第8話 現実として、貴方が深淵を覗いていなくても、深淵は貴方を見ている。

「ナニやってんだアイツゥッッーーーー!」

 という女子の叫びを聞いた気がした。がそれは無視する。それより―――

「どうだ?少しは冷えたか?」

「…………うん、キモチイイ♡」

 髪をかき上げながら俺を見上げる稲葉の顔は蕩け切っていた。

 頬を伝った水滴が顎先でわずかに留まってから滴るのは、それがただの物理現象なのにこれが計算された稲葉の演出に思えてしまう。

 しかし遠巻きに見てる女子の囁き声が「稲葉さん喜んでる」「やっぱり稲葉さんて……」「いやいやこれはアレですよ」「知っているのか!」「ぶっきらぼうな塩対応がデフォの男子からの一見いじわるな行為、しかしその真意は思いやり、だった的な?」

「おぉう!」「うむ、それは美味しい」「アリですね」

 って、もう囁きじゃないよな!

 しかもオタクみたいなこと、若干腐の発酵臭もするセリフとかから俺らを勝手にオカズシチューにしてやがる!(オカズシチューとは目撃した日常のナマモノによるシチュエーションを脳内でオカズに調理してオイシクイタダク行為である)

 クラスの女子ってこんなにキモかったか?

 ナニがあったんだ?

 冷や汗を垂らしていたら背後より目の前を気にしないといけなかったことを思いだした。

「でも濡れちゃったね」

 そう脱ぎかけだった上着を稲葉さんが脱いじゃった!

 結果、稲葉さんの稲葉山がブルンッと目の前に。

 見ちゃダメだ!と心で叫んでも視線が吸い寄せ得られる。だってそこに山があるから。

 稲葉さんは小柄で細身なので胸囲は小さい、という油断を誘っておいてアンダーとトップの差がしっかりある。

 つまりカップ数がD?それ以上?

 着やせして隠れていた山稜が雨が降って雲が晴れたことでお姿を見せていやがる。

 しかも雨が降ったせいでシャツが肌に張り付いて……

「みず、絞らないと……」

 ぎゃああああああああ!

 裾を絞るからシャツの膨らみが下から圧迫されて山頂がぁ!

 俺の方が赤いマグマを噴火しそう。

「………もうギブ」

 そう呟くと稲葉さんはニコニコしながら両手を差し出してきた。

「ではお会計、キャンセル料込みで5000万円となります」

「やっぱ金取るのか……ってキャンセル料?」

「はい♡プレイを途中でキャンセルしましたのでペナルティです」

「プレイって……やっぱ狙ってやがったか。あとキャンセル料取るとかボッタくりバーよりひでぇ」

「お支払いは生涯体で払ってください」

「俺に奴隷に成れって?」

「いいえ、ご主人様のペットとしてお散歩やおもちゃで遊んでもらうことを要求します♡」

「人間はペットの奴隷ですね!」

 あとなんかマニアックなプレイに聞こえるのは俺の心が汚いからだろうか?

「ボーナス払いでオプションサービスも付きます」

「まだ要求するのか!」

「輝咲ニャンはちゅ~~るをペロペロしたいにゃ♪」

「お前分かっててやってんだろ!」

 興奮気味に想像した俺は熱い脈動を噴火した。

 ……今どき鼻血噴いて気絶とかするか?



