悪役たちの世界征服譚

綴音リコ

第1話 悪夢


「違うのです父上、この者が!」


  いつもは燦々と陽光が降り注ぐ大陸に、今日は一日雲で覆われていた。

  雨季でもないのに暗くじめっとした空気感は人々の心を重くさせる。

  とある大陸の一国、その中央に位置する城の玉座の間で一人の青年が叫んだ。

  左手を婚約者の腰に回し、顔を真っ青にさせた青年は、この国の王子だった。金髪碧眼の絵に描いたような美しい容姿は、正しく絵の中の王子様、といったところである。

  しかしその様子は城中の人間の憧れとは程遠く、青ざめ震える姿は酷く情けない。


「何が違うと言うのだ、ダン」


  渋く深みのある声が広間に響く。

  その場にいた者全員が竦み上がるような、威厳に満ちた声だった。


「勇者たちをこの世界に招き入れて数ヶ月。お前はすっかり変わってしまったようだな」


  ぐっと唇を噛んだ青年に心底呆れたように、国王は溜息を吐く。

  今から三ヶ月前。世界を正しく調律する為に召喚された勇者たちはその身に強大な力を宿した、ただの高校生たちだった。

  世界を救う第一歩は魔王討伐。その前段階として、彼らは王宮で魔法や剣の訓練をしていた。

  その頃からだ、国王の息子である王子がおかしくなり始めたのは。

  それまで大切にしていた婚約者を放り、執務を投げ出すことが増えたのだ。婚約者を差し向けてみれば、どうやらそれは勇者のうちの一人の少女のせいであることがわかった。


  少女の名前は星守桃乃。


  癖のある黒髪を二つに結った、クラスの優等生だ。愛らしい容姿と優しい性格で、城内でも人気のある存在であった。

  怪我をした王子に包帯を巻いて治療をしたことをきっかけに、二人は少しづつ距離を縮めているらしい。婚約者が言うには、桃乃が自ら王子に近づいているとのこと。

  このままでは城内に少なからず悪影響が出てしまうし、浮気ともなれば外聞も悪過ぎる。その上王子を誑かす勇者の娘など言語道断。

  故に国王は、こうしてこの場で問い質すことを決めたのである。

  婚約者を守ることなく、別の娘に手を出しているのは本当なのか、と。

  国王の予想通り、プライドの高い王子は違うと反論した。関係を迫ってきたのは向こうの方で、自分はいつも断っていたのだと。

  みるみるうちに青くなる少女を、王子は必死に突き放した。


「な、なぁ桃乃。俺は嫌だって言ったじゃないか。でも魔力が強く優秀な君が少しだけと言うから、情けをかけてやっていただけなんだ」


  優れた勇者のご機嫌取りのつもりだったのだと弁明する王子に、傍で控えていた彼女のクラスメイトたちはこそこそと言葉を交わしていた。


「桃乃ちゃん、そんなことしてたんだ……」

「学校でも前から言われてたよな、彼女持ちから取るのが好きだって」

「王子さまにまで色目使ってたんだ、サイテー」


  背後からかけられる悪意の言葉たちに、桃乃の桜色の瞳がぐしゃりと歪んだ。

  そしてその唇が開く前に、国王がダンに向けて問うた。


「自身の不貞は桃乃が強要し誑かしたせいだと言うのだな?」

「そ、そうです! 全ては桃乃が、無理やりっ」

「では、桃乃にはいなくなってもらう方が良いな」

「え」


  王子の空色の瞳がじわりと見開かれる。桃乃は何を言われたのかわからず、ただ呆然とした。


「一国の王子を誑かし、計略を企てた罪は、到底許されるものではない。……しかし、貴殿は勇者であり、まだ幼い少女だ。極刑は些かやり過ぎというものだろう」


  国王は玉座から立ち上がり、愚かな息子を悠然と見下ろした。

  これは見せしめであり、罰である。

