変態美少女先輩へのお願いゴト

「……なにコレ……? なにコレェ……? なにコレェ……⁉」


「はい、冷たい缶コーヒー」


「ひゃあああああああああああああああん⁉」


 いきなり私の頬にキンキンに冷えた缶コーヒーを押し付けられたものだから、つい反射的に悲鳴をあげてしまう。


 そんな悲鳴を出しておいて今更ではあるけれども、内心で男のような野太い悲鳴を出してしまったのではないかと警戒するが、面白そうに2つ分の缶コーヒーを持っている下冷泉霧香が愉快そうに笑っていることから、幸いにも私は男らしい悲鳴を出していないようであるらしかった。


「お、驚かさないでくれません……⁉」


「フ。まるで生娘のように可愛らしい悲鳴。欲情する」


「欲情しないでくれませんか⁉」


 それにしても一体どこから缶コーヒーを持ってきたのかと周囲を見回してみると、屋上の端には雨を凌ぐための天井がついている小さな憩いの場のようなベンチがあり、その隣に自動販売機が稼働していた。


 当然と言えば当然だが、私はこの百合園女学園に編入してまだ日が浅い。


 生徒たちの憩いの広場である屋上に自動販売機があるという事も知らないような編入したての高等部2年生である私はこの学園の裏掲示板にとんでもない魔物たちが蠢いている事も知らないまま、今日までのほほんと暮らしていた。


 それにしても、昨今ではよくSNSやらで話題になるようなカップリング論争に自分が巻き込まれているだなんて夢にも思わなかったのだが。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」


 またしても私は自分のアイデンティティを見失ってしまいそうになり、がっくりと落ち込んで四つん這いになりながら大きな溜め息を吐く。


 そんな事をしても現実に何かしらの進展が起こり得ない事ぐらいは分かっているけれども、それでも自分の精神を安定させる為にも大きなため息の1つや2つを吐かないととてもやってられなかった。


「……私が一体全体何をしたって言うんですかぁ……⁉ 私のどこがエロいって言うんですか……⁉」


「フ。全部」


「そんな訳ないじゃないですかっ⁉」


「フ。そんな訳がある。唯お姉様がこの学園に現れ、無自覚に周囲の女子生徒の性癖をぶち壊して1週間が経過し、唯お姉様のタグがついたクソスレの総数はなんと182つ。何なら学内に唯お姉様を応援するだけの非公式ファンクラブが設立したほどよ」 


「フ、フ、フ、ファンクラブ……⁉ ファンクラブって……あのファンクラブ⁉」


「フ。そう、その名も唯お姉様好き好き大好きクラブ。Yes唯お姉様。Noタッチ。唯お姉様に物理的に触ったら東京湾。それが唯お姉様好き好き大好きファンクラブの掟」 


 東京湾に変態お嬢様を不法投棄するだなんて色々と問題になりそうだけど……何故だろう、葛城さんならそういう問題を目に見える形に絶対にさせないだろうなという謎の自信しかなかった。


「そのファンクラブの初代会長は私……になる予定だったのだけど、葛城がなったのよね。おかげ様で私はファンクラブ会員になれないまま。つまりは合法的に唯お姉様に触り放題でセクハラし放題。ファンクラブ入会特典である唯お姉様の隠し撮りプロマイドを貰えないのはとっても残念だけど雇用主特権で色々と見れられるから私には何の問題もない」


「か、隠し撮りプロマイド⁉ 私の知らないところで何をしていやがるんですか葛城さんはっ⁉」


「私の従者に、裏掲示板の管理人に、唯お姉様好き好き大好きファンクラブの会長かしら。意外と便利なのよね葛城」


「改めて言われると頭が痛くなるっ……!」


 確かに最近の百合園女学園の生徒たちの行動はやけに大人しいとは思っていたので、葛城さんが何かをしたのだろうという確信は少なからずあったけれども……余りにも、余りにも、規模が大きすぎるっ……!


「……葛城さんがそうして動いたって事は、やっぱり先輩がそう葛城さんに命令したんですね」


「フ。葛城は基本的に私の命令を聞いたり聞かなかったりするわよ。彼女は基本的に私にとって有益が有害かどうかで動く仕事人間。もっとも、私であればもう少しスマートにやれたという自負はあったのだけれど……これはこれでアリね」


 感謝するべきなのか、抗議をするべきなのか。

 

 どちらにせよ、無意識のうちに両手で抱えたくなってしまうぐらいに私の頭はいっぱいいっぱいになっていた。


「フ。でも安心なさい。ファンクラブに入ったら唯お姉様と寮生活をしている葛城が様々な情報を無許可で発信して恩恵を与える。その代償として、万が一にも唯お姉様に直接的な危害を与えるような真似をファンクラブ会員がやったら下冷泉家が潰す……そんな誓約の元に集った将来有望なメス豚たち。いわばエリートメス豚。ブランドメス豚。それが唯お姉様好き好き大好きファンクラブのメンバー」


 怖いなぁ、下冷泉霧香!

 怖いなぁ、葛城楓!

 怖いなぁ、下冷泉家!

 怖いなぁ、メス豚ども!


