第35話 妖精の言う粗末とは?


 深夜になるであろう時間帯。

 薄暗い室内に、魔道ランプが淡いオレンジの光でテーブルの上を照らす。

 カランと音を立てて、グラスに入った氷が揺れた。


「―――どういう心境の変化だ、アマンダ?」


 手札のトランプカードを片手に、ギガンがアマンダに話しかけた。


「どうもこうもないわ。最善の選択をしたまでよ―――ダウト」

「ちっ!」


 ダウトを見破られたギガンは、その場にあるカードを全て手札に加えることになり、舌打ちした。


「だって可愛いじゃない?あんなに必死におねだりするなんて、多少のお願いなら叶えてあげたくなるわ」

「多少ねぇ?お前、虫が無茶苦茶嫌いじゃねぇか」

「悲鳴を上げて逃げ出すんじゃなくて、踏み潰したくなる嫌悪感だからいいのよ」

「お~こわ」

「それにねぇ、綺麗な瓶を差し出して「あんとねすとにいきたいです。おねがいします」って虫よけまで作って頼まれちゃ、OKせずにはいられないわよ。まるでプロポーズみたいで、久しぶりにときめいちゃった!アレで拒否したら嫌われちゃうわ」


 それだけは嫌だと、アマンダは困ったように笑みを浮かべた。

 その綺麗な瓶(霧吹き)を購入したのはディエゴなのだが、賢いので黙っておく。

 初めてリオンから「おねーさん」と呼ばれたのが、余程嬉しいらしい。そう言われると何でもお願い事を聞きそうで、歯止めが利かなくなりそうだと嘯いた。


「あ~止めだ止め!トランプなんざやってても、ディエゴばっか勝つわけでもねぇし、この実験はしまいにしようぜ!」

「負けが多いから、ギガンは特別扱いされてないだけなんじゃない?」

「たまには勝つ!」

「そういうことにしておきましょ」

「あまり意味のない実験だったな」

「ディエゴが連勝してりゃぁ、確認できたんだけどよ」


 ブラウニーは特別に愛情を注ぐ人間の手助けをすると言われている。だから実験感覚でトランプを始めたのだが、ディエゴにこっそり手札を教えてくれるような、不思議な感覚はなかった。

 サービス精神は旺盛だが、誰かを特別扱いするような気配は今のところはない。一番懐いているのは、当然ディエゴなのだけれど。

 だがそのディエゴを中心として、リオンはパーティ全体に尽くしてくれていた。


「それにしても、リオンは大分言葉が話せるようになったな?」

「ああ、なるべく喋るように努力をしているらしい。ただどうも発音が難しいらしくてな」


 単語喋りは仕方がないと、ディエゴは言った。

 ヒアリングは完璧なので、話しかけられる分には問題ない。


「それならそれで、可愛いからいいじゃない?」

「お前は何でも可愛いで済ますんじゃねぇよ」

「可愛いは、正義よ!」

「はいはい」 


 そうして暫く、沈黙が落ちる。

 テオやチェリッシュも寝ており、リオンは元から早寝なので静かなものだ。彼の活動開始時間は早朝からなので、おとぎ話のように真夜中に活動することはない。人が多いと隅っこやディエゴ(シルバ)の後ろに隠れるところは、聞き及んでいる妖精の行動そのものなのだけれど。

 そして彼が寝る前に、晩酌もほどほどにと言いながら、感謝の気持ちを込めて寄越された、琥珀色の液体の入った角瓶を三人は見詰めた。

 ツマミまで出してくれるのだから、至れり尽くせりだ。察しも良くて、献身的ですらある。


「……こりゃぁ、どう見ても、この世の物じゃねぇよな?」

「存在しているなら、この世の物だろう?」

「そういう意味じゃねぇのは、解ってんだろうが」


 珍しい物は大体がダンジョン産のドロップ品である。だが鑑定されると一発で違うと判明してしまうので、誤魔化すのに苦労するだろう。


「本人には、俺以外の他人の前で、不用意に取り出すなとは言い付けてある」


 それは単に、酒だけの話ではない。その他にも、あってはならない珍しいものも含まれているのだろう。初日にリオンが取り出した、小さな家のようなテントもそうだった。


「作れないってわけじゃぁ、ねぇものもあるんだろうがよ」

「ホットサンドメーカー?ってやつのことかしら?」

「あれにゃ、参った。シュテル氏に目を付けられるとは思ってなかったしな」

「流石、商人よね。ルンペル商会って言えば、かなりの大店ですもの」


 自分たちのような冒険者であれば、「便利だな」「どこで売っているのだろうか?」で済ましてしまう道具である。

 様々な土地を行き来しているとはいえ、何が売れて売れないか、売っているのか、売っていないのかまで考えることはない。目端が利くというのは、そういうことなのだろうけど。

