オニ先

オジ万剤

第1話 たった一言の挨拶




 私とあの人が交わす言葉は、



登校時の毎朝の「おはよう」「おはようございます」




たった一言の挨拶だけだった。




ただ、それだけで。ただ、それだけのことだった…。












桜も散り、青葉が伸び始めた頃。




生徒たちの騒がしい声が響く教室、授業の開始を告げるチャイムが鳴る。


その音と共に、ビシッとした背広を着こなす一人の男が入ってくる。


その男は教卓の前に立ち、一息吸う。



「授業を始める。静かにしろ」



一瞬、教室は静寂に包まれたと思われたが、またザワザワとした喧騒に戻る。


生徒達はさらに大きな声で騒ぎ始めていた。男は、そんな状況にも一瞥もせず




バンッ!!




突然、黒板を叩き、大きな声で一言放った。



「授業時間はもう始まってる。まだお喋りしたいやつは、廊下に出ろ。

後で、指導室で話し相手になってやるからな」



凄みのある男の声と表情に、騒いでいた生徒達は硬直しきっていた。

さらに男の声が教室内に響き渡る。



「お喋りは終わったようだな?

2年の数学を担当することになっていた河上先生だが、

体調不良のため代理としてこれからは私が授業を請け負うこととなった。杜門モリカドだ。

さて、授業を始める前に3つ私の授業について忠告をしておく。

1つ、この授業では毎回授業後に宿題を言い渡す。

2つ、授業の妨げをする等の行為を行った場合、その者に追加で課題を出す。

3つ、なお著しく改善が見込まれない場合は、生徒指導の権限を持って、指導室もしくは情報室に来てもらう。

以上だ。何か質問があるやつはいるか?」



静まり返った教室には反論するような生徒はいなかった。

いや、出来なかったのだ。

杜門の表情と声にはそれだけの威厳があった。



「(噂には聴いていたがこれがオニ先…顔が怖くて厳しい。

でも、なんだろう気のせいなのかな?怖いだけじゃないような…)」






∞∞∞∞∞







チャイムの音が鳴り、授業終了の時を告げる。

杜門先生が教材を片付け教室を後にすると、周りの生徒達が一斉に話始める。

「やっと終わったぁ~」「疲れたぁ~」とガヤガヤといつもの喧騒に戻った。



「ねぇ、一樺イツカ。息苦しい授業だよねー。ちょこーっと話すだけでも

すぐに『私語は慎め』なぁ~んて言われるし、どんだけ耳いいんだよ~。

分からないことあってもオニ先以外の人に聞けないし」



親友の波木ナミキメイが後ろから話しかけてくる。



「まぁ、気が抜けない授業だよね。授業が終わった後の解放感はスゴイけど」



そう苦笑して返すと、先程とは打って変わってメイはニッコリ微笑みながら言葉を続ける。



「次の授業は…やった!佐伯先生の授業じゃん!なんて言うか、佐伯先生の授業って癒しだよね。

アメとムチじゃないけど、オニ先の厳しい授業を耐え抜いた後の佐伯先生の癒しの時間、もう最高~。しかもウチのクラスの担任だよ~、毎日が癒しだよ!」



そんな話をしていると次の授業のチャイムが鳴る。


眼鏡を掛けた少し猫背気味の男性教師が教室に入ってくる。



「え~、それでは歴史の授業を始めますよ」



ふにゃっとした柔らかい表情で言う佐伯の醸し出す雰囲気は、先程とは違い張り詰めた空気とは一変、和やかな雰囲気に変わる。



「そこで義綱はこんなことを言ったーーー…!」



生徒達の楽しそうな笑い声が教室内に響く。


佐伯サエキ先生、社会科全般担当の教師。いつもニコニコしていてみんなを笑わせてくれるので生徒達からも癒し系先生として人気がある。







∞∞∞∞∞







授業が終わり、佐伯が教室内の生徒達に声を掛ける。



「あ、と、そうだ。忘れる前に…みんなに先週言っていた修学旅行の旅費、

全員持ってきたかい?そうだな、後で集めたいところだけど…ちょっと厳しいなぁ。

あー…桐島キリシマ、悪いけど放課後、みんなの分集めて職員室まで持ってきてくれないかな」


