あんなものはなんでもなかった。

ずっと続くと思えたものは泡よりはかなく、呆気なく消えてしまう。コウスケなど好きじゃなかった。義父でさえなんともない。

ナミの心には男にも女にも注ぐ愛情などなかったのだ。ただあどけない残酷さと動物的な欲求だけが残されている。

ほおはあつく、つま先は冷たい。ナミは窓枠に腰かけ、しなやかな足を外にたらした。ひんやりとした風がほおにあたって心地よかった。

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煉瓦造りのホテル 緑みどり @midoriryoku

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