第2話 はじめてのレーシングカート
山間の昼下がり、サーキットのコースにビイィィィィン……と音を立てて、一台のカートがピットロードから本コースへと躍り出る。
「サァ、いっくよーッ!」
彼女、ベガ・ステラ・天川はハンドルを握りしめて、今まで添えているだけだった右足のアクセルレバーを、ぐいっ、と踏み込む。
「サァ、ワタシのサーキットデビュー……うひ、うひゃあぁぁぁぁぁぁ!!――」
ッパアァァァァァァァァーン!(一気に高回転するエンジン)
彼女の意識はその瞬間、加速に置いて行かれた。猛り狂うエンジンの回転と共に、あっという間に自分の知らない世界へと引っ張り込まれる。
(ヒイィィィィィッ、ナ、ナニコレ!? ハヤスギルウゥゥゥゥ……)
スパン、パン、パン、パン……ドッドッドッ(即座に回転を落とすエンジン)
「ア、アレ……?」
アクセルから足を離した瞬間、彼女は一瞬にして日常へと戻っていた。彼女の乗るカートはサーキットのコースで、道のど真ん中をのろのろと徐行していたのだ。
1コーナーはまだまだはるか先、そこまで走る前にアクセルを緩め、歩くようなスピードまで速度を落としてしまっていた。
「ア……イケナイイケナイ。こんなゆっくりハシッテタんじゃ、みてるヒトタチにワラわれちゃうよ」
ん! とアゴを引き、気合を入れなおしてハンドルを握り、再びアクセルを踏み込んで……
ッカアァァァァァァァーン(高回転)
「OH! ウヒイィィィィィィィィィーッ!!」
再び非日常の加速の世界に叩きこまれるベガ。たったアクセル数センチの踏み込みが、彼女にとっては異次元へのドアをくぐる行為に匹敵するものだった。
パパン、パンパン、パン……(低回転)
アクセルを戻した途端、彼女はまた日常に、自分の知っている世界へと戻って来る。そこにあったのは速く走るためのサーキットを、トロトロと徐行している自分とマシン。
(あーダメダメ、せっかくコースにでてるんだから、しっかりハシらないと!)
ある種の義務感、ここが速く走る場所であることや、自分が怖がっていることをギャラリーに知られたくない意識、あるいは甘く見られたくないというプライドが、三度彼女にアクセルを踏み込ませる。
スッパアァァァァァァァーン
「ヒイィィィヤアァァァァァァ~~!!」
アクセルを踏んで加速し、その加速感に圧倒されてアクセルを離し、日常に戻っていく。
自分の置かれている状況をみっともなく思い、意を決して再度アクセルを蹴りつける。
かくしてコースには、加速と減速をまるでシャクトリムシのように繰り返しながら回っていく一台のカートマシンがあった。
◇ ◇ ◇
「あー、やっぱりああなるわな」
「アメリカ人っぽかったから、ひょっとしたらいきなり乗りこなすかとも思ったけどね」
そんな彼女を見ながら、ピット付近のギャラリーが弁当の残りを食べながら、笑顔でそうこぼす。
まだ彼女はコースを半周も回っていなかった。なのにもう加速と減速を何度繰り返したかも分からない。ストレートやコーナー関係なく、ギクシャクギクシャクとGOとSTOPを繰り返しながら、ゆっくりとコースを歩んでいく。
でも誰もそんな彼女を笑おうとはしなかった。それはかつて彼らも経験した、レーシングカートという乗り物との馴れ初めだったのだから。
「
「ええ社長。少なくとも事故を起こすような無茶な娘じゃなくて安心しました」
星奈、と呼ばれた、ベガにカートを貸した少女が社長の言葉に相づちを打つ。
もしあの金髪少女が理性ブチギレの走りをして事故でも起こせば、少なくともマシンの修理は自分持ちなのだ。でもあのビビりようなら、マシンを壊すほどの無茶はできないだろう。
――レーシングカート――
モータースポーツの入門カテゴリーとして最も適したお手軽なサーキットマシン。
でもその実態は、フォーミュラーマシンやラリーカーにも決して引けを取らないほどのスパルタンな性格を持つ、過酷なレースカーなのである。
特にその加速感は、決してほかのレーシングマシンに引けを取るものではない。
その秘密はカートの小ささにこそある。確かに加速を数値で言うなら、カートのそれはフォーミュラーカーやラリーカー、あるいは高級スーパーカーや上位のスポーツカーにも劣るだろう。
