イノセントペイルブルー
朝香トオル
Stand up, everyone!
1-1
一、
――その日は、春のおだやかな陽気に満ちた日だった。
「いよいよねえ」
「いよいよだなあ」
自警団〈アンダーライン〉第三部隊執務室にて仕事をする二人の男が言葉を交わす。今日は新人隊員の入団式と別部隊から異動してくる隊員の着任式が行われる日だ。朝から新人隊員と思しき初々しい態度の人間をあちらこちらで目にする。全体で行われるオリエンテーションが終わった時間を見計らって、彼らは新人たちを迎える手はずになっている。
「ところで隊長、本当によかったの? あの補欠合格だった子呼んで」
黄色の腕章をつけた第三部隊副隊長・浦志真が訊ねた。特徴ある喋り方をするのは彼が独特の美学を持っているからである。その美学は彼の身体にも活かされており、長身をがっちりと鍛えあげており、長く伸ばされた髪はきっちりと編み込まれて一つにまとめられていた。そんな浦志の質問に隊長・松本山次が答えた。
「もちろん。補欠でも合格は合格だよ。そりゃ傍から見れば数合わせかもしれないけど、鍛えれば大丈夫。大事なのはスタートじゃなくてそこからどう走るかだよ」
「まあ、それもそうね」
入団時からは考えられないくらい成長をする隊員もたくさんいる。本当に適性がなかった場合には後方支援業務に当たらせることもあるが、これは極めて珍しい事例だ。
「それよりも俺はこっちが気になるよ。三雲隊長と志登隊長に二人そろって頼まれたから引き受けたけど」
松本はハシバミ色の目を細めて栗色の短髪をくしゃくしゃにしながら、ホログラムディスプレイに一人の隊員のパーソナルデータを映し出した。涼やかな目元が印象的な女性隊員の写真と〈アンダーライン〉内での職務履歴が現れる。半年ほど前にバディを組んでいた隊員を亡くしており、現在は日勤隊員として内勤が中心だという記述が松本の気を重くさせている。三雲と志登からは「交替班に復帰させてやってほしい」と言われていたこともその一因だ。
「こういう職業だから、相方の殉職っていうのは可能性としてゼロじゃないけど、当事者になると想像よりも心にダメージを負うのが難点ね」
「マコさんもそう思う?」
「ええ。アタシだって伊達に長く勤めてないわよ。経験がない、とは言えないわ」
お世辞にも安全な仕事、なんて言えないしね、と言って浦志は松本の膝に視線をやった。そこには、以前起きた事件で銃弾を受けて以来、ずっと残っている古傷があった。
「平気そうにしてても、実際は違う……ってことがかなりあるから、なるべく注意して見ておきたい」
「オッケー、わかったわ。アタシがどれくらい役に立つかはわからないけど、何かあれば情報共有するわね」
「助かる」
仕事はもちろん、情緒面での濃やかなサポートが期待できる浦志は非常に信頼が置ける副隊長だと松本は思っている。本人から異動の希望が出るか、松本が隊長を退くまでは第三部隊に固定で置いてほしい、と松本は常に人事部に申し入れている。
松本は壁にかけられている時計に目をやり、ホログラムディスプレイを消した。常人よりは少しゆっくりと立ちあがって「行こうか」と浦志に声をかけた。負傷した当時から随分時が経って足の機能は回復しており、以前は必要だった杖を使用する頻度も減っていた。
――世界中の技術競争から発展した〈世界を滅ぼす〉大戦が終結して約六十年。終結後に成立した都市国家〈ヤシヲ〉は政府など国家運営機関が存在する【中枢】地区、住民居住地である【住】地区、貴族が住まう【貴賓】地区で構成されている。国家に設置されている自警団〈アンダーライン〉は警察任務を請け負う組織であり、【中枢】地区に本部が置かれている。五部隊から成る自警団のうち、一部隊は【貴賓】地区の警備を担当し、他の四部隊は【住】地区の警備と治安維持を担当している。
松本が率いる第三部隊は新入隊員の入隊と、既存隊員の異動で合わせて八名を迎え入れることになっていた。
その日、
「(隊長、どんな人なんだろうなあ)」
入団式を終えて待ちながらぼんやりと久家は考える。広報の写真や入団試験の際の面接で話したことは覚えているが、それ以上の為人を久家は知らない。穏やかそうな人たちであるというのが第一印象だ。だが、ただ穏やかなだけで自警団〈アンダーライン〉の隊長が勤めるはずがない。
