魔法使いの勘違い

東妻 蛍

事始

 魔物たちの動きが活発になるという赤い月の輝く夜、私は運命の出会いをした。……そう信じていたのだけれど。いや、まだ信じていたいのだけれど。現実というのは時に非情なものである。

「もうさ、よくない? 一回家帰りたいんだけど」

「ダメですよ! 貴方、世界救うんでしょうが!」

 私が探し求めていた勇者様はどうやら相当なダメ人間らしい。飽きっぽくて実家大好き。そして面倒なことは大嫌いときた。逆になんでこの人はわざわざ生まれ育った村を出てまで冒険者になったのか。まさか生まれ持った運命とでも言うのだろうか。呆れ果てた顔を隠しもせずに勇者――アル様を見ていると、彼は少しばつが悪そうに唇を尖らせた。

「そもそも。世界とかでかいこと言われてもなあ。なんだかんだ言ってもなんとかなんだろ」

「なんとかするのが貴方の仕事なんじゃないんですか」

「まじで? 聞いてねえよー」

「……そんなにめんどくさがりなのに、なんで私のことなんて助けたんですか」

 巨大な魔獣に襲われて死ぬ一歩手前だった私を助けた人と同一人物だとは思えない。あの時はアル様も傷だらけになって、本当に危険な目にあったのに。

 あの時のアル様の姿を思い出すと自分が生きていることへの安堵や目の前の恩人が大怪我を負っているという焦燥感がないまぜになって今でも涙がこぼれそうになる。そして自己嫌悪がやまなくなる。どうして私は世界の英雄――命の恩人に対してこんなに口うるさいことしか言えないのだろう。

 突如黙り込んだ私を見て、アル様は不思議そうに首を傾げた。そして「うーん」と少し考えるそぶりをして不敵な笑みを浮かべた。

「あれは仕方ない。一目ぼれだったし」

「じょ、冗談言ってる場合ですか」

 ああ、また憎まれ口をたたいてしまった。本当にかわいくない女。だから故郷からも捨てられるのだ。故郷のみんなが私に向けていた視線を思い出して身震いする。あれはもうはるか遠い日のことだというのに。

「ギィちゃん? どうした?」

「なんでもありません。大丈夫です」

「そう? あ、疲れたんなら遠慮なく言ってね! なんならここらで休憩する?」

「早く進まないと次の村に着かないでしょう。……それに休みたいのはあなたでは?」

「ばれちゃったかぁ」

 ケラケラと楽しそうに笑うアル様を見て一人こっそりと安堵の息を吐く。しかしきっと全てアル様にはお見通しなのだ。普段飄々としているのにこういうところで変に敏いから、私の様子がおかしいのに気が付いて気を紛らわせてくれたのだ。こういう時にちゃんと礼を言えない己の頑なさにため息を漏らすとアル様は「ため息つくと可愛い顔が台無しだよ。あ、いや、やっぱそうでもないわ。どんなギィちゃんも可愛いね」と笑った。軽薄な言葉に顔を強張らせたのも致し方ないと思う。

「まあこの辺はそんなにやばい魔物もいないし、最悪野宿になっても大丈夫でしょ。野営用のテントはもちろんギィちゃんが使ってくれていいよ。俺は外で寝ますので!」

「いや、それより早く抜けましょう。町に入ってしまった方が絶対にいいです」

 危険な魔物はどちらかと言えば夜行性なことが多い。危険な魔物が少ない地域とはいえ夜に出歩くのは危険だ。この森を抜けるとそれなりに大きな町にたどり着く。私の故郷とは違って多くの人が住む町だから、恐らく魔物除けの結界もちゃんと張ってあるはずだ。

「町まで行くって言っても、ギィちゃん路銀あんの?」

「……そんなにはないです。でも、町にさえ入ることができれば広場で寝てもいいので」

「あー、まああの町なら結界で魔物入ってこれないもんな。でもそれなら俺が夜でもちゃんと見張るよ?」

「なんでそんなに町に行きたくないんですか」

「いやぁ。ここならギィちゃんと二人っきりじゃん?」

「……」

「やだ。そんな目で見ないでよ。冗談です。ちゃんと歩きます」

 先ほどからアル様がずっと休みたがっている理由は私を心配しているというのもあるけど、自分の体調のこともあるのだろう。隠しているようだがずっと脇腹をかばって歩いていることくらい流石に私も気づいている。恐らく先日私を助けた際の傷が治りきっていないのだ。申し訳なさで胸が苦しくなる。