だが加速『感』なら話は別だ。何故ならこのカートというマシン、とにかく軽くてちっちゃいからなのだ。
逆に言えば、乗っている乗り物が大きく重いほど、スピードに対する恐怖は和らぐものなのだから。
仮に新幹線で300km/hで走ったとして、乗っている人が怖いと思う事はまずないだろう。だがもし会社のデスクで使っている車輪付きイスに座って、それが道路を300km/hで疾走したら、たとえ絶対安全が保障されていたとしても、誰だって死ぬほど怖いはずだ。
普通の車なら屋根がある。重いドアが、頑強なボディが自分の周りを覆っている。そしてその車重はゆうに1トンにも達するだろう。
F1などのフォーミュラーカーは重さがその半分ほど。しかし体はすっぽりとコクッピットカウルの中に納まっているし、後頭部にはロールバーがしっかりと転倒時の頭を支えてくれる。
だが、このレーシングカートという乗り物は、体はほぼむき出しの状態で、地面に広げたフロシキの上に座った状態でコースに投げ出されているようなものだ。
しかも車重はわずか70kgほどしかない。フレームパイプで組まれた骨組みに、申し訳程度にアンダーパネルや前後左右のプラスチックカウルが付けられているだけで、その大きさはせいぜい1m四方しかないのだ。
そんな乗り物が、レスポンス抜群の2サイクルエンジンのパワーを受け、食いつき抜群の軽量スリックタイヤを介して地面を蹴飛ばして、運転者ごとマシンを前方にすっ飛ばしているのだから、初めて乗る者がその加速に驚いて恐怖するのは当たりなのだ」←?
軽ければ軽いほど、その加速のレスポンスはスパルタンなものになる。小さければ小さいほど、その不安定感は乗る者に恐怖を叩きつける。
その両方を極めたマシンこそ、このレーシングカートなのだから。」←??
!→「だからこそ、このマシンはモータースポーツの入門口としてふさわしい。最初にこの強烈な加速感を体験しておけば、そこから上にカテゴリーにステップアップして行っても、決して憶することは無いだろうから。
例えどんな強烈な加速に引っ張られようとも、それは素人の頃に初めて乗ったカートの加速感の延長でしかない。発進する時から、異次元の世界への『覚悟』が決まっているのだから……」←!
「……えーっと、
「はっ! 声に出てた……!?」
不覚! という表情をしながら頬に手を当てて、顔を真っ赤にして照れるその少女、
見ると周囲の面々も星奈の
「ふっふ、あの金髪ギャルもなかなかやるじゃないか。だんだんとコーナー奥まで我慢できているよ……そろそろかな?」
社長がそう言って彼女の元にかがみ込み、肩をポンと叩くと、星奈は顔を上げて「あ、そう、そうですね!」と開き直ったように立ち上がる。
ウォオォォォォォーン!
まさにその瞬間、サーキットに甲高い
◇ ◇ ◇
「ヨ、ヨシ! だんだんブレーキのタイミングがワカってキタよ、ここでハンドルを……」
ようやくコーナーの入り口で減速を終える事が出来たベガが、スプーンカーブの出口を見据えて「コンドコソ!」と決意新たにアクセルを踏んだその瞬間!
ギュオォォォォーン!
世界がヨコに一回転した。正確には車軸から三分の二程、すさまじい勢いで時計回りにスピンしたのだ。
瞬時に方向感覚を失ったベガは、それでもハンドルを切ってアクセルを……
「ア、アレ? ウゴカナイ」
素人の彼女には知るべくもないが、エンジンとタイヤが直結しているという事は、車が止まるとエンジンも止まるという事。そして再始動させるには、また押し掛けから始めるしかないのだ。
「……って、ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ」
ベガはここで初めて、自分が極度に疲労している事に気が付いた。腕も足も振動でビリビリと震え、ノドは焼けつくような痛みとオイルの排気がこびりついたような不快な味を口内に広げている。
心臓はありえないほどに早鐘を打ち、呼吸は体の酸素が危険なレベルまで薄くなったんじゃないか、という程に荒くなっている。
(ナンデ? ワタシすわってウンテンしてたダケなのに……?)