  国の安泰と一人の少女の命であれば、当然国を取るのが国王の役目というもの。プライド高いものの根は人好きな王子はこの出来事で、きっと心を入れ替え国政に励むだろう。

  これは、必要な犠牲である。


「――勇者、星守桃乃の身分剥奪を、今ここに宣言しよう」


  はくりと少女の口から音のない言葉が漏れる。

  しん、と痛いほどの沈黙がその場に落ちる。

  王子も、クラスメイトも、衛兵や侍女も、少女も。誰も言葉を発することはなかった。

  見知らぬ世界に来てたった数ヶ月、城の中から一歩も出たことのない無知な少女に、どうやって生き延びろと言うのか。

  国王は目を伏せ、運命を背負わされた少女へ祈った。

  どうか、彼女の未来を美しく照らす道が、一本でもあることを。

  そして衛兵に城外まで連行するよう命じようとした時、突然広間のシャンデリアが砕けた。


「きゃああああ!!」

「なんだ!?」

「陛下と殿下を守れ!」


  星屑のように煌めく硝子の破片が、雨のように降る。突然の出来事に、誰もが騒然とした。

  国王と、とある二人以外は。

  硝子の雨がやんだ頃、少女が立っていた場所には誰もいなかった。

  まるで雨が花を落とすように、忽然と姿を消していた。


「陛下、至急犯人の捜索を」

「良い」


  覆いかぶさっていた近衛兵団の隊長の言葉を、国王は首を振って止めた。勇者たちの方向に眼をやれば、戸惑う彼らの中からやはり、二人の姿が消えている。

  嘲笑と困惑、蔑みに満ちた空間の中で、彼女らだけがギラギラと瞳を煌めかせていた。

  うちの一人の少女が、風魔法を応用してシャンデリアを壊したのだ。そして混乱に乗じてもう一人の少女が桃乃の手を掴み、三人でこの場から逃げ出した。


「王子と勇者を怪我させる訳にもいかぬ。お前たち、すぐに寛げるよう部屋を手配せよ」

「かしこまりました、陛下」


  侍女たちは恭しく腰を折り、無駄のない所作で玉座の間を退出した。

  窓から外を眺めれば、雲はより一層色を濃くしていた。

  もう数刻もしないうちに雨が降るだろう。

  ずるずると婚約者の腰を抱いたまま座り込む息子を尻目に、国王は目を閉じた。

  遠くで雷が鳴っている。


  ❋


  はぁ、はぁと、人気のない城下町に荒い息が響く。

  いつの間にか降り始めた雨は三人の身体を痛いほどに濡らした。

  灰色の制服はぐっしょりと色を変え、重くなっている。

  瑠璃は桃乃の手首を掴む手に力を込めた。

  やるせなくて、胸が灼熱で焦がされているように気持ち悪い。視界がぐしゃぐしゃだ。きっとそれは、横を走るもう一人の少女、帆夏も同じだろう。

  水溜まりを躊躇なく革靴で踏めば、バシャリと派手な飛沫が飛んだ。


「ルリ、あれ」


  上がった息のまま、帆夏が一点を指さす。

  〈海月〉の文字とクラゲが描かれた看板は、城で見た地図では宿の記号が記されていた。

  ちらりと後ろを振り返れば、寒さだけではないだろう、体を震わせる桃乃が目に入る。このまま雨に晒されていては心も弱った体はすぐに風邪を引いてしまう。


「入ろう、なつ」


  幸い支給されていたので、所持金はそれなりにある。数日分の宿代くらい、訳ないだろう。

  暖かな光が窓から漏れる様子に目を細める。

  どうか、見知らぬ少女たちを受け入れてくれるといい。特別なものは必要なくて、ただ傷つく心を癒せる場所が欲しいのだ。

  祈るような心地で、瑠璃は海月のドアノブを掴んだ。


  ――ちりん、安穏の音が鳴る。

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