初恋を拗らせた女子と故郷で再会したら気まずくなった

みとけん

切り抜きエピソード

【切り抜きエピソード】小学校教師・伊勢里映

このエピソードは第1話~第3話を切り抜き・編集した内容になります。

試し読みなどの際にお読みください。


第1話 「北広島は田舎じゃないんですけどおっ!?」


それは、予報外れの大雨が降った日だった。


 朝時点の予想進路から台風の目がゆるりと機嫌を変えて、低気圧の外縁を我らが市立緑葉小学校上空に吹き込んだのである。


 *


――こうして、傘を持った俺と、傘を持たない女子が二人きりになった。何度か集団下校をしているんで知っているが、彼女の家は俺の家よりもう少し遠いところだ。


リュックを頭に掲げて歩き出す彼女の肩を、俺は叩いた。


「おい、ちょっと。エビ!」


「えっ、何?」


 呼び止めたは良いが、俺ははたと困ってしまった。


 ここで俺の傘に彼女を入れるのは簡単だけど、それは、エビと相合い傘をするということだ。相合い傘というのは好きな女子とやるもので、俺は彼女のことを好きでも何でもない。


 二人で同じ傘に入ることは避けなければならない。が、


「……傘!」と、沈黙に耐えかねて俺は父親のこうもり傘を彼女に突き出したのだ。


 エビはゲッと眉を顰めて、口元をにやりと歪めた。


「え、相合い傘? まっちゃんと? うええ~?」


「ち、違うわっ。貸してやる。お前ん家遠そうだし」


「それじゃ、まっちゃんが濡れちゃうじゃん。良いよ、別に。私濡れても平気だし」


「あー……と。俺、この後けいちゃん家遊びに行っから、ダッシュで帰るから」


 え、っと言葉を詰まらせた彼女に、無理矢理傘を握らせる。


「ちょ、ちょっと! まっちゃん!」


「明日返せば良いから! じゃあな!」


 *


「北広島は田舎じゃないんですけどおっ!?」


 何故かまずいことを言い当てられたように顔を赤らめて否定してくる。


「地元出た人って、すぐ田舎田舎って言う……! こっち残ってる人間からしたらマジ不快なんですけど」


「わ、悪かったよ。けど、本当に居酒屋なんてあんの?」


「あ、り、ま、す~! ここら辺は最近賑わってるんです~! これから北広島が北海道の中心になるんです~!」


「ああ。それってエスコンフィールド効果?」


「そっ。今や北広島は正真正銘日本ハムファイターズの拠点だし!」


「拠点ねえ……」


 ふと目線を横に向けて、俺は見慣れたはずの町並みを眺めた。昔住んでいた俺の家は駅からは正反対の方向だったので比ぶべくもないが、やはり変質している感じはあるかな。


 この町は今も変わり続けているというわけだ。


 小学生までを北広島で過ごした俺にとっては、嬉しいような、なんだか取り残されたような――


「あ、そういえば、まっちゃ――松尾」


「ん?」


「……おかえり」


 昔のあだ名をつい呼んだのが恥ずかしいのか、少し間を取って伊勢は言った。


「ただいま。久しぶりだな、エビ」


 彼女の名前は伊勢いせ里映りえ。名前をひっくり返して、イセエリ。誰が読んだか伊勢エビ。俺が縮めて、エビ。


 ***


第2話 「すれば良いじゃん。結婚」


「それじゃあ、地元に残ってるのはそのシングルマザーの鈴木さんだけか」


「多分だけど。……あ~あ。松尾のせいでしんみりしちゃった。私たちもう二十七になっちゃったよ。子供の頃はとっくに結婚してると思ってたのにさ」


 気分を損ねてしまったのか、クラスメイトの話は早々に切り上げられてしまった。


 ……まあ、流石に北広島に残ってる奴は多くないよな。道外に出て行く奴だってたくさんいるだろうし、それでなくともすぐ隣は都市・札幌だ。


「侘しいこと言うなよ、昔と今じゃ独身の割合だって違うだろうに」


「それ、慰めにもならないし。この間なんて私、クラスの子に『お母さん』なんて呼ばれちゃったんだよ。あ~あぁぁ……」


 うめき声を上げながら、少しべたつくテーブルに突っ伏してしまう。


 不思議なもんだ。伊勢だって、ガキ臭い性格と人を小馬鹿にした目付きを別にすれば割と綺麗めの女性ではある。俺たちの年代からすれば、まず彼氏がいると考えて良いようなスペックなのに。


「すれば良いじゃん。結婚」


 彼女は若干やさぐれた目付きで首をもたげると、少し顔を赤らめてこんなことを聞いてきた。


「……松尾は、どうなの」


「なにが」


「結婚。結婚願望、とか――さあっ」


「ない」一度ビールを呷って、言葉を継ぎ足した。「ことも、ないかな。そのうちマッチングアプリとかやるかも」


 俺の言葉に、しな垂れていた伊勢の首がシャンと真っ直ぐになる。


「え!? やめな~!? そんなんやるくらいなら、私みたいに正々堂々と出会いを待ちなって!」


「俺はエビ程恋愛脳じゃないんで。三十になったらいよいよだぞ」


「あ、……じゃあこうしようよ」腕を組んで、諳んじるようにこんなことを言い出す。「お互い出会いが無いまま三十になったら、私たち結婚するの。売れ残り同士、お似合いだし」


「え」思わず顔が強ばる。三十になったら――なんて碌でもない約束、普通二十代前半でするもんだ。三十路近くで言う奴なんて最早痛い。「最悪だな、それ。それじゃあ、東京帰ったら真面目に恋人探さないといけないじゃん」