 本当はアル様のことも気遣ってあげたいのだが、こればかりは仕方ない。どうしても私はここで夜を迎えるわけにはいかないのだ。とても彼に理由は告げられないが、とにかく今は町にたどり着きたかった。結界の中に入ってしまえば、きっと誤魔化せる。

 そう思って急いでいたのだが、ふと背後の足音が消えたことに気が付く。まさかついに愛想をつかしたアル様に逃げられてしまったのだろうか。慌てて振り返ると彼は険しい顔で空を睨みつけていた。

「あ、アル様?」

「……来ちゃうなァ。ギィちゃん、急いでるとこ悪いけどちょーっと時間くれよ、なっ!」

 アル様が言い終わるよりも先に、空から巨大な塊が降ってきた。突然のことに動けない私に大きくて鋭い何か――爪のようなものが襲い掛かる。逃げなければいけないことは分かっているのに硬直した体が言うことを聞いてくれない。もうだめ。しかし私に鋭い爪が突き刺さるよりも速くアル様が抜いた剣で襲ってきた何かの足を切り裂いた。

「あ、あぅ……」

「一羽、だな。ギィちゃーん、ちょっと隠れといて。大丈夫。この前のよりマシっぽい!」

「ましって言ってもぉ!」

 二本しかない足を一本切断されてしまってバランスがとりづらいのだろう。巨大な魔鳥はホバリングをしたまま威嚇なのか痛みに耐えているのか耳をつんざくような甲高い叫び声をあげた。この間襲い掛かってきた猪のような魔獣よりも大きい気がするのだが。一体何をもってアル様は「マシ」と言い放ったのか。ただアル様の戦いの邪魔になるわけにはいかない。震える足を叩きながらなんとか一番近くにあった大木の陰に身を隠した。そんな私の姿を見て、アル様は安堵したように笑みを溢す。この状況でなんでこの人は笑っていられるのだろうか。これが勇者の余裕なのだろうか。

「さて。かっこいいところ見せて惚れ直してもらいましょうか」

 アル様は魔鳥に向けて剣を構え直した。惚れ直すもなにも惚れていた事実がないのだが。そう思ったが、今の私には彼に縋るほか方法がない。というか突っ込みの声なんて出せるだけの余裕が全くない。

 アル様が動くよりも先に魔鳥はこちらを怯ませるように金切り声を上げた。私はすっかり腰を抜かしてしまったけれど、アル様の体は少しも揺るがなかった。ただまっすぐに魔鳥を見据え、そして私が瞬きをしていた間に私の視界から消えた。

「え」

 私が声を漏らしたのとドーンと大きなものが地面に打ち付けられたような音と振動が襲ってきたのはほとんど同時だった。そして鼻に届く鉄の臭いに顔を顰める。これが本当に鉄の臭いじゃなくて血の臭いなことくらいよく知っている。巻き上げられた土煙で何も見えない。魔鳥はどうなったのか。アル様はどうなったのか。この血は誰のものなのか。

「あ、ある、さま」

「ギィちゃん、呼んだ?」

 震える唇でようやく彼の名前を呟けたというのに、彼から返ってきたのは普段通りの明るい声だった。安堵からどっと体の力が抜ける。そんな私の姿が見えたのだろう。アル様は慌てて私のもとへ駆け寄ってきた。

「ちょ、ギィちゃん大丈夫? 怪我とかしてない?」

「それはこっちのセリフですよぅ。アル様は大丈夫なんですか?」

「平気平気。あれも図体がでかかっただけだからさ。この辺は危ない魔物は出ないし」

 アル様はそう言って笑ったが、倒れている魔鳥を見る限りあれが本当に危ない魔物ではないのか甚だ疑問だ。どう考えたって先ほどまで時々出てきていた小さな魔物と同じ括りに入れていいはずがない。ああ、やはり。