「くぁ~~~、今日はひどい目のあったぜ」

 体育で見学してたのに鼻血噴いてぶっ倒れた俺は流石に教師から心配されて病院に連れて行かれた。

 診断は「ストレスによる疲労と鼻血による貧血ですね」とのことで点滴を受けた。

 日も暮れていたので「送ろうか?」という付き添いの先生の申し出をやんわり断って(だって疑問形で聞かれたら断るでしょ、フツー)1人で自宅に向かっていた。

「医者からは休息が必要って言ってたし」

 ぐぅぅ~~~~。

「昼は稲葉の弁当でひどい目に遭ったしちょっと奮発するか?」

 そう思って財布の中身を確認すると。

「……残念、外食には心もとない」

 病院行ったし仕方ないが、そもそもが高校生である。

「しゃーなし、スーパーの特売に突撃しますかな」

 そう決意すると俺は近所の戦場に出陣したのだった。


「よっしゃ、大漁大漁~♪」

 戦利品を持って意気揚々と歩いていると。

「……君、死ぬよ」

「うひゃあぁ!」

 横の路地の暗闇からいきなり女の声が響いた。

 いや、驚いてひっくり返るのも仕方ないよね。

 だって耳元にいきなり生暖かい息がかかって来たんだから。

「……おっと、これは失礼驚かせてしまいましたか」

「いや杏さん、狙ってましたよね!」

 暗闇からスッと現れたのはスーツを着たメイドの杏さんだった。

「……ナンノコトデスカ?」

 とすっとぼけてるけど、タイミングと言い距離と言い、何より無表情なのに瞳の奥に(笑)って見える。

「……お買い物ですか」

 杏はチラリと俺の手にしたスーパーの袋を見やって呟く。

「あぁ、帰りに晩飯をな」

「……自炊、するんですね」

 倒れたままだった俺はそのセリフと相まって見下されてる感がしてしまった。

「おかしいか?てか中身を覗くな!」

「……ふむふむ、それより今からお帰りですか?」

「そうだよ。そっちはこんな所でどうした」

「……ただのお嬢さまに頼まれた野暮用です」

 野暮用……ね。

 聞いても疲れるだけだろうしほっとくか。

「そんじゃぁその野暮用中に俺を見かけて嫌がらせか」

「……いえいえ、純粋な親切心です」

「何処がよ?」

「……このままお嬢さまに係わるとひどい目に遭いますから」

 淡々と告げられる言葉に若干イラッとした。

「脅し?やっぱりお付きとしては俺は気にくわないか」

「……忠告です。お嬢さまはご実家と少々複雑な立場にございまして」

「刺客でも来るって?」

「……はい。ですのですでに貴方には護衛を付けております」

「マジで!」

「……マジマジ。そういう訳でお嬢さまとは」

「いや、そういうのは俺じゃなくって稲葉本人に言えよ」

「……お嬢様に私のような使用人が意見などすると―――むしろ喜んで火を付けに行かれます」

 お前の主人が元凶かよ!目逸らすな!諦めんな!諦めたらそこで終了だぞ!俺の人生が‼

「……そうゆう訳でしっかりとお嬢さまを避けてください」

「ご忠告どうも」

 出来る事なら俺としても関わりたくはないのだが、たぶん明日も付き合わされるだろう。

「……それでは私はまだ用事がありますので、失礼します」

 そう言って杏は背後の路地の暗闇に溶けて行った。

「そんなところにどんな用事があるんだよ?」

 奥からは猫の「にゃ~~~~ん♡」て声が聞こえて来たが、「好奇心、猫が殺す」っていうし、他に気にすべきことがあるのでほっておくことにした。

 しかし、よくアニメなんかにはモテないモブが人生で1度でいいからモテたい、と叫んでいるがそのモテが死因になるなら俺は彼女などいらない。

 ……いらなかったのになぁ。できちゃったんだよな。誰か引き取ってくれない?彼女のクーリングオフってどこに相談すればいいの?消費者相談センター?

 そんな一見贅沢な悩み(自覚はある)を晩飯の材料と一緒に抱えながらトボトボと家に帰る。

 俺は賃貸物件に親元を離れて1人暮らしをして居る。

 親は今どき珍しい親父が働きおふくろが家事をしてる家庭なのだが、稼ぎはそこそこ良いので親父が伝手で探してきた物件に仕送り付きで生活してる。

 親父の仕事柄もあってセキュリティーに気を使ったオートロックのアパートの三階に部屋がある。

 エレベーター付というホント贅沢な我が部屋の前まで来た時、後ろが気になった。

「……刺客とか護衛って、マジ?」

 その呟きに応えるものはなく、いたって平穏な日常だった。

「ははっ、ビビりすぎ。ホラーじゃないんだから」

 そう言いながら部屋に入った俺はしっかりと鍵をかけた。

「げっ、卵割れてやがる」

 部屋に入って最初にキッチンに行って手を洗い、買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞おうとビニール袋を覗いたらこれだった。

「杏にビビッて転んだ時だな。もったいない」

 殻を除けば卵焼きなりに使えそうだが、ビニール袋に入っていたとはいえ地面に落とした卵は衛生的に心配だ。

 卵10個入り1パック200円弱、ケチって食べて腹を壊せば治療費3000円強、そりゃぁ卵を諦めますよ。

 とりあえず他の食材を仕舞って、卵はそのままビニール袋をしばってゴミ箱に。


 ゴソゴソ。


 その時奥の部屋に気配を感じた。

 俺の部屋は親が金出してるので高校生の1人暮らしには過分な2LDK物件である。

 今はキッチンに居てリビングが見える。が、奥の部屋はどちらも扉が閉まっていて中が見えない。

 その中で俺が寝室として使っている部屋に人の気配がするのだ。

「…………ごくっ」

 って変な緊張感出してるけど侵入者とかホラー要素とかナイナイ。

 俺の部屋って1人暮らしには広すぎるじゃん?

 だからよく妹が部屋に入り浸って来るんだよ。今回もそれそれ。

 まったくしゃーないヤツだよ。

「おーい英子、もう来るなとは言わんがせめて事前に連絡くらい―――


「あっ、お帰りなさい狩野君」

 部屋を覗いたら稲葉さんがこんばんわ。

 干しっぱなしにしていた洗濯物をたたんでくれていやがりまして、手に俺の下着トランクスを持って笑顔で出迎えて来やがりましたよコンチクショォォ!

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