 すると、伊勢は何とも言えない笑みを浮かべて料理を口に運んだ。


 ***


第3話 「うちで雨宿りしてっても良いんだけど」


 伊勢がトイレに行っている間に、会計を済ませた。


 戻ってきた彼女が机の上のレシートに目を付けて、おやっという顔をする。


「あれ、もう払ったの? 幾ら?」


「いいよ。ここは俺が支払うから。早くそれ飲みきっちゃえ」


 グラスに口を付けながら、不思議そうに俺を見つめる。半分近く残っていたので、飲み干す頃には顔に赤が差していた。


「ん。飲んだ」


「よし。じゃあ行くぞ」


 さっさと店を出ると、駅前までの道中で「ねえ、やっぱり私出す……。割り勘で良いでしょ」とまだ言ってくる。


「要らないって。店の外でこそこそ金もらってたら、なんかみっともないだろ」


「じゃ、二軒目は私が払おっか」


「もう終電だ」


「え」


 伊勢がポケットからスマホを取り出して時間を見た、バックライトで伊勢の赤い顔が夜に浮かぶ。


「うっそ! もうこんな時間。え、ていうか電車乗るの? こっち泊まらないの?」


「すすきので知り合いの部屋に間借りしてるんだ。宿代なんて一々払ってらんないしな」


「結局、松尾の話全然聞けなかったし」


「だから、別に面白くないって。ほら、早く行くぞ」


 早々と歩き出す俺に、何故か伊勢の足が付いてこない。振り返ると、例のむかつく笑顔で俺を見ている。


「あはははっ、松尾、酔っ払いすぎ。駅はあっちだし」


「先に駅に行ったら、誰がお前を家に送るんだよ」


「……あ-。なる、ほど……」


 勘違いしたのが恥ずかしいのか、しおらしい態度で俺の横に付いてくる。それに、伊勢の足取りはやや不安定だ。きっと最後にかっ込んだハイボールが効いてきたのだろう。額を擦りながらふらりふらりと俺に衝突しながら歩く。


 どこまでも静かな夜だった。


「……ちょっと、久々に酔った、かも。ふう……」


「大丈夫か?」


「大学の頃はもうちょっと、強かったんだけどね」


 力なく笑った顔が妙に大人びて見える。見えるというか、大人なんだけど。


「伊勢、変わったよな」と、思わず素直な言葉が口から零れた。


「変わるよ、そりゃあ。もう児童じゃないんだし。どこが変わった?」


「……丸くなったかなあ」


「は? 太ったって言いたいの?」


「じゃなくて、性格的に」


「普通は綺麗になったとか言うところなんですけど」


「ああ、綺麗にもなったよ」


「……じゃ、それを先に言えしっ!」


「いや、そういうことを言いたいんじゃなくってさ――」


「ああ~、酔ったあ。明日休みかあ」


「伊勢に会えて良かったって言いたかったんだよ」


「…………」


 急に押し黙った伊勢を訝しんで見てみると、目をぎゅっと瞑って、右手で真っ赤な顔を覆っている。


「……おい、そんなに酔ったのか?」


「うん――そう――平気――なんで――?」


「なんか変な顔してたから」


 俯いたまま、顔を覆っていた右手で胸元をぴしゃんと叩いてきた。大して痛くはない。


「じゃなくてっ。なんで私に会えて良かったの」


「ああそっちか……俺って、あんまり野球に興味無いんだよな」


 伊勢は額を指で擦りながら、横目で俺を睨む。


「はあ?……野球……?」


「そう。ファイターズも、せいぜい札幌のサウナで見るくらいなんだ。だから――」


 俺は空を見上げた。星は見えなかった。


「多分、北広島に来ることは二度と無いんじゃないかと……」


 *


 伊勢の住まいに到着する頃には、雨の勢いは地面を打ち鳴らす程になっていた。騒がしいのはむしろ木々で、葉の間に侵入した水を、枝を奮って追い出しているようだった。


 「……はい。じゃあね。おやすみ」


「おやすみ」


 小さなエントランスの庇から雨降る町に降り立つ。振り返るとまだ伊勢がオートロックを抜けずに俺を見つめている。目が合って、小さく手を振ってきた。


 ――結局、この町に来た目的は叶わずか。


 そもそも俺に、それを叶える意思があったのか――


 それにしても雨脚が強まりつつある。終電までは少しばかり余裕があったんで、近くのセイコーマートに入った。店員は姫カットの割と若めな女性――マジで若いな。大学生くらいか? この辺りでは見慣れない人間が来たんで驚いている、というか警戒しているんだろう。レジに立ちながらじっと俺を見つめている。


 なんだか長居しちゃ悪いような気がしたんで、折り畳み傘を買ってさっさと出た。


 すると、歩いてきた方から息切る音と水が跳ねる音がして――


「松尾っ……」


「伊勢?」


 街灯の下に伊勢が立っている。傘も差さずに、肩を濡らして。


 買ったばかりの傘を伊勢の上に開いた。彼女は少し潤んだ目で真正面から俺を見上げる。息も上がっているようだ。


「走ってきたのか? どうした? 忘れもんとか……してないよな?」


「――あ、ああっ、とっ」


「…………」


 伊勢は息を整えながら、たっぷりと間を取って言った。


「うちで雨宿りしてっても良いんだけど」


 ……雨宿り?


 俺は自分が今持っている傘を見上げる。傘を持っている人間に雨宿りを勧めるってのはどういうことだ。


「だから、もう終電――」


「んん」彼女は目を合わせないように俯いて、「それは分かってるけど」と呻く。


 一歩、いや、数歩遅れて伊勢の言っていることに理解が及んだ。

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