傷つく心

「あら? もしかして、瀬名川くんの新しい妹さん?」


 市川の弾んだ声が耳元で聞こえた。

 なぜ、そんなに楽しそうに言うんだ。

 どういうことだよ?


 マオがぎこちない動作で市川に向かって頭を下げる。

 同じ学校に通っているのだから、私服姿であっても、市川が生徒会長だということはわかったようだ。


「カワイイ妹さんね」


 そうだよ。市川と違って、マオは可愛くて素直で、純真なんだよ。


 というか、マオの肩に手を置いている隣にいる見慣れない男は誰だ?

 うちの学校の生徒ではないな。

 なぜ、あんな男とマオが一緒にいるんだ?

 オレのマオから離れろ!


 もともとの機嫌も悪かったこともあり、すごい形相でマオの隣に立つ男を睨んでしまったようだ。


 マオと男の表情に怯えが浮かぶ。


 そういえば、マオは「レイちゃんと会う」と話していた。

  レイちゃんという響きと、母とマオの会話の内容から、てっきり今日、このショッピングモールで会うのは女の子と思っていたのだが、『幼馴染みのレイちゃん』は男だったのかと焦る。


「もしかして、隣にいるカワイイ男の子は彼氏かしら? ふたりともとってもカワイイわね。お似合いのカップルじゃない?」

「え?」


 その言葉に驚いてしまい、オレは反射的に顔を市川の方に向ける。


 ……それは、偶然だった。


 顔を近づけていた市川の頬に、オレの唇が触れてしまう。

 ただかすっただけなのだが。


 きゃっ! とかいう、市川のやけに嬉しそうな声にイラっとくる。

 市川は頬を赤らめ、恥ずかしそうに、手に持っていた映画のパンフレットで顔を隠す。


(ちょっと……)


 これは、とてもまずい展開ではないのか。

 嫌な予感がして、マオの方を見る。


 マオはオレの方を向いているようで、オレではなくて、隣の市川の方を見ている。


(今の……見られた?)


 気持ち悪い汗がいっきに吹きだす。

 心臓がバクバクとうるさくて破裂しそうだ。

 すごく、すごく嫌な予感がした。


「瀬名川くんの妹さんね。わたしたちもデート中なの。さっきまで映画を観ていたんだけど、これから食事をしようと思って」


 パンフレットで口元を隠しながら、市川がこの沈黙を破った。


 マオはじっと市川を見ている。

 いや、市川の口元を隠しているパンフレットを見ているんだ!


 この休みにふたりで観に行こうと約束していた映画のパンフレットだ。


「あなたたち、もう食事は済んだの?」

「お、おい、市川!」


 可愛らしいマオの口が、何度か開いたり閉じたりした後、オレと目があう。


「よかったら、みんなで一緒に食事なんてどう? ダブルデートっていうのも楽しいわね」

「市川!」

「あ、それとも、お邪魔かしら。ふたりだけの方がよかったかしら?」


 美しい市川の声が、なぜか毒をはらんでいるように聞こえた。


 マオの顔がくしゃりと歪む。

 瞳がじわりと潤んでいる。

 今にも泣きだしそうなマオの顔に、オレは息をのむ。

 あんなに悲しそうなマオは初めて見る。


 オレがマオを泣かせてしまった。


 頭の中が真っ白になった。

 なにか言わなければ、と思うのだが、言葉がでてこない。


 この状態だと、家族に嘘をついて、家族との用事から逃げてデートをしている……にしか見えない。


「マオちゃん! どこに行くの!」


 男にしては高めの声がオレの耳に飛び込んできた。


 マオはオレたちに背を向けると、駅の方に向かって歩き……いや、走りはじめたのである。


「マオちゃん! 待って!」

「マオ!」

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