久家が落ち着かないまま待っていると、ややあって部隊長と副隊長が部屋に入ってきた。その場の空気が緊張で張り詰める。隊長は全員の前に立つと挨拶をした。
「第三部隊にようこそ。隊長を務めている松本です。簡単に挨拶をさせてもらいます」
にこり、と松本が微笑むと張り詰めていた場の空気が少しだけなごんだ。
「まずは異動してきた皆さんへ。元の隊と第三部隊のやり方のギャップに戸惑うことがあるかもしれないけど、こちらでサポートするので遠慮なく訊いてほしい。そして、もし効率が悪いと思うところや変えた方がいいところがあればこれも遠慮なく言ってほしい。なるべく働きやすいように、変えられるところは変えるから」
松本は一度言葉を切ると、今度は新入隊員たちの方を見て再び話を始めた。
「次に新入隊員の皆さん、まずは入団試験合格おめでとう。一緒に働けることを俺はすごくうれしく思う。一人ひとりが自分の力をのびのびと活かしてくれることを願っている。ただ、どうしてもうまくいかないときはきっとやってくるから、その時は、バディを組む相方や俺や浦志副隊長のことを上手く頼ってほしい」
新入隊員は松本の話をきょとん、とした顔で訊いていた。久家もいまいち理解できていなかった。まだこれからの日々のことがわからないだろうから無理もない。
「そして、最後に全員に絶対守ってほしいことを言う。一つだけだ」
松本は声のトーンを一段階落とす。新しく加わった隊員に必ず伝えていることが一つだけあった。久家は真剣みを帯びた松本の声に思わず背筋を伸ばした。
「バディは絶対に崩さないでほしい。単独行動厳禁――これが唯一、第三部隊で全員に徹底して守ってもらっていることだ。……簡単だろ?」
続けられた松本の言葉に久家はホッと胸をなでおろした。もっと難しいことを要求されたらどうしようかと不安に思っていたが、これであれば久家も理解できたうえに守ることができると思えた。しかし、他から異動してきた隊員たちは「中々難易度が高い」と言いたいのだろう、眉間にしわを寄せていた。その様子を見た松本が言葉を付け加えた。
「これはお前たち全員の命を預かる立場である俺からの『お願い』だ。どうしても危険が伴う組織で仕事をすることは全員がわかっていると思う。だが、その危険はなるべく少なくしたい。……そのための、ルールだ」
そうか、と納得するような小さなざわめきが隊員たちの間に広がったが、数人はあまり納得がいかない、という表情で松本を見ていた。それに松本も浦志も気がつかないはずがない。
「以上、俺から言いたいことは終わり。もし納得できなかったり、もっと訊きたいことがあればあとで俺か浦志副隊長のところに来てくれ」
はい、と声が揃うのを聞いて松本はほほ笑んだ。これ以降の隊員たちの案内は、松本と浦志以外の日勤隊員たちで行うことになっていた。
「(よかった、あんまり最初の印象と違わなさそうで)」
久家は安堵し、部屋を出て行く松本と浦志の後姿をこっそりと目で追った。二人の凛とした歩き方にこれまで彼らが培ってきた第三部隊の歴史が見えるような気がした。
「久家、久家! 聞いてるか?」
よそ見をしていた久家を咎める声がし、周囲から小さな笑い声が起きた。ハッと我に返った久家は「すみません」と謝罪をして、バディ発表とスケジュール説明に意識を戻す。配布された『業務マニュアル』には数日後から順々に交替班に組み込まれるため、きちんとそれぞれの勤務時間帯に適応できるよう調整してほしいと記載があった。交替班は四班三交替制を取っており、日勤、夕勤、夜勤を一週間ごとにローテーションで回していく。久家が組み込まれる班は幸い最初が日勤から始まるようだった。
「では、最後にバディを発表します。呼ばれた人から、順番にバディの相手のところに行ってください」
部屋の中にはいつの間にか、胸から名札を下げた隊員たちが揃っていた。おそらく久家がよそ見をしていたタイミングでやってきたのだろう。だが、その人数を数えて久家は首を傾げた。六人しかいない、ということは新人同士、異動してきた隊員同士もしくは新人と異動隊員で組むバディが出てくるということだ。
(まさか、オレってその枠で呼ばれた?)
