密室の中で

「……締め切り。」


 私は呆然として、呟いた。


「ああ、締め切りだ。」

「残念だが、文学少女。締め切りを過ぎたレポートを受け取る訳にはいけない。


 もし、一人の期限切れのレポートを受け取ってしまえば、全員の期限切れのレポートを受け取らなければならなくなる。」

「ああ、君が以前言っていた合理的な豚の繰り返しゲームだな。」

「そうそう! あれだよ! 


 どこかの学生と違って、よく覚えている!」


 その天神教授の言葉が心にブスリと突き刺さる。1人の学生が絶望の淵にいると言うのに、教授達はその横で2人の世界に入り込んでいる。


「とりあえず、そのレポートを受け取ることは出来ないな。今回の中間レポートは諦めて、期末テストを頑張りたまえ。」

「そんなぁ! 期末テストは60%評価だから、期末テストで満点取らないと単位ないじゃないですか!」

「その通りだ。満点目指して頑張ってくれたまえ!」


 そんなこと無理だ。


 期末テストで満点しか許されないなんて、他の講義の期末テストもあるのに、できる訳がない。


「そこを何とか……。」

「残念ながら、天神教授から締め切りのゲーム理論を教えてもらって、期限切れのレポートは絶対に受け取らないと決めた。


 どれだけ感情に訴えようとも、切り捨てる。それが一番の利益になるのだ。」

「そうだ。学生という弱者と教員という強者では、強者が弱者に飲まれてしまう場合が多い。


 しかし、いつか強者が弱者が飲まれ続ければ、今日じゃは身を亡ぼすのだよ。」


 この教授、余計なことを。


 天神教授が才木教授に無駄なことを吹き込まなければ、私の期限切れレポートは受理されたかもしれないのに。


「まあ、君がこの状況を覆す方法はいくらでもある。前回の講義で説明した信頼性の無い脅しもそうだが、今回の場合は……。」


 天神教授が何かを言おうとした時、部屋の扉が大きな音を立てて、開かれた。私がその音につられて、後ろを振り返ると、息を切らし、少し太った中年の男性が立っていた。


「水無君、どうしたのかね?」

「いや、忘れ物をしちゃって。あの論文が入ったUSBを教授の机の上に忘れたんですよ。」

「机のどこかね?」

「鍵置きの皿の上にあるはずです。」


 そう言われると、才木教授は机の上の皿を見る。鍵置きの皿は、底の浅い白い皿だった。


「……ないが?」


 確かに、私の目から見ても、皿の上には鍵が一つ置かれているだけで、それ以外は何もなかった。


「そんなことはない。そこに置いたはず……、いや、確実にその皿の上にUSBを置いた。」

「記憶違いじゃ……。」

「いや、それはないでしょう。教授も知っているはずです。私には映像記憶がある。その皿の上にUSB置いた後、記憶の中にUSBが出てきていない。


 だから、確実にその皿の上にUSBを置きました。」

「かと言ってもないがね。」

「誰かがこの部屋に入って、USBを盗んだとかじゃないですか?」


 天神教授が2人の会話に割って入る。


「いや、それはない。」


 才木教授が天神教授の仮説をすぐに否定した。


「私と水無君がこの部屋を出た1時間前、この部屋の鍵は確かに閉めていた。それに、この部屋の窓は壊れていて、全く開かない。そして、人が出入りできる場所は、その扉と窓の2つだ。


 つまり、その時、この部屋は密室だった。


 そして、君も見ているだろうが、部屋を出た後は、天神教授と出会った。そして、この部屋に再び戻ってくるまで、天神教授と食事をしていた。そうだよね?」

「はいそうです。」


 天神教授が答える。


「つまり、鍵と私にはアリバイがある。


 そして、天神教授と一緒にこの部屋に入った10分前には、鍵はかかったままだった。天神教授と談話してから、5分後くらいに、そこの女生徒が現れた。


 と言うことは、仮に、USBを盗もうとした犯人がいたとしても、この密室に入ることができず、ましてや出ることもできないのだよ。」

「教授、もう少し確認させてください。


 教授はUSBが皿の上に置かれていた記憶はありますか?」

「……確かに、部屋を出る前、鍵を取るときに、君の銀色のUSBを見た気がする。しかし、天神教授と部屋に入ってきた時、皿の上にはUSBがなかった。」

「じゃあ、USBがあったことをなぜ私に伝えなかったんですか?」

「あの時は、君がパソコンの片づけをしていて、部屋を出るのが遅かっただろう。だから、後に部屋を出た君がUSBを回収するものだあろうと思って、何も言わなかった。


 そして、帰って来た時に皿の上にUSBが無いと気が付いた時、やっぱりUSBを君が回収したのだなと思った。


 だから、何も言わなかったし、不思議に思わなかった。」

「なるほど……。


 その部屋の鍵には、合鍵やマスターキーがあるんじゃないですか?」

「あることにはある。


 だが、その合鍵やマスターキーは、職員室に保管されている。その鍵は、基本的に、その部屋の管理者の許可がいる。


 もちろん、私が合鍵の許可を出した覚えはない。それと、先に言っておくが、この鍵は合鍵を新しく作ることは難しいものだ。


 それに、もし、合鍵を作っていたとしても、私の部屋のものは何一つ盗まずに、今日偶然置き忘れられた君のUSBを盗むことは、非常に不合理だ。」

「そうですね。


 だから、犯人は今日、この部屋にUSBがあると知っていた人物と言うことになりますね。」

「そう、つまりは、この部屋に君がUSBが置き忘れていたと仮定すると、この密室から誰もUSBを盗むことができないという事象が生まれる。


 それはつまり、君がUSBを置き忘れていたという仮定が間違っていたという背理法が適用できる。


 だから、君は私が部屋を出た後、USBをこの部屋から置き忘れずに、持ち去った。そして、この部屋以外で無くしたのだ。


 君の記憶力を疑う訳ではないが、状況の不可能性と人間の曖昧な記憶を天秤にかければ、記憶違いをしていたという事実の方が納得がいくと思うがどうだ?」


 教授がそのように説き伏せると、准教授は少し黙り込んだ。


 この状況から見て、准教授の記憶違いであったことは確実だろう。だから、准教授は諦めるかと思ったが、発せられる言葉は私の予想と違っていた。


「いや、教授の背理法には穴がある。


 この部屋は閉ざされた後、一度、密室は開かれた。


 教授と天神教授が入ってきたときです。そして、どこの馬の骨かも分からない女生徒まで入ってきた。その時なら、USBを盗むことは可能だ。」

「いや、それは、私が入った時には、USBが無かったという証言で否定されるだろう?」

「じゃあ、昨日の晩御飯は何食べました?」

「えっ……、何だったかな?」


 いきなりの質問に、才木教授はうろたえる。


「ほら、教授も年なんですよ。記憶が曖昧だ。先ほど私の記憶の曖昧さを指摘しましたが、教授の記憶の方が曖昧ですよ。


 私は記憶に自信があります。


 つまり、密室のことは正しいとしても、密室が開かれた後の3人が盗んでいないと言う論証は曖昧さがある。


 つまり、どういうことが言えるか?」


 准教授はそう言った後、一拍おいた。


「この中に犯人がいるということですよ!」

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