サーフィンで鍛えていた事もあり体力には自信があった。日本のアニメ配信の動画サイトでよくヒロインが「フィジカルチート」なんて例えられるのを見て、ワタシこそがそんな風に呼ばれるなんて思って日本に来たはずだった。
それが、たかが車を運転しただけで、全身がもう悲鳴を上げている。
「おーい、だいじょうぶー?」
声のする方に目をやると、さっき私にカートを貸してくれた女の子と、そのそばにいた若い男がこっちに向かって走って来ていた。
(あ……ダイジョウブ、デスヨー)
なんとか手を降って無事な事を示してみる。ほどなく到着した二人はカートの後ろに取りつき、後ろだけ持ち上げるとそのままマシンを回して進行方向に向ける。
「ア、そうネ、またオしてトビノラナイと……」
シートから這い出そうと腰を浮かすベガ。が、後ろにいた男が「いいよ、そのまま座ってて」と言ってくれ、二人でそのままダッシュして押し掛けを開始した。
バラッ、バラララララララ……
エンジンが息を吹き返し、再びのろのろと走り出すベガとカート。
「この週でピットにもどってねー! そろそろお昼休み終わるからー!」
カートを貸してくれた女子がそう声を張り上げる。
(エ? ああ、もうオシマイなんだ……あと、たった半周!)
ごくりと唾をのみ込んで、ぎりりと歯を食いしばりハンドルにしがみ付くベガ。
(ジョーダンじゃないわヨ! こんなミットモナイまま終われるもんデスカ!!)
あと半周ある。せめてこの半周だけでもちゃんとした走りをしたい! そんな意地が疲労困憊の彼女を走りに駆り立てる。
左直角コーナーを抜け、セカンドストレートに入った彼女はアクセルを踏み込む。代わらず加速に意識が飛びそうだけど、あそこまで、コーナー入り口まで行けばブレーキが踏める……!
(マダよ、マダマダ……ココっ!!)
ガツン!とブレーキペダルを踏み込む。その瞬間、彼女のカートはまたも華麗に
キュワワワワァーン……プスン
「ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ、ゼェッ……」
(ナンデ、ナンデヨ、モウ!)
またエンジンが止まってしまった。もうベガにはマシンから降りて押すだけの体力も気力も残っていない。ハンドルに頭を乗せたまま激しく息を切らせて、自分の情けなさに心で嘆く。
「おーい、だいじょうぶー?」
再びさっきの二人が駆け付けてくれた。代わらずカートの後ろについて、進行方向に向けてくれる。
「ほら、もうちょっと、頑張れ!」
「せーのっ!」
再び押し掛けで走り出すカート。でも、もう精も根も尽き果てたベガに、残りの僅かな距離を攻める気力は残っていなかった。
ノロノロと最終コーナーをクリアし、そのままピットロードに収まっていくベガとカート。
[STOP]のピットサインボードを掲げられたところでブレーキをかけ、マシンはプスン、と音を立てて停止した。ベガの試乗はこれで、こんなので終わってしまったのだ。
未だハンドルにしなだれかかってぜひぜひと息をつくベガに、周囲のギャラリーが集まって「大丈夫ー?」「降りられる?」と声をかける。それでも動かないベガの前に星奈かがみ込んで、ヘルメットのアゴひもを外して「脱がすよ」の言葉の後、メットを上に引き抜いた。
「スッゴイおもしろかったデス! ナニコレ、サイコーにエイキサイティングデス!!」
開口一番、ベガが放った言葉がそれだった。その青い目には涙をためていて、顔も真っ青で手足はがくがくと震えながらも、見た目とは全く違う感想を高らかに宣言する。
ベガ自身も、どうしてそんな言葉が出たのかは分からない。それこそ死ぬような思いをして、体力を使い果たし、前後に揺さぶられた内臓は重度の車酔いで吐きそうである。
それでもそんな見栄っぱりな言葉が出た事に、ギャラリー一同は思わず笑顔を見せた。
腕を引っ張られ、シートから根野菜のように引っこ抜かれた金髪碧眼の少女、ベガを少し離れた所から眺めていたここの社長、
(あの娘、レーサーの資質があるな。興味を持ってくれれば面白いのだが……)
そう、漫画のようにいきなりカートに乗って楽勝で乗りこなす人間など存在しない。誰でも最初は散々に振り回され、自分の力を超えるマシンを制御するのにクタクタになって当然なのだ。
レーサーの素質を見るのはその後、車から降りた時に意地を張れるか、それこそが一番大事な要素なのだから。
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カートを全くご存知ない方の為に、近況ノートの方にベガとカートのイラストを載せておきました。
https://kakuyomu.jp/users/4432ed/news/16818093081139160041
デフォルメしたサイズじゃありません、こんなちっちゃい車なんです。
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