忍び寄る災厄

「……ぴぎ?」


 『それ』が目覚めたのは、金熊の森の奥深くだった。


「ぴぎ? ぴぎ!」


 外見はただの可愛らしいスライム。強さだって、そこらに居るスライムと何ら変わりない。

 だが、『それ』には一つだけ普通のスライムと違う点があった。


「ぴぎゅ!」


 『それ』は、近くにあったオークの死体に気づく。すると、躊躇なくそれに飛びついて捕食を始めた。

 別に捕食すること自体は何もおかしくない。スライムに限らず、弱い魔物は戦わずに手に入る植物や死体をよく食べる。しかし……


「ぴぎ? ……ぴぎ!? ぴぎゅーっ!」


 唐突に、『それ』の体が変化し始めた。透き通ったほぼ水で構成されたボディが、段々と何かに変化していく。透明だった色合いは、脂ぎった汚らわしい肌色に。ほぼ水だった脆い体は、ちょっとやそっとで傷つかない分厚い脂肪に。それらの特徴は、スライムが捕食したオークとだった。

 そう、『それ』は捕食した獲物のを得る能力を持っていたのである。


「ぶひ! ぶひ!」


 全て、とは何か。それは見た目や特徴だけではない。強さや、頭脳、知識もである。

 そんな能力を持つスライムがオークを捕食した結果、文字通りオークの全てを得た。そうしてもはや無力ではなくなった『それ』は、次なる獲物を探して彷徨い始めた。




 森の奥地にて。不運なことに、一人の少女が『それ』の獲物になってしまった。


「嫌だっ! お願いだから、たすけてっ!」

「……ぶひ」

「やだ……やだやだやだっ!」


 必死に助けを乞う少女。しかし少女のそんな足掻きも空しく、少女は『それ』に捕食された。


「ぶひ……ぶひぃ!」


 その瞬間、またも『それ』の体が歪みだす。その変化が終わるころには……


「へえ。私っテ、人間の間ではスライムって呼ばれてるんだネエ」


 そこに居たのは、先ほどまで襲われていた少女だった。なんだか不自然な発音で


「ふむふむ、それで最初に私が食べたのはオークっていう魔物で……ヘエ。なるほど、この子は冒険者って仕事をシテたんだー」


 可愛らしい表情で、自身のことを……いや、喰らった獲物のことを考える『それ』。少女を喰らったことで、人間の知識と頭脳まで手に入れた『それ』は、次なる獲物に思いを馳せる。


「次はどうしよっかなー? 今の私はEランクくらいの実力しかないしー……そうだ、良いこと思いついチャッタ♪」





「い、痛い……痛いよっ、誰か助けて!」

「おい、大丈夫か!?」


 金熊の森でオークを狩り続けて、数十年。ベテラン冒険者であった男は、怪我を負った少女を見つけた。

 そしてそれは、そんなに珍しいことでもなかった。


「痛い、痛イヨォ……」

「落ち着け、今手当てしてやるから……はぁ。これに懲りたら自身の実力に見合った狩場で戦うんだぞ」


 金熊の森は、雑用やゴブリン退治で経験を積んだ低ランクの冒険者たちが、次の狩場とする初心者向けの場所だ。しかしながら、時々それらの下積みをすっ飛ばしてここに来る無謀な新人も多いせいか、魔物の強さの割に怪我人や死者が出やすいのだ。

 何回もそれを経験してきた男は、お決まりの忠告をしながら慣れた手つきで手当をしようとして――


「なんだこれ、めっちゃ肌がぶにぶに……スライムみたいになって」

「いただきまーす♪」


 あっさりと『それ』の餌になってしまった。

 男は、決して有能な冒険者では無かった。長年にわたって冒険者として戦い続けたのにも関わらず、実力はずっとEランク。名目上はDランクだったが、それは年功とお情け込みのものだった。

 それでも、彼は慕われていた。不相応な強敵に挑んだ新人が居れば自身の危険を顧みずに加勢してやり、怪我をしている者を見つければ治療してやり、重症の者が居れば急いで街の教会まで運んでやった。事実、この街の大半の冒険者は、新人のときに彼に世話になった経験がある。彼は善人であった。

 そして男は、その献身や経験が評価されてギルドの職員にスカウトされた。そして、来月からはギルドに勤めて、遂にその努力が報われる――はずだったのに。


「へえ、色んな冒険者からこの人間は慕われてるのか。これ、結構使えるカモシレネエナ」


 今や、周囲を助け続けて得たその信頼は。


「キースさん!? ど、どうして……」

「お、お前、キースじゃ、ない……!?」


 最悪な形で、使われていた。




 『それ』はどうしようもなく、幸運だった。『それ』が生まれたときに、周囲に強力な魔物が居なかったこと。近くに捕食出来るオークの死体があったこと。そして、生まれた場所が『それ』にとって狙い目である、未熟な冒険者が狩場とする金熊の森だったこと。

 まるで仕組まれたかのような幸運に恵まれた『それ』が強くなるのは当たり前のことだった。


「分体をつくれるようになったし、同族もいっぱいつくれるようになったし、最近タノシイなー♪」


 『それ』は、さっき自身がつくりだしたスライムを撫でながら、楽しそうにしていた。


「こんだけ人間が居ると食べきれないや。しょーじき、強くなりたいなら弱い人間はイラナイし……そうだ、大半は洞窟に閉じ込めて後でタベヨっと!」


 少女の見た目をした『それ』が明るげに話していた、その時。


「分体が、いっこやられた? ふーん……」


 もはや、『それ』が気づかれるのは時間の問題だ。多少の人間の部隊ならどうとでもなるが、国に目をつけられれば厳しいだろう。


「この際、強い人間をいっぱい食べてモット強くなるカァ。強い人間も人間多いとこにいっぱい居るデショ、多分」


 その結論に辿り着いた『それ』が次に向かう場所など、分かりきっている。

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