死神の使い 〜人を生き返らせる仕事に誘われたのだけれど〜

スクール  H

第1話

高い高いビルの上、


吹き荒れる風に体がグラつく。


屋上から地面をそっとのぞき見て、その高さに臆してしまう。が、もう決めたことだ。逃げてはだめだ。


恐怖を押し殺し、掴んでいた金網から両手をパッと離し真っ直ぐに立つ。


ボサボサの黒髪が風が吹くたびに乱れ、髪を切っておけばよかったと後悔する。


数年間愛用していたメガネを胸ポケットにしまい、ぼやけた視界を覆うようにまぶたを閉じる。




覚悟を決めた瞬間、


黒い何かが体に忍び寄る感覚がした。手に足に頭に”黒い手”が絡みつく。


恐怖?・・・いや違う。その絡みつく手は、”死”だ。もうすぐ僕はあの世へと旅立つのだからそうに決まっている。そう思うと余計に足がすくむ。





【早く死ね!そしてその体を俺に寄こせ!】





突如耳元で誰かの叫び声が聞こえた。ひどく枯れていたが、心臓に絡みつくようなねっとりとした言葉。





【その体は私のものだよ!さあ、早く飛びやがれ!】





別の声がはっきりと聞こえた。しわがれた女性の声。





【お前みたいな大人に生きている価値はない!】





今度は幼い少年の声が響く。


なぜみんな、そんな悲しそうな、苦しそうな、憎らしそうな叫び声で話しかけてくるんだ?僕はただ、死にたいだけなのに…


黒い影が僕の体にしがみつく。その両手は黒く薄汚れていた。


背中から誰かに圧迫されるような感じがする。誰かが僕を殺そうとする感覚。


このまま素直にその感触に身を預けていれば、予定調和のようにあっさり死ねる。なのに、なぜかそれを拒否する自分がいた。


必死に抵抗して、必死に金網にしがみついた。






【貴様に生きている価値など無い!】

【死んでしまえ!死んでしまえ!】

【俺等のために死ね!】

【その体を私に頂戴!】

【ねえ、早くこっちに来て!】

【死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ死ぬんだ】

【俺等が生きる俺等が生きる俺等が生きる俺等が生きる】

【このクズ、ゴミ、無能、用無し、死にぞこない!】

【さあ、早く私達にその命を!】






「うるせぇぇぇ!!!お前らなんかにくれてやるかよ!!!!」



だが、どんどんと黒い何かに押されていく。それは僕の心をじりじりと蝕んでいく。



「やめろぉぉぉぉ!!!!!!」



「そうだ、やめるんだ!」



僕が叫んだ瞬間、誰かが横で同じことを言った。その声は中性的で深く沈むような声色だった。


僕の声のせいなのか?それともその誰かの声のおかげなのか?黒い何かは急に僕を押すのを止めて、スーッとその気配が引いていった。と同時に、力んで苦しかった僕の体と踏ん張っていた両足の力も解放された―――が、



「ぎゃぁぁぁ!!!」




金網を掴んでいた僕の両手は限界を迎え、何とか踏ん張っていた両足も力のかける場所を失い、つるっと滑る。綺麗に一回転した僕は、重力に従ってそのまま真っ逆さまに下に落ちていった。


