アンリ、爆発する
アンリは、ベレットをひたと見据えた。
ベレットは迷いのない視線アンリを見つめ、「計画はこうだ」と話し始める。
「二年後のレオナード王子の卒業式には、国王夫妻も参加する。そこで会場となる講堂に魔法陣を仕掛け、爆破する。これがあらましだ」
アンリは、そのあまりにも簡便な説明に少し拍子抜けした。
それにしても、と目を眇める。ジョンの話と、大きく矛盾している。アンリは無表情を繕いながら、「随分と気長な計画ですね」と指を組んだ。
ベレットは「計画は、慎重に行いたいのだ」と、感情の読み取れない顔で言う。
「だから、お前が心配することは何もない。ここでゆっくり休みなさい」
ところで、とベレットが話題を変える。咳払いをして、アンリと向き直った。
「身体は大丈夫か? 食べたいものはあるか」
「話をそらさないでください」
「まだ遠くの話より、今はお前のことの方が大事だ」
アンリは今すぐベレットを罵ってやろうか逡巡した後、「不要です」と短い拒否の言葉にまとめた。
ベレットは「そうか」と、落ち着かない様子でソファへ座り直す。
「欲しいものはあるか」
「何が言いたいんですか?」
苛立ちを我慢しきれず、アンリの口からとげとげしい声が飛び出した。は、と我に返って頭をさげるが、ベレットは「謝らずともいい」と、穏やかな声色で言う。
「私たち親子には、これまでの溝を埋める必要がある」
そんなもの、埋められるわけがないのに。アンリはベレットから視線を逸らしつつ、立ち上がった。
仮にも父親だという人が、幼い頃は真っ当にかわいがってくれていた人が、自分を軽く見積もっている。アンリは砂を噛むような虚しさを覚えて、部屋から出て行った。
「いつでも来なさい」
ベレットには会釈を返して、アンリは階段を昇った。あの屋根裏部屋がいちばん落ち着く、と本能的に思う。あの薄暗くて埃っぽい、アンリが数年間暮らした部屋。
その扉を開けて、アンリは愕然とした。
「なにも、ない」
部屋は、綺麗さっぱり片付けられていた。
アンリは、綺麗に磨かれた靴で、かつての寝床を歩く。
固いベッドや本棚の置かれていた場所だけ、床は日焼けしていない。
埃すら綺麗に掃除されて、ここで人が暮らしていた痕跡なんて、まるでない。
「……う」
アンリの視界が、なぜかにじみはじめる。慌てて目元を擦ると、ますます涙があふれてきた。
泣いてはいけない。そう思えば思うほど、ぼろぼろと涙が流れ出てくる。
アンリはその場にうずくまって、必死に衝動を耐えた。頬を温かい液体が滴り落ち、床に落ちて染みを作る。
耳元のピアスを縋るように触り、掴んだ。しゃらしゃらと音が鳴って、それがなぜか、よけいに苦しい。
「くそ、……くそっ」
気づけば四つん這いになって、何度も拳で床を叩いていた。
悔しさ。恐ろしさ。反抗心。虚脱感。心が空っぽになって、思考が前を向くことを拒否する。
「殺してやる……」
泣きじゃくりながら、アンリは低く呟いた。何度も嗚咽を漏らし、床を叩き、「殺してやる」とうめく。
「許さない。あの野郎、くそ……っ」
口汚く、父親だという人を罵る。だけどこんなときに限って、母親が生きていて、ベレットが自分を抱きかかえてくれたときのあたたかな日常を、思い出すのだ。
もしベレットと母親が「普通に」結婚して、「普通に」アンリが育っていたら。
きっと母親は、何の苦労もなく生活できた。もっと長生きしてくれたかもしれない。
アンリは何不自由なく育てられて、貴族の子息としてふさわしい振る舞いをしていたのかもしれない。
ベレットを何の含みもなく、父と呼んで甘えられたかもしれない。
「だけど、だけどっ」
拳が痛むくらい、床を打つ。腕に顔を埋めて、「だけど」と繰り返した。
「レオナードと、仲良くなれたのは、……今の僕だからだ……」
一介の侯爵家の、宰相の息子が、王子さまとあんなに近づくなんてきっとできない。
アンリがまともに育っていたら、まともな常識が備わっていたはずだ。まともな人間は、王子にあんな態度をとることはきっとないだろうと、アンリは分かっている。
それにレオナードだって、こんなアンリだから気に入ってくれたのだろう。
それくらいは、アンリにだって分かるのだ。
肺の中身を空っぽにするくらい、アンリは長く息を吐いた。
上体を起こし、目元を乱雑に拭う。鼻をすすり、ちいさな窓から空を見た。
アンリにできることは、ひとつだけだ。
今まで生きてきたこれまでを、正解にするために、あがくことだ。
「よし」
頬を叩き、立ち上がる。泣いて、うずくまって、立ち止まっている暇はない。
できることをやらなければいけない。こんなところでベレットに、運命に、負けてたまるものか。
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