猫妖精は自由気ままに生きていく!

東 村長

プロローグ

『にゃ〜』

「はあ……」


 俺の名前は「犬飼 一二三」しがないフリーターだ。いつも通りに夜勤のバイトを終え、いつも通りに日の登りきっていない公園で早すぎる朝食を食らう。俺は廃棄直前で安くなった惣菜を詰めただけの手作り弁当を、一人で黙々と食べている——訳ではない。俺の足元には小さな唯一の友である、黒猫の黒吉がいる。黒吉はいつも弁当のおこぼれを狙って、俺の元にやって来る地域猫だ。

 俺はコイツに弁当をやる気は一切ないのだが、何故か、本っ当に何故かは知らんが、いつも買い物カゴには高級猫缶が入っていて……よく分からんが、俺はそれを棚に戻さずに買ってしまっている。

 そして、よく分からんが俺は公園に来て、コイツにその缶を与えているのだ。

 

 もちろんだが、地域の人達には俺が餌をやっていることは伝えているし、それの許可も町民全員からもらっている。まあ、ド田舎の小さい市区町村だからな。

 全員と言っても、ほんの数十人程度だ。


「……ふは」


 ゴロゴロと喉を鳴らして近づいてくる黒吉の魔力に俺は抗えず、俺より高い飯を食らうコイツの横でニヤニヤしながら飯を食う日々……。

 まあ、悪くないと思える日常だ。


「ちゃんと味わってるか?」 

『ニャン』

「そうか、美味いか」


 俺に猫語は分からないが、黒吉は人間語を理解していると思える時がちょくちょくある。前にもこうやって話しかけて『にゃあ』と返事をした時があったし、今も俺に返事をしたしな。

 コイツはもしかしたら、日本語を理解している天才猫なのかもしれない……。コイツの頭脳を狙った変な組織に狙われないか心配だな。

 正直、黒吉を家に連れて帰って飼ってやりたい気持ちはあるけど、俺が住んでるボロアパートはペット禁止だし実家は県外にあるから無理な話なのだ。

 俺に今の格安物件から引っ越す経済的余裕は無い。まあ、どう考えても俺が黒吉を飼うより、他の金持ちが飼ってやった方が黒吉も幸せだろうな。

 そもそも黒吉は町の人達が世話している地域猫だから、誰かが飼う必要はないのかもしれないけど……。

 

「黒吉、こっち来いよ。俺に撫でさせろよ」

『にゃ〜』

「お? やっぱりお前、言葉が分かってるな〜」

『にゃん』

「……」


 俺がちゃんと学校に行っておけば、俺にもっと金とスキルがあれば、コイツを飼って一緒に暮らせたのかな。俺がルールに囚われない自由人なら、このまま黒吉を家に連れて帰れたのかも……。

 

『ゴロゴロ』

「……ふっ」


 もしも何て考えるなよ俺。虚しくなるだけだぞ。

 俺は人生の負け組だ。もう、何も考える必要はないんだ。俺はただ結果だけを、今の現実だけを噛み締めてろ。 


「じゃな、黒吉」

『にゃーん』


 俺はベンチに寝転がる黒吉の顎を撫で、弁当の風呂敷を締めて立ち上がる。

 名残惜しそうに俺を見つめる黒吉に後ろ髪を引かれながら、俺は何もない自分の家に帰った。 

 

 ——そして、この日から黒吉は俺の前に現れなくなった。何日も何日も、俺は公園で飯を食う。

 雨が降ろうと、雪が降ろうと、雷が鳴ろうと、俺は公園に通い続け、いつものベンチに座って飯を食い、足元に猫缶を置きながら、黒吉が来るのを待った。 


「……」


 何してんだ俺。どうせアレだ。黒吉はバッキュンボンの美人の富豪に拾われて、そこで悠々自適に暮らしているんだ。ああ。そうに決まってる。なんて羨ましいやつだ。嫉妬しちゃうぜ。なあ。そうだろ黒吉。そうに決まってるよな。お前用の猫缶、家に山積みになっちまってるよ。俺より良い飯食っといて、俺に何も言わずに居なくなるなよな。

  

「……」


 俺は食事を終えて立ち上がり、公園を出る。

 俺が向かう先は自治会長の家。そこで地域猫の黒吉のことを教えてもらおうと思う。

 もしかしたら、マジで別嬪の富豪のお姉さんに拾われたのかもしれないしな。

 聞いたら、聞いたら羨ましくなっちゃうかもな!

