おまけのおもちゃ:ハッピーエンドに悪役はいらない
グレゴール・ベレットは模範囚だ。彼が収監されている高位貴族のための牢獄には、政治犯や、よほどの馬鹿をやらかした阿呆しかいない。彼らはいずれも、何らかの理由で表舞台にいられなくなった人々である。
そしてグレゴールもまた、その一人だった。
荷物の持ち込みを許可すると言われたとき、マグノリアの花が彫られたペンを望んだ。グレゴールの愛した女性を偲ぶことのできる手段が、それしかなかったからだ。
果たして望みは叶えられ、グレゴールは粛々と終身刑に服した。季節は過ぎた。孤独な生活は、妻を亡くしたときから続いているから、平気だ。
思うのはただ、息子のアンリのことだった。
牢獄の中の春が、十回を越えて訪れたときだ。
面会に来た者がいると、起き抜けに知らされたので、グレゴールは首を傾げる。
「ここには、面会者は来られないのではなかったか」
その質問に、答えはなかった。
無意識に、胸の鼓動がはやくなる。もしかしたら息子に会えるのでは。何か外の世界で動きがあって、自分に都合のいいことが起きたのではないか。
そしてその甘ったるい願望は、憎きレオナード王子の顔で打ち破られた。
グレゴールは意図的に穏やかな表情を作り、若き王子と相対する。息子の命の恩人と言えるとはいえ、大変に淫らな行為に及ぼうとした相手だ。到底許せるものではない。
「これはこれは、レオナード殿下」
「殿下ではない。今は公爵だ」
彼はしてやったりという顔で笑う。グレゴールはもはや取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなって、表情をすこんと落とした。
どうやら外の世界では、ひと騒動あったらしい。
レオナードは、あくまでもにこやかな笑みをグレゴールへ向ける。
「お義父さん」
「……誰のことでしょう」
顔をしかめると、目の前の男は自分の胸を叩き、そしてグレゴールを指した。
本当に、腹の立つ青二才だ。グレゴールが苛立ちに堪えていると、「プレゼントがあるんです」と彼は懐を探る。
「なぜ、私へ会いに来られたのですか?」
努めて冷静に尋ねると、「これを渡すためですよ」と、彼は掌に何かを持っている。
それは、グレゴールの妻の形見である、白銀のピアスだった。
言葉をなくすグレゴールに、「アンリから伝言です」と、レオナードが笑う。本当に、愛しくてたまらない者を思いやる、優しい笑みだった。
ピアスは机に置かれ、グレゴールへと差し出される。
「僕にはもう不要です。あなたへ返します」
グレゴールは、そのピアスに震える手を伸ばした。あの時息子に触れられなかった手がやっと、彼のピアスへと届いた。
気づけば、涙が目からあふれていた。視界がゆがみ、みっともなく鼻をすする。
「あなたと私は、きっと同類だ」
ぽつりぽつりと、レオナードが語り出す。
「愛する者が傷つけられたら、失いかけたら。その人の言葉も届かないくらい、怒り狂ってしまう。我を忘れて……酷いことをする」
そして、端正な唇を苦く歪めた。
「私も一歩間違えば、あなたと同じ場所にいたでしょう」
グレゴールは黙って、ピアスを握りしめた。まあでも、と、レオナードは不自然に明るい声を出す。
「私は、踏みとどまれた。あなたは、間違えた。それだけのことです」
しばらく、二人の間に沈黙が降りた。レオナードは静かに足を組み、窓の外を見ている。グレゴールが涙を拭って顔を上げると、彼は泣き止むのを待っていたかのように耳たぶを見せた。
「これはアンリとお揃いで開けたピアスです。だからアンリに、あなた方の形見は、もういらないんですよ」
そこには、大粒のサファイアを一点だけあしらったピアスが光っていた。
ここまで清々しいと、もはや怒りも湧いてこない。グレゴールは呆れて「馬鹿者が」と呟く。
当の本人はといえば、「はい」と満面の笑みを浮かべていた。
「幸せです。この慣性であと八十年は生きられます」
「馬鹿馬鹿しい」
グレゴールが吐き捨てると、「お義父さんは手厳しいですね」と彼は言う。いちいち神経を逆なでする若造だ。グレゴールは怒鳴るために息を吸い込んで、そして、やめた。
「……アンリを、よろしく頼む」
面会に来ないこと、きっとアンリが選んだことだ。それはグレゴールの自業自得だから、せめて。
はい、とレオナードは穏やかに頷いた。
「あと、これは義理の息子からのプレゼントです」
そう言って、さらに懐から何かを取り出した。皮革の端切れで作った、子ども向けの、動物の形をしたおもちゃのようだった。
怪訝な顔でそれを見るグレゴールに、「正体が何かは、癪なので言いません」とレオナードは肩をすくめる。