このまま落ちて僕は死ぬのか?時間がゆっくりと流れる感覚に陥る…


瞑っていた目を恐る恐る開けると綺麗な青空が広がっていた。雲は穏やかに漂い、鳥たちが自由に飛び回る。


その視界の端から何かが入り込んでくる。黒色のグルッと曲がった物体。何なのか分からない。でも咄嗟にそれに手を伸ばし掴もうとする自分がいた。


「危ない、危ない。危うく本当に死んでしまうところだったよ!」


僕が掴んだモノは傘の持ち手だった。気味悪い黒い傘を差し出したのは、先程の中性的な声の持ち主だった。


大きなクチバシと大きな黒目をした仮面をつけて僕を見つめる。


服は全身真っ黒のタキシードに包まれ、赤い蝶ネクタイをしている。


その異形の人物に僕は軽々と傘で釣り上げられ、先程までいた屋上の縁に引き戻され、立たされた。


「よし、今度は落ちないでね!」


自分の体を触って怪我のないことを確認した僕は、改めて正面に立つ人物に目線を向け―――絶句する。


その人物の背後には無数の”闇”があった。


どう表現すればいいのか分からないが、真っ暗な空間から無数の叫び声が聞こえそうな気がした。


何かが蠢き、何かがこちらに手を伸ばそうとする。それは先程感じた黒い何かだった。


「ハハハ、さすが素質のある人間だ!吾輩の後ろのモノが見えるのか!」


本当に男だか女だか分からない中性的な声。表情も読み取れず、ただ声色の様子からおそらくは笑みを浮かべているのだろう、と想像ができる。


「貴方は?」

「お、これは失礼した。吾輩は死神【ビーベル】だ。お見知りおきを!」


ビーベル?確かラテン語で”生きる”だったような…

いや、それより死神?何の冗談だか。


だが、納得するしかない。目の前の奴は明らかに人間ではないし、背後の冷気を帯びた無数の闇は”死”だと直感できる。それは、人間にまだある動物としての本能だ。


「死神が生きる?とんだ皮肉だな」

「おや、吾輩の存在に驚かない!やはり素質のある人間だ」

「驚くっつうか、信じるしかないだろ。でないとお前のような存在を説明仕様がない」


確かにこのビルの屋上には僕だけしかいないはずだった。にもかかわらず突然現れた不可解な人物。

何よりここは廃墟ビルであり、一般人の立ち入りは禁止されているはず。


「もしかして、ただの狂った人?」

「いや、ちゃんとした死神だ。命を刈り取り、天界或いは地獄へといざなう存在。君たち人間が想像しているものと同じだ」


へぇ〜〜そうなんだ。でも、興味はないけどな。


「それで、そんな死神が何で僕を助けたわけ?」

「それは君に素質があるからだよ!」

「そのさっきから言っている”素質”って何なんだよ!意味が分からないんだけど?」

「おっと、そこからだったね!貴方にはズバリ、【ビーべル】になって欲しいんだよ!」

「ビーべル?」

「ビーブル・レディトゥスの略さ!ラテン語で”生きるを取り戻す”だよ!どうだ、かっこいいだろう!」

「はっきり言ってダサいぞ」

「なっ!!!」

「安直すぎてそのまんまだし、カッコよくもないし、文脈もしっかりしていない。しかもそこまでしっかりと略されていない!グダグダ、ダサすぎだろ!」


僕の指摘に明らかにシュンとなるビーベル。だがすぐに顔を上げる。


「まあ、普通は【デス】って呼ばれているからそっちでいいよ」

「いや安直度が上がっているし―――ってか、意味真逆じゃないか!」


“生きる”から”死”になる。

だめだ、このジンガイは意味が分からなすぎる。


「まあまあ、細かいところは置いといて。まず、デスについて説明しよう」


話題をすり替えて、僕の指摘から逃れる死神の様は滑稽である。

正直関わりたくないと思っているが、とりあえず話だけは聞くことにした。


「端的に言うとデスの仕事は、命の価値のない者に、命を欲する者の魂を吹き込むことだ!」


僕は首を傾げる。どういうことだ?


「その顔は分かっていないな。よし、じゃあ問題だ!この世の死んでいく者たちはどういった気持ちで逝くか知っているか?」


つまり、死んだ時どういった気持ちか、という質問か?


「分かりません」

「そんなに難しい質問じゃない。例えば、さっき君は死のうとした時、どういった感情だった?」

「さっきの僕の感情?・・・虚しさ?・・・悲しさ?・・・絶望?・・・よく覚えていませんが」

「まあそんなところだろう。この世には、悲しさ、怒り、未練、喜び、恐怖、嫉妬、渇望、崇拝、困惑・・・・・・。様々な感情を持って死んでいく人々が存在する。いや、大多数と言っていい」

「誰かに殺された、道半ばで死んだ、誰かを残して死んだ、何かを望もうとして死んだ…とかですか?」

「その通り。この世に本当に満足して死んだ人間などほとんどいない。だから、そんな人々を救うのが我々の仕事なんだよ」


死神が誰かを救う、だって?なんとも胡散臭い話だ。


「その顔は疑っているな?でも、吾輩の後ろにいる奴らの声を聞いてみるといい。さあ、耳を傾けてごらん!」


言われるがまま耳をそちらへと向ける。すると―――



















【ああ、あの子は無事なのだろうか?】

【ああ、あいつだけは殺す!殺す殺す殺す殺す!】

【お母さん、お姉ちゃん!何処にいるの?】

【まだ、やらなければならない!彼らのために!】

【死んでたまるか!まだ、できることはある!】

【クソ、あいつのせいで!】

【何で死んでしまったの?まだ、まだまだまだまだまだ!】

【ああ、もっと死にたい死にたい死にたい!】

【消えて、この世の全員消えて!そうすれば…】

【ああ、あの子にもう一度会いたい!グヘヘへ】

【まだ、殺し足りない!もっと、もっと!】

【まだ死にたくないよ!ここで・・・終わらせたくないよ!】

【ああ、神よ!我にまだ生を!】

【死にたくない死にたくない死にたくない!】

      ・

      ・

      ・

      ・

      ・

      ・

      ・

      ・






無数の叫びが風に乗って僕の耳に侵入する。思わず顔を顰めて耳を塞いだ。


「どうだ?これが死んでいった者たちの無念の叫びだ。彼らは必ず何かを抱えて死んでいった。そしてそれは一部に過ぎない」


再び、黒い手が僕へと襲いかかるように伸びてくる。その黒い手、いや”闇”には無数の叫びが感じられる。ゾッとさせる暗い何かが夥しく存在する。


「【デス】の仕事は、彼らにもう一度生きるチャンスを与えることなのだよ!」




ビーベルが僕をじっと見つめる。



その表情は相変わらず読み取れないが、先程よりも冷酷で恐ろしいものを感じた。


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