第八章 満月の夜に 第3話

「ピエロ、何ぼさっとしてるんだ!」

 長の怒声で、我にかえる。怒られたのなんて久しぶりだ。ここで客の機嫌を直さなければ、自由はなくなる。そうなれば、もう♥Qを探せなくなる。しかし、ここで♥Qを見失ったら、もう会うチャンスはないかもしれない。…ならば、残る手は一つ。♥Qの気を引くような、この場を離れられなくなるような芸をする。それしか方法はない。メモに走り書きをし、長に見せる。

『瓶を十本以上用意』

「お前、以上ってなぁ。今までの最高記録、十だろ。また落としたら客が」

 深い礼をする。ここでやらなければ、全てが無駄になってしまう。苦痛に耐え続けた日々も、KとQを探し求めた七年間も、大切な人に出会えたことも。

 机の上に並べられた、十二本の瓶。階段にはまだ先と同じ場所に♥Qの姿があった。呼吸を整え、まず三本とる。続いて四本、五本…。

「すごいわ」

「さっきの大きな瓶は、観客が投げたものだったらしいぜ」

「それならしょうがないわね。今ので八本目かしら」

 盛り上がる観客につられ、通りがかりの人々も足を止める。いつにない観客数になり始めていた。しかし♥Qは一人切り離された世界にいるかのように微動だにしない。今までただ命ぜられるままに芸をするだけだった。勝手に足を止め、僕の芸を見て笑い、お金を置いていく。それだけだった。何も考えずに、たくさんの人を笑わせてきた。でも、初めて喜んで欲しいと思った人だけは笑わせることができない。その頬を伝う涙を止めることもできない。


 君に笑って欲しいから。心を失くした僕の代わりに。だけど僕は言葉も力もない芸奴隷。だからこの場所で芸をする。君の見えるこの場所で。僕にあるのは芸だけだから。それでも君に届かないのなら、僕にあるのは何ですか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る