じっくりとそれを検分している様子を見て、レオナードは立ち上がった。グレゴールが「あ」と声を上げるのと同時に、レオナードは面会室から出ていく。
「待ってくれ、これは、アンリの」
端切れの本当に端の方。アンリの名前の綴り……と思われる、中途半端な文字列がある。しかし、扉は閉じられた。グレゴールは答え合わせをする機会を、きっと永久に失った。
グレゴールは、ピアスとおもちゃを手に、茫然と外へ続く扉を見つめた。
「終わった?」
レオナードが外へ出ると、アンリはすぐそこに立っていた。レオナードは頷いて、伴侶の隣に並ぶ。
「渡せた?」
その端的な問いに、レオナードはまた頷いた。アンリは「そっか」と俯いて、顔を手で覆う。
「……会えば、よかったかな」
肩を震わせるアンリに、「いいさ」とレオナードはジャケットをかぶせた。
グレゴール・ベレットが模範囚であったために、もう一度だけ、近親者は面会の機会を与えられた。
アンリは会わないことにした。その代わりに、レオナードが彼へ会いにいった。
「会いたくなかったんだろ」
「うん。酷いことばかり言いそう」
そのままアンリへ抱き着いて、レオナードは背中を叩く。アンリから教えられた慰めの方法を、レオナードは受け継いでいた。
「ちゃんと渡した。二つとも」
その言葉に、アンリは声を上げて泣き出した。レオナードはその背中を叩いて、そっと物陰に寄る。
「お父さんが憎い」
血を吐くような言葉に、レオナードは言葉に詰まった。アンリは衝動をこらえきれず、レオナードの胸を一回だけ叩く。
それきりアンリはへたりこんで、地面へ両ひざをついた。そして息を吐き、レオナードを見上げる。
サファイアの瞳には、一点の曇りもない。レオナードは、彼の耳朶にはまったアメジストをうっとりと見つめた。
「行こう、アンリ。王都の観光は俺もはじめてなんだ」
手を差し出すと、アンリは躊躇いなくそれを掴んで立ち上がる。そして膝の土を払い、歩き出した。
「あなたなら、王都くらい遊び歩いたことがあるものかと」
「ない。逆になんでそう思ったんだ」
「独身時代は遊んでいらっしゃったみたいだから……」
ちくり、とアンリが嗜虐的な笑みを浮かべて、レオナードを見上げる。彼は途端に困った顔をして、アンリを見下ろした。
「ずっと、お前しか見えていない」
「よく言う~」
アンリはけらけら笑いつつ、レオナードの手を掴みなおす。
今は夫になったその人の手を引いて、アンリは言った。
「だけど、知ってる。分かってるよ」
木漏れ日が、アンリの顔を横切る。その一瞬にサファイアの瞳がきらめいて、世界でいちばん綺麗だった。
レオナードは目を眇めて、「よかった」と笑う。そして二人の顔は近づき、風が通り過ぎた。唇が、ゆっくり合わさる。その瞬間のやわらかな感触に、二人は胸がいっぱいになった。
なお本当に運がよかったのか悪かったのか、グレゴールはそのキスシーンを見てしまった。
独房へ戻る途中だった。
グレゴールは叫び声を上げそうになって、見張りの兵士に取り押さえられた。そのまま口をふさがれ担がれて、部屋へと転がされる。
グレゴールは、かっこいい悪役にはなれない。
彼は憎しみに狂った惨めな男であり、残虐な犯罪者だ。また一途に妻を思う夫であり、子に憎まれている父親でもある。
しばらくはレオナードへ怨嗟の言葉を吐きながら、ひとり妻の形見と息子の工作を眺めるのだろう。
全く迷惑な話ではあるが、彼のしでかしたあれこれのおかげで、アンリとレオナードは結ばれた。もちろん、それで壊れたものも、たくさんあった。
こうして、今のいびつな世界がある。完璧に幸福でも完全に台無しでもないから、アンリとレオナードは、互いに手を繋ぐことができた。
少なくとも、二人は世界で最も幸せなカップルの一組と言える。
なぜなら、今のアンリとレオナードは隣り合って、歩調を合わせられるからだ。どこまでも、彼らの行きたい場所へ向かえるからだ。
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めでたしめでたし。
概要欄に書いてある通り、この作品は他投稿サイトにも掲載しております。
そちらには年齢制限つきの番外編が置いてあります。
大人の方々へ。もし気が向かれましたら、番外編もぜひぜひお読みください。
未成年の方々へ。成人されてもアンリとレオナードを覚えていらっしゃったら、ぜひ他サイトの私のページへお越しください。お待ちしております。
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