 そこまで考えて、ギガンが苦み潰した顔でディエゴに問い掛けた。


「ディエゴ、お前が私物だって言ってた、どこで買い付けたか判らねぇあのワインも、そうなんだろう?」

「……まぁな」

「ったく、美味すぎるんだよ。あんなのどこで売ってんだよ」


 このウイスキーだってそうだと、ギガンがぼやく。

 グラスの中身を一口含むと、すっきりとした香ばしさを感じ、重みのある味が口の中に広がる。

 今まで飲んだどんなウイスキーと比べても、明らかに違いが判ってしまう味わいだ。

 まだ誤魔化せる範囲とはいえ、こういった質の良すぎるモノは疑われやすい。

 リオンが誰彼構わず振る舞うことはないので、事なきを得ているだけで。

 ただ本人がよくある安物だと思い込んでいる物については、予想外の行動に出るかもしれないので、警戒が必要だが。


「本人曰く、安物で沢山あるから、気にするなと言っていた」

「これが安物なら、俺らは今まで何を飲んでたんだよ?腐った水か?」

「不思議よねぇ?でも、それでいいじゃない。妖精は気紛れなの。しつこく追及すれば、逃げてしまうわ」


 ブラウニーの善意を断ると、哀しんでその内いなくなると言われている。逆に過度に要求すれば、怒り狂ってやがてはボガードに転変する―――らしい。事実かどうかは不明だが、あえて試すほど自分たちは愚かではないと思いたい。


「ガキどもにも言い聞かせてるが、気を付けてやらねぇと、厄介なのに目を付けられることになるからな?」

「それは、シルバとノワルに頼んである」

「アイツらのガードがかてぇのは、そういった理由かよ。奴らが妙に過保護すぎると思ったぜ」


 それ以外にどんな理由がある?とばかりにディエゴに視線を寄越される。


「その場限りの兄弟設定だったのに、本当にブラコンになっちゃったみたいで、私は面白いけど?」

「そういやお前、何でも同じ物をいくつも買う癖があんだろ?なんかリオンも同じ臭いがすんだよな。似たような物を、何個も持ってるところがよ」

「分るわ~。並んでると、たまにそっくりな仕草をするのよねぇ」


 その場しのぎで取り繕った、兄弟という設定が嘘ではないことを証明するかのようだと、アマンダは楽しそうに揶揄った。

 その意見に同意するように、ギガンも神妙な顔をして頷く。


「いや、ありゃ死んだ魚の目だ。表情が似てて気味が悪ぃ。シルバも似たようなもんだが、エンゲージメントすると、性質が似てくんのかねぇ?」

「―――は?……いや、そんなことは」


 ないとは言い難いと、ディエゴは口籠った。

 召喚士の能力の一つに、【共感性】がある。似通った性質であればある程、エンゲージメントがしやすくなるというものだ。しかも精神的に繋がっているためか、シンクロ率が高くなるのかもしれない。

 ノワルはちゃっかり者なので違うと言い切れるが、何故か未だに住処に還る気配もなく居座っている。もしかしたら、その内似てくるのだろうか?


「とにかく、リオンがやらかさないよう、見張っとけよ?」

「あら、でもあの子の悪戯ややらかしのお陰で、この町も活気が取り戻せそうじゃない?」

「偶然にしちゃぁ、出来過ぎてっけどな。いいことずくめで、それが余計に妖精の仕業じみて、疑われねぇか心配になんだよ」

「何かしらの形で関わってるものねぇ。そこはディエゴの機転で切り抜けましょ。弟の面倒は、兄が見るべきだもの。ねぇ?」

「……」


 悪いことをしているのではなく、寧ろ良いことばかりなので、やるなと行動を制限する訳にもいかない。せいぜいが不思議なレアアイテムを、他人の前で出すなとしか言えないのだ。

 このウイスキーも、出していいか確認を取ってきたので承諾した。リオンは言いつけは守るのだ。しかし、実際に飲んでみれば、明らかに異質というか、質が良すぎた。予想外過ぎるのだ。

 本人は【粗末な物】というけれど、どこが粗末なのか、粗末の意味が判らなくなってくる。リオンのいう粗末で安物でないものとは、果たしてどんなものなのか。想像するのも恐ろしい未知の領域だった。


「まだ契約の手続きや、面倒なことが多くてしばらく滞在することになっちまったが、なるべく大人しくさせといてくれや。これ以上のラッキーな偶然は、寧ろ面倒な気がしてくんぜ」

「勝手にあちこち行くことがないから、そこは心配はしてないんだけど。寧ろ引き籠ってる感じよね?」

「家に住み着く妖精だからなぁ。居心地の良い場所からあんま動かねぇのかもな」

「やっぱり、拠点が必要よね。私たちにも、そろそろ必要だし」

「それな。だが、まずはアントネストだ。まさかあんなダンジョンに行きたがるとは、風変わりな妖精だぜ」


 切っ掛けは鑑定虫メガネを手に入れた事だろうが、それについては既に報告はしてある。

 若者たちが寝静まってから、こうして彼ら大人組は度々報告会をしているのだが、単純に晩酌を楽しんでいるだけではなかった。

 寧ろ酒がない方が多い。リオンのお陰で、こうして美味い酒とツマミが用意されているだけだ。


「拠点を見つけるにしろ、まずはテオやチェリッシュを鍛えねぇとなぁ」

「丁度いい機会だし、アントネストで苦手意識を克服させるのがいいわ。逃げることも大事だけれど、勝てる相手には、立ち向かえる勢いを身に着けさせましょう?」

「了解だ。では、今夜はここでお開きにしよう」

「そうね」

「だな」


 ラッキーな偶然も、重なり続けると厄介でしかない。彼らは今回のことで、それを痛感していた。

 願わくば、これ以上何事も起こりませんようにと、祈るしかなかったのだが。

 もう一つ、この町に降り注ぐ妖精がもたらす幸運が待っていることに、まだ気づいてはいなかった。



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