第25話 覚醒!
各マシンが一周目を終え、エキゾーストノートを響かせながらコントロールラインを次々に超えていく。そのマシンの半数のマフラーからは、いつもにはない青い排煙が噴き出していた。
「だいたい半分くらいか」
「ですね。みんな濃い目に燃調を取ってますよ」
「半分はいつも通りだな。さぁ、最後まで持つか?」
ピットから、スタッフや上級クラスの選手たちがマシンを注視してそうこぼす。
青い煙を出しているカートは暑さによるエンジンの焼き付きを防ぐために、燃料の噴出量を上げてシリンダー内のガソリン量を濃くしているのだ。カートの燃料はガソリン+エンジンオイルなので、噴出量を上げればオイルがしっかりと行き渡って摩擦熱が抑えられ、エンジンブローの危険性が減少するというわけだ。
ただしその反面、濃すぎる燃調は不完全燃焼を起こし。エンジンのパワーを落としてしまう。排煙に青い煙が混ざっているのは燃え切らなかった燃料が排出されているからだ。
「勝つか、リタイアするかですね。持って欲しいです」
我らが美郷学園カート部の3台は、いずれも青い排煙を上げてはいない。いわゆるベストの燃調で、持たせる事よりもペースアップする事に重点を置いている。果たして25周の長丁場を耐えてくれるであろうか……。
上位5台は全て耐久性無視のガチセッティングで望んでいる。トップグループの最後尾にいる星奈もまたマジの燃調で、黒木に続く初優勝で有終の美を飾るべく前走者に食らいつく。
イルカはひとつ順位を上げ8位。7位のチームカタツムリ、椿山選手の斜め後方に付け、エンジンに出来るだけ風を当てながら優勝候補をピッタリとマークしていた。
その椿山はマフラーから青い排煙を出している、いわば濃いめの燃調のセッティングだ。もちろんそうしている各選手はエンジンが持ちそうだと判断したら、エンジンに付いているキャブのニードルを絞って最適の燃調に合わせて来るだろう。
が、星奈もイルカも、そしてもちろんベガもそこまで器用な真似は習得できないでいた。仮にもレース中、キャブに気を取られて抜かれたり事故を起こしたりしたら意味が無い。学生の部活動としてはあくまでレースに集中する方針を取っているのだ。
◇ ◇ ◇
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……ナカナカ、キッカケが、つかめマセン!」
8周目。ベガは10位にまで順位を上げていたが、前の9位の選手をどうしても抜けないでいた。青い排煙を出している事からも濃いめの燃調で、ストレートでは確かに差を詰める事が出来るが、その前のコーナーでテクの差から突き放されており、スリップに入る距離まで詰められないでいた。
それはイルカも同じようだ。前を走る椿山に直線では詰め寄るものの、コーナーひとつで差を開けられてしまう。特に件の3コーナーでは得意のドリフトであっという間にイルカを引き離していった。
星奈の前にいる4台はいずれもガチのセッティングだ。特にトップ3のチームMSBはこの暑い中予選からガンガンぶん回しており、いつその時が来てもおかしくない。彼らは彼らでライバルショップのカタツムリに勝つべく、エンジンはおろかハートにも火が入っている。そんな連中に彼女も食らいついているのだ。
そして15週目、その時は来た。
――バキン、ギュワアァァァァァァッ!――
最終コーナーを立ち上がった先頭集団のうち、二番手を走るMSBの選手が嫌な音と共にエンジンをブローアップさせ停止、チェーンを介してリアタイヤをロックしてそのまま激しくスピン、タイヤバリアに激突した!
「
星奈はすかさずインに張り付き、アウトに飛ぶカートの貰い事故を避けるべくインベタで立ち上がる。これが功を奏して一気に2台をパスし、2位に浮上してみせたのだ。
◇ ◇ ◇
(さて、そろそろいくかな)
7位を走る椿山が、その事故を見てニヤリと笑い、右手をエンジンのキャブニードルにかける。ストレートを立ち上がった所でキャブを絞り、ベストのエンジン音がする角度に合わせる。
カアァァァァァァーーン
「ついに来るかっ!」
すぐ後ろを走っていたイルカがそれを見て、ついにスパートに入ったのを悟る。ここまでなんとか引っ付いてきたが、ここからはいよいよ本気で逃げられるだろう。
だが、もし仮について行く事が出来たなら、彼の追い上げに便乗して上位を、いや優勝すら視野に入って来るだろう。
今まで封印していたスリップストリームを解禁し、直線で少しでも距離を詰めにかかる。
(さぁ、行ってくれッ!)
◇ ◇ ◇
(ダイジョーブそうデスネ)
遅れて最終コーナーを立ち上がったベガ・ステラ・天川が事故車を見てそう思う。タイヤバリアに激突した選手は苦しむ様子もなく両手を上げて「事故りました」のサインを後続車に送っている。
他人事ではない。ベガもまたギリギリの燃調セッティングなのだ。数秒後の自分がああなってもおかしくはない。
(ン……いつも通りデス)
ストレートでホタル号のエンジン音に耳を傾け、異音が無い事を確かめる。
エンジンブローの際には何か前兆めいた音や振動があるとコーチに教えられていて、特に音がいきなり甲高くなったらもう危険なレベルだそうだ。
2コーナーを抜け、前方の3コーナーへと視線を移す……その時!
――ドンッ!――
一台のカートが高い縁石に乗り上げ、コースの外側に弾き出されていく。それは見なれた、あの黒いマシン!