「ギィちゃん、大丈夫?」

「アル様……お話があります。いえ、本当は最初にお伝えせねばならなかったのです」

「な、なにを改まって……どしたの」

 気を抜けば溢れてきそうな涙をぐっとこらえ、覚悟を決めてアル様の方を見る。アル様は目を丸くしていたが私の本気を察したのか普段ならよく回る口を閉じて私を見据えた。

「私、どうやら魔物を惹きつけてしまうようなんです」

「ん、どういうこと?」

「長老いわく私の魔力は純度が高いらしくて。体の成長とともに魔力もだんだん大きくなってきたから魔物が私を狙うようになったんじゃないかって言われました」

「えーっと……じゃあこの前の猪も今回の鳥もギィちゃんを狙ってきたってこと?」

「恐らく。……本来ならこの辺りには出るはずもないくらい強力な魔物です。こんなところに現れたのは私を狙ったからではないかと」

 村にいられなくなったのもこの体質が原因である。とはいえ追い出されたわけではない。私が勝手に逃げただけだ。それだって村のみんなを案じたからではない。敵意に満ちたあの目にさらされることに私が耐えられなかっただけ。いつだって私は自分のことばかり。

「本当は最初にお伝えしなければならなかったのです。だって、私といたら危ない目に遭わせてしまう。……分かっていたのに、私は」

 全て分かっていて、それでも黙っていた。アル様が危険な目に遭ったのは私のせい。いやそれよりもっとひどい。私は自分のために彼を危険な目に遭わせたのだ。本来であれば戦うことを厭う彼を無理に私の都合に付き合わせて。

 アル様はまだ何も言わずに普段とは全く違う神妙な面持ちで魔鳥を見つめている。そして大きく息を吐いた。ああ、自分勝手な私に呆れてしまったのだろう。溢れそうな涙をぐっとこらえる。泣くな。私に泣く権利なんてない。

 しかしくるりとこちらを向いたアル様の表情はいつもと同じく極めて明るいものだった。

「てことは、ギィちゃんといたら強い魔獣狩り放題ってこと?」

「……は?」

 アル様の言葉に理解が付いていかない。今彼は何と言ったのだろう。固まったまま目を瞬くと溜まっていた涙が勝手に零れる。アル様はそれを見て目尻を下げ、私の涙をそっと拭った。

「レアな素材獲り放題じゃん。俺たち大金持ちだよ」

「で、でも。危ないじゃないですか。アル様だって、いつ命を落とすか」

「死なねえよ。ギィちゃんを置いて死ぬわけにはいかねえからなぁ」

 だから俺に任せておけと言ってカラカラと笑うアル様は冗談を言っているようにも見える。しかし私は知っているのだ。彼はこれを本気で言っている。「どうして」という私の呟きにも彼は笑いだけ返してきた。しかし突如ハッとしたように目を見開き私の肩を掴む。

「よく考えたら、このままだとずっとギィちゃんが危ない目に遭うじゃん! なんか対策ねえの!?」

「え、えーっと……魔力をどうこうはできないので、魔物が出ないようにする……もしくは出ても弱いものだけになるようにする、とか」

「うーん、俺の頭じゃ分かんねえな。そんなことできるわけ?」

「難しいです。でも今時々出てくる強力な魔物は魔王が力を分け与えてその姿にしているという話なので……」

 だから魔王を倒してほしいとはどうしても言葉にならなかった。無理難題だって分かっているから。だって今まで私はこの人を勇者だと思い込んでいたけれど、本当に勇者かどうかなんて分からない。ただ私は自分に都合がいいようにことが進んでいると思い込みたかっただけだ。

 とにかく魔物除けの結界の中に入ってみてどうなるかを確認したい。そう告げようとしたのだが、アル様はポンと膝を打って私に笑みを向ける。

「よぉし、分かった! じゃあ行くか!」

「へ……?」

「魔王のとこ。辿り着くまでには魔王倒せるくらい成長するだろ。俺、やればできるって言われてるから大丈夫だって」

 やればできるというのは褒めるところがない時に使われるとか聞いたことがある。いや、今そんなことはどうでもいい。この人、本気で言っているんだろうか。いや、ここまで彼のことを見ていたから分かる。この顔は本気の時だ。

 呆然とアル様のことを見つめ続ける私の頭をそーっと撫でて安心させるように「大丈夫」と言った。

「俺、自分が勇者だなんて思わない。でもさ、このままだとギィが危ない目に遭うっていうんなら頑張っちゃうよ。魔王、とっとと滅ぼしちゃおうぜ!」

「な、なんなんですか、それぇ……」

「だって、好きなんだから仕方ねえじゃん?」

 こちらを揶揄うような軽口にはまだ慣れない。しかしこの人は本気で言っているのだ。どうしてこんな可愛げの一つもない女にそこまでしてくれるのかなんてまだ分からない。でもこの人の底抜けに明るい姿を見ていると、私も頑張ろうと思えるのだ。この人を信じてみたい、この人ならば信じられる。そう思うのだ。

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