半年(26×28)

 雪が降っている。外はすっかり暗くなり、アンリは部屋の明かりをつけた。

 年の瀬である。この季節は魔獣の活動もそれほど活発ではないため、狩りの機会はそれほどない。今のアンリの仕事は、もっぱら販売品のメンテナンスと新製品の開発だ。この季節に新しい武器を開発し、春に売り出す。


「寒いな」


 掌に息を吐きかけて温める。手を握ったり開いたり。

 もう少しだけ、作業をしてから帰ろう。ナイフを三本研いで、それから。アンリが砥石を取り出したところで、扉がノックされた。


 こんな時間に、誰だろうか。アンリが扉を開けると、ぬっと背の高い偉丈夫が立っていた。


「レオナードさま」

「アンリ」


 肩の上に積もった雪を払いながら、レオナードが微笑みかける。背を屈めて頭を差し出してきたので、彼の頭に積もった雪を払ってやった。


「敬称はいらないと言っている」


 彼は少しむっと唇を尖らせながら、アンリの首元に顔を寄せて抱きしめた。アンリはそれを抱き留めつつ、背中を叩いてなだめる。

 十年ぶりに再会したレオナードは、かなりの甘えん坊だった。アンリがよしよしと撫でまわしていると、頬に唇が降りる。


「キスしよう」

「仕事中なので、ちょっと」


 アンリはそっけないふりで、レオナードを突っぱねた。彼は不満げに眉をしかめつつ、アンリから離れる。


「もう遅い。帰ろう」

「これが終わったら、帰りますから」


 レオナードは「敬語もいらない」と不満を全面に押し出した表情でぶすくれる。アンリはその表情に「もう」と、にやけるのを我慢した。

 かわいい。


「ちょっとだけ、待っていてください。武器を扱うので、離れて」

「はやくしろ」


 わがままも、かわいいものだ。アンリは頬の内側を噛んで笑うのを我慢しつつ、最後の仕上げをほどこした。工房にはナイフを研ぐ音が響き、背後からレオナードの視線を感じる。


「はい、終わりました。帰りましょう」


 アンリがナイフと砥石を片付けた。防寒具を着込んで戻る。レオナードが嬉々として手をとった。

 上機嫌で手を繋ぐ。アンリが顔を赤くすると、「いいな」と蕩けるような顔で笑う。


「帰ろう」


 その表情を見ると、何も言えなくなってしまう。アンリは部屋の明かりを落とし、戸締りをした。

 レオナードは手を引き、歩き出す。


「馬車とか、他の人とかは大丈夫なんですか」

「そこらへんにいる」


 そこらへん。アンリは呆れつつ、「はいはい」と握った手を振る。


「まあ、あなたより強い人なんて、そうそういませんから」


 ぶつぶつ文句を言うトーンで言えば、レオナードは無言でつないだ手をコートのポケットへ突っ込んだ。


「もう」


 アンリは呆れたと言わんばかりに口をとがらせるが、そんな顔をしてもレオナードは微笑むだけだ。


 やがて屋敷に戻り、アンリとレオナードは一緒に食事をとる。

 いつもなら残りの仕事を片付けているレオナードだが、今日はアンリの側にいるようだった。


「珍しいですね」

「そりゃあ、……」


 レオナードは、もの言いたげにアンリを見下ろした。きょとんとそれを見返すと、「気づかないのか」と不満げに目を細める。


「今日で結婚して、半年だぞ」

「え」


 半年。アンリが反芻すると、レオナードは「そうだ」とアンリへ顔を寄せた。


「これを、記念に」


 掌に、小さな箱があった。アンリが恐る恐る開けると、そこには、アメジストのピアスが鎮座している。


 なるほど、とアンリは他人事のように思った。


「あなたの瞳の色ですね」

「そうだ」


 満足げに口元を緩めたレオナードは、すぐにその唇を引き締める。

 アンリの耳に触れて、「もう塞がったか」と呟いた。ピアスの穴か、とアンリはすぐに分かった。

 彼はためらいがちに耳朶を撫で、親指で耳の裏をくすぐる。その心地よさに、アンリはうっとりと目を細めた。


「俺のために、ピアスをまた開けてくれ」

「いいですよ」


 アンリは、二つ返事で了承した。それにレオナードの方が驚いたようで、彼は目を丸くする。


「開けます。ニードルはありますか」


 レオナードは、使用人を呼んだ。すぐにニードルが差し出される。

 それを手に取って、開けてほしいと言った張本人は、「その」と遠慮がちにアンリの顔色を窺う。


「……いいのか」

「はい」


 躊躇わずに頷けば、レオナードは、泣きそうな顔をした。嬉しさを我慢しているようにも、罪悪感を耐えているようにも見える。

 アンリはその手を取って、つんと顎をあげた。


「開けて」


 その言葉に、レオナードの目が見開かれる。やがてじわじわと口の端がつり上がり、喉仏が上下した。


「うん」


 そしてニードルの切っ先が、耳朶に当てられた。


 翌朝、日の出前。起きだしたアンリの両耳には、新しいピアスが二つ光っていた。

 レオナードの瞳と同じ色の、アメジストがはまったものだ。


 隣のレオナードを起こさないよう、アンリは身支度を整える。ピアスに指が伸びかけて、やめた。

 まだ眠っているレオナードの顔をのぞきこみ、思い切って、頬へ顔を近づける。


「レオ、行ってきます」


 恐る恐る、唇で頬に触れた。やっちゃった、とアンリの胸にじわじわと衝動が込み上がる。


「へへ」


 満足感で笑いながら、アンリは部屋を出ようと立ち上がりかけた。腕を掴まれ、ベッドへ引きずり込まれる。


「アンリ」


 レオナードが上擦った声で呼ぶ。あっという間に身体を絡めとられて、うわ! とアンリは叫んだ。


「レ、レオナードさま、僕もう出ないといけなくて」

「さっきはレオって呼んでくれたのに」


 上機嫌でキスの雨を降らせる。アンリが「ちょっと」と押しのけると、その掌に唇が押しつけられた。


「呼んでくれないのか?」


 上目遣いで、レオナードが言う。アンリは言葉に困りつつ、観念したように首をすくめた。


「……レオ」

「うん」


 すっかり上機嫌で、レオナードは目を閉じる。アンリはその唇に振れるだけのキスを落として、ベッドから這いずって降りようとした。


 レオナードは大人しくアンリを離す。アンリはレオナードを見下ろしつつ、軽く咳払いをした。


「じゃあ、僕は行って、……くるから。レオ、……も、がんばって」


 そして返事を待たず、逃げるように部屋から出た。ちらりと振り返ると、彼は茫然としているようだった。


「恥ずかしいな、これ」


 熱くなった頬をぴたぴたと叩きつつ、アンリは歩き出した。

 その日の晩、レオナードはアンリに愛称を呼ばれたがったし、アンリはそのたびに愛称を呼んだ。

 そしてひそかに貯金をはじめた。十分なお金が貯まったら、レオナードに、サファイアのピアスをプレゼントするのだ。

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