 

「——っ!」

 

 俺は走って、自治会町の家に向かった——


「あぁ、黒吉ちゃんね……」

「はい。最近見ないなぁって思ってですね」

「……」

「あの、何かあったんですか? 誰かに拾われたとか、ですよね……?」


 何やら言いづらそうな顔をする、自治会長の谷山さん。俺は不安に駆られるままに、口から言葉を溢し続ける。しばらく目を瞑っていた俺の話を聞いていた谷山さんは、俺に気を遣ったように、少しづつ喋り出した。


「あのね、黒吉くんは……病気だったのよ。それで、最近亡くなってしまったの……。ごめんなさい、あなたにはいつか言おう、いつか言おうって思っていたのだけど、あなたは黒吉くんを、あんなにも大切にしていたから、今まで言えなくて……ごめんなさい」

「そう、ですか……。病、気……で……」


 俺は真っ白な頭で涙ぐんでいる谷山さんに礼を言い、玄関から出た。ザーザーと雨が降る中、俺は傘をささずに外を歩く。


「………………マジ、かよ」


 俺は土砂降りの中、町を二時間ほど彷徨った。

 雷雲を光が走り、ピカッと視界が明滅する。 

 数キロ先に雷が落ちたようで、空が揺れ動くような雷鳴が町に響き渡った。俺はそんなことを歯牙にもかけず、ひたすら歩き続ける。


 特に努力なんてしたことのない人生。

 惰性で生きる日々に飽き飽きすることなく、これが当然だと錯覚しながら飯を食って寝る——その繰り返し。何も満たされることなく、ただ負け犬のように人に媚び諂って、上流階級のおこぼれをもらうだけ。一生下っ端で、地に這いつくばる俺に自由は無い。生きるためだけに時間を使って、それを死ぬまで繰り返すんだ。

  

 ああ、俺の人生、俺が捨てたも同然なんだよな。


 何も変わらない日常。何も変わろうとしない俺。

 もしも、どうしようもない人生を俺が変えていれば。

 もしも、クソみたいな生活をどうにか脱却できていれば。

 もしも、俺が猫みたいに自由で、アイツと一緒に暮らせていたら——

 

 俺は、黒吉の死に目に会えたかもしれないのに……。

 

 もしも、俺が猫になれたら。

 腹が減ったら飯を食って、いつでもどこでも寝転んで。好きなだけ自由気ままに遊びまくる。

 俺がすごいやつだったら。俺が王だったら—— 

 だけど、俺は人間だ。どうしようもない平民だ。

 こんな妄想に意味は無い。 


 どれだけ願っても。どれだけ思い描いても。

 黒吉は、もう……


「……帰ろ」


 住んでいるボロアパートに到着後、雨でビショビショに濡れた身体のまま、敷かれっぱなしの布団に飛び込んだ。数年間洗われていない汚布団は、俺が飛び込んだ衝撃で凄まじい量の埃を部屋中に舞わせた。確か、この布団を買ったのは俺が十八の時だったから、もう六年くらい洗ってないのか。

 まあ、そんなもんか。どうでもいいな。

 

「寒っ……」


 今の季節は冬。ただでさえ部屋が冷え込んでいるのに、こんな濡れた体じゃ余計に寒く感じるな。

 寒いせいか、ちょっと息が苦しい。

 呼吸が浅い。深く息ができない。胸が苦しい。

 何か変だな……体調崩したかな……?


 暖かいシャワーを浴びて寝よう。

 寝れば、寝れば今の気持ちも落ち着くはずだ。

 そうさ。寝れば全部無かったことになる。

 いつもそうだったろ。不都合なことがあったら、嫌なことがあったら、寝て忘れればいいんだよ。

 

「うっ……しょと」


 俺は脱衣所で身体に張り付く服を脱ぎ、全裸で風呂場に入る。冷え込んでいる風呂場は、もはや凶器とさせ言えるほどだ。 凍ってないか? と思わせるほど床が冷たい。俺は息を白くさせながら、ノズルを捻ってお湯を出す。

 

「うっ、冷たっ……! ……ぐうっ……!?」


 な、何だ……!?

 胸が苦しっ、締め付けられてるみたいに痛い!? 息が、これ……母さんと……同じじゃ……っ!?

 や、ばい……これ、死ぬ——……


 ヒュッ——・・・・・・


 俺は氷に漬け込まれたような冷水を全身に浴び、死を直感する。ああ、今日ここで死ぬのか。

 まあ、それでも良いか。どうせ終わってる人生だしな。いつ死んでも変わらないよな。

 ここで生き永らえたところで、俺の人生が好転することは有り得ないし。

 

「………………」 


 黒吉、俺も病気で死ぬっぽいわ。

 お前と同じだな。俺は悔いしかない人生だったけど、未練はないぞ。

 黒吉、お前の人生はどうだったんだろうな。

 あ、猫だから人生じゃなくて猫生か。

 ちゃんと満たされてたかな? 

 悔いなく死ねたのかな?

 お前が満たされてたなら、それなら俺は安心だ。  

 

 もし、来世があるのなら、俺は猫になりたいな。

 何にも縛られずに自由気ままに生きてみたい。 

 好きな時に飯を食って、いつでもどこでも寝転んで。

 好きなだけ時間を使って、はちゃめちゃに遊びまくる。

 地を這いつくばりながら上流のおこぼれをもらう、今の俺から抜け出して……。

 王様みたいに踏ん反り返って、威張りに威張って生きてやる……。


 クソみたいな願いだけど……でも、良いだろ?

 こんな妄想、死ぬ前くらい、いいよ、な——……

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