「イルカっ!」
半回転してダートに停まったイルカのマシンの横をベガ達が抜き去っていく。ベガは横目で彼を追いながらも、次に迫る4コーナーの対応に思考を切り替えなければならなかった。
(イルカ……ダイジョウブでショウカ)
◇ ◇ ◇
「くそっ! 遅かった」
彼はここまでずっと前走者の椿山の、ここ3コーナーでのドリフトを目に焼き付けていた。自分がそれをモノにする為に、である。
この周回から奴がキャブを戻して全開走行に移ると知った時、彼は何としても付いて行くべく、彼のドリフトをトレースしようと試みて、コーナー進入時にその体をアウト側へと、思いっきり叩きつけた。
果たして車は見事にスライドした。だが初めてのその挙動にカウンター(逆ハンドル)が間に合わず、なかばスピンするようにアウトの縁石に乗り上げてしまったのだ。
これにより彼の優勝は完全に無くなった。だが、それと引き換えに彼は、ひとつの殻を破るがの如くのレベルアップを成す事になる。
◇ ◇ ◇
レースは混沌の様相を深めていた。気温39℃に達しているコース上では、次々とトラブルやペースダウンに見舞われる車が続出したからだ。
トップグループのチームMSBの2台もついにキャブの燃調を濃い目に合わせていた。星奈にとってはチャンスだが、それでも走り屋上がりの彼らがそうそう追い越されるわけもない。巧みなブロックラインと連携を使って足止めを食らい、逆に後方の一台に抜かれて3位にポジションを落としてしまった。
その一方でベガはついに5位の入賞圏内にまでジャンプアップできていた。と言っても前を走るマシンがリタイアしたりペースダウンしただけの話なのだが、このままいけばレース挑戦2回目で初の入賞が実現することになる。
(お願い、ホタル号、ガンバッテ!)
祈るような気持ちでストレートを疾走するベガ。彼女たちはもうずっと全開で走っており、いつ破綻が来てもおかしくはない。
が、学校の部活動でレースをやってるような初心者が、お金と時間をたっぷりつぎ込める社会人に勝つには、こういう状況でこそ無理をするしか無いのだ。だからこそ星奈もベガも、天に運を任せてアクセルを踏み込む!
そんな中、今のこのコースでふたりだけ、別次元の走りをしている人物が居た。
◇ ◇ ◇
――ッカアァァーン――
「う……そだろ、ついに33秒台に入った」
「イ、イルカパイセン、一体どーしちゃったの?」
19周目のラップタイム、イルカのそれは朝のタイムアタックのそれから1.5秒も短縮したものになっていた。まるで別人が乗り込んでいるかのように。
◇ ◇ ◇
「くっ……ブロックが、えげつない、わね」
3位を走る星奈は、前の二人の巧みなブロックラインに悪戦苦闘していた。ペースならこっちが上だが、巧みにラインを潰して来るその技術にはさすがに舌を巻かざるを得ない。運転歴の長い走り屋出身のレーサーとの差がこんな所でも出て来る。
21周目のストレートエンド、インを押さえる前の車に対してアウトに飛ぶ星奈。と、そのインにいつの間にか、一台の車が割り込んで来た!
「カタツムリ! いつの間にっ!?」
スパァン! といとも鮮やかに星奈をパスしたのは、カタツムリの椿山だった。彼はMSBの連中のエンジンが限界が近い事を知り、一気のスパートをかけて来たのだ。
「女の子をイジめちゃいけないなぁ、走り屋の諸君」
3コーナーでリアを滑り出し、あっという間に2位の車の後ろに張り付くと、そのまま5コーナーの飛び込みで呆気なくパスしていく。
「す……すごい!」
レベルの違いに舌を巻く星奈。ここまでずっとペースを押さえマシンを労わって来た彼が、レース終盤の勝負所で一気にスパートをかけるそのレースマネージメントの見事さに、ただただ圧倒されるほか無かった。
「カタツムリの椿山、来たか!」
トップを走るMSBの
ホームストレートを疾走する岩熊と椿山。優勝はこの2台にほぼ絞られたと言っていいだろう。両者の闘志をエキゾーストに変えて1コーナーへと飛び込んでいく。
◇ ◇ ◇
(エ……イルカ?)
22週目の4コーナー。折り返し気味になるここでベガは対面の道路、1コーナーから2コーナーに向かうイルカのマシンを目にする。
「ソンナ、もう、こんな所マデ?」
彼は15週目に3コーナーでストップしたはずだった。再発進したとしても優に半周は遅れているはずなのだが、いつの間にか1/4周の所まで追い上げられている。
そして23週目に入り、ストレートエンドで後ろを振り返った時、6位のイルカのマシンはもうストレート半分を走り終えて、猛烈な勢いでベガに迫っていた。
(速い……イルカが、あのイルカが、ワタシを、追い上げて、来る?)
猛暑の中、ベガはぞくぞくっ、とした感覚に包まれ、満たされていた。
入賞圏内を守りたい、というピンチの心情ではない。
あのイルカらしからぬハイペースに、プレッシャーを感じたのでもない。
チームメイトとして、負けたくないという意志はあるが、そのせいでもない。
「ン~~~~~ッ!」
心臓の鼓動が聞こえる。身震いするのに顔が火照っている。体の芯がぞくぞくと震え、それが下腹部に集まってくるように感じる。
あのイルカが、ワタシを必死になって、追いかけている
彼女が人生で初めて感じたもの、それは身を焦がすような
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