 ――と、ついつい声を荒げたくなってしまったのだが、よくよく考えればこのファンクラブの存在はいわば『天使唯は女性である』という前提で作られた組織なのである。


「…………」


 

 


 というのも、その組織に加入している女子生徒は『使』と見てくれているという訳でもあり、そのファンクラブの存在が大きくなればなるほど私の女装は完璧であるというも発生する。


 数字は嘘をつかない……だなんて昨今では良く言われているが、それは少し違う。

 

 確かに数字は噓をつかないだろう。

 だけど、数字を扱う人間は嘘を使える。


 そして、この嘘はこれからの女装事情に大いに利用できるものであると私は判断した。


「先ほど、先輩が口にしたファンクラブの鉄の掟……私に対する直接的な危害というのは、私をむやみやたら触る事も入りますか?」


「フ。もちろん。YESお姉様、NOタッチ。それが唯お姉様好き好き大好きファンクラブの鉄の掟。破ったら東京湾。葛城の仕事が増える」


「なるほど、理解しました。しかし東京湾に沈めるのは流石にどうなのでしょう。死にますよ、人」


「フ。冗談に決まっているでしょう。フ。フフ。フフフ……」


「まったく冗談に思えない含み笑いは流石に心臓に悪いです。ともあれ、私に不用意に近づく女子生徒が減った以上、先輩には感謝しないと駄目ですね」


「フ。これぐらい唯お姉様の妹を自称する以上は当然の事。褒美に処女膜を頂きたいという言葉をぐっと飲みこんで、唯お姉様の絶頂アヘ顔が欲しいと言ってみる」


 そういう意味では下冷泉霧香はまたしても私の預かり知らぬ所で、無意識に、私の女装の手伝いをしてくれているのであった。

 

 また、朝の登校中にもあったように私を色々と危険な目で見てくる女子生徒に対しての抑止力ともなりうる程の家柄――明治時代から続く日本の旧華族の末裔である下冷泉家の人間であるという点があるからか、彼女は隣に立っているだけで私を守ってくれる存在でもある。


 ……女装しているとはいえ、本来ならば私である私としては何とも情けないよう思いに駆られてしまうものの、こんな状況下においては彼女の存在は実に頼もしい限りなのである。


 ただ1つだけ難点を言うのであれば、私は女性ではなく男性であるという事実を下冷泉霧香は知らないという点だが……それを知ってしまったのであれば私はここで生活をする事が出来なくなるのでバレてしまってはいけないのである。


 彼女は、下冷泉霧香は、女性の天使唯を助けているのであって、女装をして女学園に入学している犯罪者を助けている訳じゃない。


 そこだけは、間違えてはいけない。


「とはいえファンクラブに属していないような唯お姉様過激派である闇の妹がいることだけは覚えておいて。そして、会員になった女子生徒たちが貴女を性的な目で見ているのも変わりない。そんな学園で単独行動をしたら人目がない所に連れて行かれる可能性があるから本当に危険。信頼できる生徒と行動なさい。例えば、同年代の茉奈さんとか」


 闇の妹って何だよ。

 ……色々とツッコミたい事はあったのだけど、私はそれらを飲み込んで下冷泉霧香の忠告を聞き、その忠告に対して心からの感謝を送る事にした。


「フ。さて、唯お姉様からの質問のうち1つは答えたわ。それで? 残りの質問を聞いても宜しいかしら」


「……えっと。尋ねておいてなんですけれど……とっても言いづらい事でして」


「フ。文脈から察するに唯お姉様が訊きたいのは身体測定絡みだというのは自ずと分かる。そんなに処女である事が恥ずかしいの? 別にいいじゃない処女で。今から処女じゃなくなるのだから!」


 どうにも彼女は私の処女膜を破きたくて仕方がないと言わんばかりに鼻息を荒くしてみせるけれども、それでも実際にセクハラをしてこない。


 そもそもの話として、この人は今の今まで私に対してセクハラをしてきたのだから、こちら側からセクハラをしてもいいのではないのだろうかという謎の理論が勝手に展開されてしまいそうになるが……いや。


 これから、私が彼女に訊きたい事というのは、絶対に誰がどう見てもセクハラなのだから仕方がない。


「……先輩」


「フ。何かしら。そんなに畏まって…………フ。これは間違いなく告白イベント。分かりました結婚しましょう唯お姉様」


「大事なお話です。聞いてくれますか」


「フ。結婚ね? OK。結婚するわよ唯お姉様」


「先輩の……その……おっぱいを……! 私に触らせて下さい……!」


「フ。――フ?」




 

━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━╋━




 少しだけ、言い訳をさせて欲しい。

 下冷泉霧香の胸を触る事になった言い訳……と言っても、今朝の話になるのだけれども。


 それは理事長室でご主人様の兄と身体測定の対策について話し合っていた時。


「……今週、生徒全員を対象とした身体測定がある。当然ながら女装をした唯も対象に入る。故に兄の女装経験から得られた助言、あるいは裏から手を回して欲しい。それぐらい出来るだろう、理事長殿」


「身体測定、か。ククク! 懐かしいものだ。俺もあの3年の間、アレには苦労させられたからな」


「我が兄が妹に隠れて女装をしていたという事実は流石に気色が悪いが、逆に言えば3年もの間、この僕にも感づかれないほどの隠蔽工作をしていたであろうことは想像に難くない。どうかその力と知恵を貸してはくれないか」


「ククク。良い慧眼だ、悪くない。無論、人生の先達者であるこの俺がやってきたことをお前たちに伝授してやろう。なぁに、もちろん業者の方にも手を回す。だが、この俺があの3年間に培ってきた必勝法を身につけさえすれば、天使唯の女装生活は盤石なモノとなるだろうよ」


「ほぅ。それは何だ兄」


「クハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! 。これ意外と本当に効力が出るのだぞホント」


「――は?」


「無論。見た事のある女性の胸や裸はノーカンだ。1度見たものというのは免疫がついてしまう。ここで重要なのは女性の裸という未知……未知という名の恐怖を無くす事だ。そういう訳で女性の裸を見ろ。胸を触れ。身体を匂え。男性が勝手に抱くイメージをぶち壊す事こそが恐怖の克服への第1歩と知れ!」


「――え?」


 とまぁ、うん、はい。

 そういう訳なのだ。


 だから、言わせてください。

 私はえっちな男の子なんかじゃありません。

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