第12話 その夜、彼女はバトンを受け継いだ

「タダイマ帰りマシター」

 ホタル祭りを堪能したベガが、ステイ先のお寺の横にある家の玄関を開けてそう言うと、すぐに白雲三太夫、三ツ江夫妻がどたどたと出迎えてくれた。


「おお、おかえりベガちゃん」

「どうだった? ホタル」

「モー、すっごくビューティフルでしタ! アレを見られただけでもニホンに来てヨカッタデス!」


 目をキラキラさせてそう力説した後、お土産のタコ焼きを2パックふたりに手渡す。

「あらあらあら、ありがとうねぇ」

「コチラコソ、浴衣ありがとうございマシタ」

「じゃあ今夜はこれで一杯だな……その前にベガちゃん、ちょっといいかな?」


 三太夫がいつにない真剣な目をしてそう言う。「ナンデスカ?」と首を傾げるベガの横を、サンダルを履きながら通り過ぎて「ついてきなさい」と表へ出ていく。


 お寺の境内に入り、その裏にある物置の方へ歩いていく三太夫とベガ。その古くなったドアをおもむろに開け、入り口に設置された電球のスイッチをカチッ、とひねる。


 光に照らされた物置の中、そこにあったのは……


「カッ……カート!? エ、デモ、ドウシテ?」


 鎮座していたのは一台のカートマシンだった。全体のフレームを金色に塗装されたそれは、ややすすけて色褪せてはいるが、ベガ達がいつも見ていて、彼女が何とか手に入れたいと願っていたレーシングカート、KT-100Sに間違いなかった。


「もう20年も昔になるかな。ワシのせがれがカートをやってみたいと言って、買ってやったんじゃ」

「でも結局、数えるほどしか乗れなかったけどねぇ」

 遅れてやってきた奥さんがそう続ける。

「Ah、息子サンがいたんですネ。そのヒトはイマは?」


 そのベガの質問に、ふたりはふっ、と笑って虚空を見つめるだけだった。その視線の先には水辺から迷い込んだのか、一匹のホタルが空を舞っていた。


「セガレは……けいは、亡くなったんじゃよ」

「生まれつき体が弱くてねぇ……」


 その二人の言葉に、ベガは思わず息を飲んだ。二人暮らしのこの初老の夫婦に子供がいない違和感はあったが、そんな事情とは知る由も無かった。


 夫妻は語る。息子の白雲 蛍はくうん けいは生まれつき肺に疾患があり、もし何か呼吸器系の病を併発すれば生命の危険まであったらしい。

 幸いにも家が空気のキレイな田舎の村だった事もあり、高校生になるまでは特に問題も無く生活して行けていた。


 そんな時、彼はカートに興味を持った。自分は肺が悪いので早く走る事は出来ないが、あれに乗れば僕にも力強い走りが出来るんじゃないか、との憧れを抱いて。


 が、結局それは上手くいかなかった。ベガも経験した通りカートの運転は体に相当の負担を強いる。しかもフルフェイスのヘルメットを被っているのでいっそう呼吸に負担がかかる、緊張で心臓の鼓動も早くなるから猶更だ。


 それでも2.3度はコースに出たし、仲間の協力もあって模擬レースのようなものも経験できた。しかしやはりそこまでが限界で、このカートは物置の奥に仕舞われることになった。


 蛍が肺ガンを発症したのはその一年後だった。大学病院に入院して治療を続けたが、その甲斐も無く半年後には他界してしまった。


「ウチが安産の寺じゃから、多くの命を生み出してきた。その分そこの息子にはあまり寿命を授かれなかったのかもしれんのう」

「蛍ちゃんがこのクルマに乗った晴れ姿は今でも……って、ベガちゃん?」


 奥さんがしみじみと語りかけた時、涙をぼろぼろ流して号泣しているベガを見て思わず言葉を止める。


「ソンナ、コトガ……そのヒト、そんな、若くて……ひぐっ!」


 しゃくりあげて泣くベガを見て、夫妻はしばらく話は無理だなと判断し、泣き止むまで待つことにした。



「わしらは坊主じゃけんのう、人が死ぬのは慣れておるんじゃ。さすがにセガレが死んだときには嘆きもしたが、あいつもまたワシらが送り出した者達と極楽で仲良くやっておると信じとるんじゃよ。じゃからもう泣かんでええ」

「ハ……ハイ、ッ!」


 ようやく泣きじゃくりが収まったベガを見て、夫妻が本題に入る。


「ねぇベガちゃん。日本の漢字で『蛍』って、『ホタル』って読むのよ」

「エ、そうなんデスカ?」

「うん。だからホタルを見ると蛍を思い出してねぇ」


 そういう事だったのね、と納得が行くベガ。夫妻がホタル祭りに行かずに私に浴衣を着せて行かせたのも、あの光を見たら息子さんを思い出してしまうからなのか、と。


「じゃけん、ベガちゃんがこっちに来てカートにハマって、ほんで今日ホタル祭りを見に行くんがええ機会じゃと思ってのう」

「もしベガちゃんが今日までカートを止めずに続けられて、ホタルを見て感動したのなら、これあげよう、って決めてたのよ」


 ベガはその話の流れから、二人がこのマシンをどうするか、どうしたいのかを察して、ぶるっ、と身震いした。


「これも何かの『縁』じゃ。

「きっとあの子も驚くわ、まさかウチにホームステイしたアメリカ人の女の子が、このクルマに乗るなんて、思っても見なかったでしょうから」


 その言葉にベガはじわっとした感動を覚えながら、そのマシンの際にしゃがみ込んで、その金色の、ホタルの光と同じ色をしたフレームをそっとなぞった。


「ワタシが乗っても、イインデスカ?」


 彼女にとってはまさに渡りに船の話だ。だけどそれだけに、自分の欲や都合で、故人の遺品を使わせてもらう事には抵抗があった。

 このカートは二人の子供の思い出の品なのに……私のカート欲しさの為に奪ってもいいのカナ? と。


「人は誰でもいつか死ぬ。だが、それを引き継いで貰える者がおる事は幸せな事じゃ」

「どうかこのクルマ、しっかりと走らせてあげて」


 夫妻が後ろからベガの両肩にそっと手を置く。その手の温度を感じたベガは、少しうつむいてから顔を上げると、そのカートのハンドルとリアバンパーを握って、押し掛けする時みたいに後ろを浮かせて、カートを物置の外に引き出すと、そのままひょい、とシートに飛び乗った。


 そして空を見る。無数に煌めく田舎の星の中からひとつ、金色に輝いて動き回る『星』を見つけて、それを仰ぎ見ながら、彼女は一言、こう発した。


『蛍サン、このカート、お借りしますネ』


 その時、星々をぬうようにして飛ぶホタルの光が一瞬、ベガの言葉に応えるように点滅した……ような気がした。

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