「え?あ、はい、わかりました」


「すまないねぇ」



そう一樺に話しかけ、了承を得ると佐伯先生はバツが悪そうに急いで教室をあとにした。



「一樺、急がないと、次体育だよ!」


「あ、うん!」








∞∞∞∞∞








放課後






桐島一樺は、佐伯先生に頼まれた修学旅行費の入った封筒を抱えて職員室へとやってきた。



「失礼しま~す…」



そっと職員室の中に入り辺りを見渡すが、誰もいない。

あ、あれ?ポツンと一人で立ち尽くす一樺。



「(誰もいないんだけど、これどうすんのさ)」



ポカーンと職員室の入り口で立ち尽くしていたが、さすがにこのまま立って居るだけにもいかず右往左往していると…。



「そこで何をしている」



突然後ろから声を掛けられ驚いて振り向くと、そこにはすぐ真後ろに杜門が立っていた。

「ヒッ!」と小さく悲鳴を上げて固まってしまった。そんな一樺の顔を見た杜門は怪訝そうな顔をする。



「どうした、職員室に用があるのか」


「はっ…!さ、佐伯先生に頼まれていた修学旅行費を持ってきたんですが…

(待って、急に現れたから先生の顔に対する心の準備が出来てなかった!不覚っ!)」


「それか、まったく…。今は職員会議中だ、当分戻ってこないだろう」



溜め息を吐きながらも佐伯の状況を教えてくれる。

それを聞いた一樺は、そんな話聞いていない!

と声に出しそうになったのをグッと呑み込み至って冷静に質問する。



「それじゃあ、これ、どうしたら…」


「はぁ…仕方がない、こちらに来なさい」



杜門の後をついて行くと、とあるドアのある部屋へと促される。



「へ?(え、ちょっ、さっさと帰りたいんだけど!

まさかこの中で佐伯先生が来るまで待っていろってこと?)」



早くしろと言わんばかりの視線にそそくさと中へ入る。

中は狭く、たくさんの書類が棚に並べられている部屋だった。

杜門は小さな金庫のような物の前へしゃがみ小さなモニターで何かの操作を始めていた。



ピッ



何かの音がしたと思い音のする方へと視線を向けると頑丈そうな分厚い扉が開いた。



「…それをこの中に」



言われるがまま、封筒をその中に入れると杜門は扉を閉め、再び小さなモニターを操作してカシャンとロックのかかる音を確認した後立ち上がる。



「最近は防犯上、学校でもこういった物を取り入れているようだ。

一部の者しか開けられないようになっている」


「先生は開けてもいいんですね」


「そうだな、特別にだ。このことは誰にも言うんじゃないぞ。

今回は仕方がなかったからだ、いいな?」



杜門の顔が少しだけ怖く見えなかったので一瞬気が緩みそうになったが、再びいつもの怖い顔に戻るのを見て慌てて「は、はい!」と返事を返す。



「そういえば、今職員会議中なんですよね?どうして先生は職員室に戻って来たんですか?」


「忘れ物を取りに来ただけだ」


「そうだったんですか…って、すみません!私のせいで会議の時間がっ!」


「気にすることはない、先程始まったばかりだからな」



部屋を出た二人は職員室の入り口で立ち止まり何かを思い出したかのように一樺が振り返った。



「あ!佐伯先生に封筒のこと伝えないと!」


「それは私から伝えておく、今日はもう帰りなさい」



このまま帰っていいのだろうか…とたじろいでいると急かす様に杜門が一言放つ。



「いいから、行きなさい」


「はい…、じゃあお言葉に甘えて……あの、ありがとうございました!」



職員室から出ると、数歩歩みを進め振り返りると自然と笑みを浮かべて一礼する一樺。

「あぁ」と小さく返事をし、一樺が帰って行く後ろ姿を見送った。



「まったく、あとで佐伯先生にはきちんと言わねばな…」



と、誰もいない職員室で、一人ぼやくのであった。







これが杜門と一樺の物語の序章にすぎなかった。




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