補欠合格だった久家を呼ぶ理由としては、急な欠員が出てバディが組めなくなった隊員がいたからだろうと想定はしていたが、バディを組む相手までは想定をしていなかった。
「最後、久家恭哉、徳永メイ」
久家の想定の通り、最後に名前を呼ばれたのは新人である久家と異動者の徳永だった。これは、新人教育という業務が付帯していた方が徳永自身の気が紛れてよいだろう、という松本と浦志の采配であるが、現時点の二人は知るよしもない。久家は緊張しつつも、近くに座っていた徳永の前まで歩いていく。
「よろしくお願いします!」
精一杯、やる気があるようにと出した声と差し出した手を徳永は一瞥した。顔を上げたことによってショートウルフカットにされた癖のない黒髪がさらりと揺れる。涼しげな目がじっと値踏みするように久家を見た。
「……一応よろしく」
だが、久家が差し出した手は握られなかった。女性相手に握手を求めたのはよくなかったか、と久家が思い、手を引っ込めようとした瞬間、徳永は素っ気なく言い放った。
「親交を深めようとしてもらったところ悪いけど、私はバディと仲良くなるつもりは一切ない」
ピシ、とその場の空気が凍りつく音がした。久家はぽかん、と徳永を見る。徳永は言葉を続けた。
「それと私は規律を守らない人と、犯人確保を第一に考えない人が嫌い。ルールを破ったらすぐさまバディ変更を隊長にお願いするつもりなので、それを前提に動いてください」
徳永の言葉に呆気にとられた久家だったが、いち早く我に返ったのも久家だった。徳永の言うことは正しい。しかし、どうにも久家にはその考えは受け入れ難かった。
「徳永さんの言うことが正しいのはオレにもわかりますけど、なんかめんどくさいし、窮屈じゃないですか?」
少なくとも久家は目の前で死にかけている人間がいたら、それを見捨てて犯人確保を優先することはできない。そう思いながら口にした率直な言葉は徳永の神経を逆撫でした。ますます凍てつくその場の温度に徳永以外の誰も口を開くことができなかった。
「私はそうは思わない。働き出したらきっとあなたもすぐに実感すると思うから、よく覚えておいて」
「……」
つまんねー働き方はしたくねえんだけど、と久家は思ったが、これ以上初対面のバディとの仲を悪くしても、初日から揉め事を起こしても、明日からが憂鬱になるだけだ、となんとか口をつぐむことができた。徳永は何も言い返さなくなった久家に興味をなくしたように、自身の業務用端末に視線を落とす。その場にぽつん、と取り残されてしまった久家に、業務説明を担当していた日勤隊員がそっと近寄って耳打ちした。
「あの、何かあったら俺たちでも隊長たちでもいいんで遠慮なく相談してくださいね」
「やっぱりあれって相当ヤバイってことですよね?」
久家が囁き返した言葉に、その日勤隊員は黙って首を縦に振った。
――もしかしてオレ、とんでもないところに呼ばれちゃったのかな。
ここから先やっていけるんだろうか、と思いながら久家は手渡された『業務マニュアル』を握りしめた。
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