第8話 いっしょ!
「そろそろ帰る時間だね」
「時間の流れが早いなぁ」
気が付くと五時を回っている。門限は特にないけれど、まだ高校一年生なんだからそろそろ帰り始めた方が良い時間帯であるのは間違いない。
「ねぇ」
「ん?」
突然、呼び止められる。
暮れた空に染まった笑顔は、どこか強張っているようだった。
「今日さ、楽しかった?」
「えっ?」
そんな当たり前の事、どうして今更質問してくるんだろう。
「それはもちろん!」
「っ! でしょ!」
「う、うん?」
意図が上手く掴めない。
「今日、私がなんでりょうを誘ったか分かる?」
「え、それは……みちかが、優しいから」
「違うよ。寧ろ意地悪だったんだよ?」
「ぇ……?」
ど、どういう事なんだろう。もしかしたら、やっぱり嫌われ…………
「安心して。りょうを嫌いになったことなんか一回も無いよ」
「ぁ、そ、そうなの?」
「うん。一回もね」
…………え?
それは、おかしいんじゃないかな。だってみちかは小さい頃、僕のせいで泣いて引っ越してしまったんだから。
「まずさ、りょう?私が小さい頃泣いてたのって、りょうのせいじゃないんだよ?」
「……えっ?」
「小さい頃泣いてたのは、次の日に引っ越すのに、りょうにさよならを言えてなかったから。さよならをいう勇気も無かったから」
「そ、そんな……で、でも!いつも僕はみちかを連れまわして、迷惑をかけちゃったこともあるし、自分だけ楽しんでたりしたときもあったと思うし……」
「……あっはは!」
「な、何……?」
さっきと打って変わって、みちかは快活な笑みを顔に浮かべている。
ひとしきり笑い終わって一言だけ、僕に言葉を投げかけた。
「今日、私がりょうを連れまわしたのと一緒!」
「え?その……あっ」
自分はさっき、こう言った。
『今日はさ、楽しかった?』
『それはもちろん!』
って。
気持ちが高鳴る。
叫んでいる。
言うなら、きっと今しかないと。
言わずに後悔したくないから。
「僕、自分は。その──────」
「?」
不思議そうに首を傾ける美愛の顔が、茜の空に鈍く反射して直視できない。
でも、今だけは失明だって厭わない。
顔貌に内なる影が心の錠を粉々に砕き現れ、漏れ出る感情が嵐のように游ぐ血潮を紅霞が覆うことを望んで。
「好きです。その……付き合って欲しい、です」
言って、しまった。
この心地よい関係が、壊れる言葉を。
────────────────────
「いや~昨日のシーン見たか!? 名言!!!」
「ん? 何それ」
「あれだよあれ! 『人にとって人生を少しでも曲げた出来事はみな覚えている』ってやつ! あの言葉が伏線回収されるとはな! あーでも、風間はあんまりこの言葉好きじゃなかったっけ?」
「あぁそれ」
丁度一週間前、アニメをみた柳下に芳しくない対応をしたのを覚えている。
「でもさ、考えてみろよ。丁度今アツいアニメが今どっちも過去にフォーカスしてるんだぞ? なんか運命感じないか?」
「別に」
「ちぇっ! つまんない奴!」
「現実でちぇっていう人ほぼ居ないから」
「ここに居るだろ」
朝からよくこのテンションで騒げるな。ただ、別に嫌なわけではない。自分には朝をそのテンションで活動する元気がないから、感嘆してるだけだ。
「でも、今はそう思って無いよ」
「え? いやいや、さっき『別に』ってつれない返事くれてきたじゃんか!」
「あぁごめん。その前の」
「ん~と? 『人にとって人生を少しでも曲げた出来事はみな覚えている』の?」
「そうそこ」
もっと詳しく言うなら、そう思えない。かな。
「おはよ、頼納さん!」
「おはよ! 凪ちゃん、昨日って何してたの?」
「え~! ひみつ!」
「ケチ~! じゃあさ、昨日遊べなかったから今週の日曜日みんなで遊ばない?」
「良いよ、今週なら空いてる!」
「やったね!」
相も変わらずコミュニケーションが上手いな。先週よりも仲睦まじく見える。
「なぁ風間、凪さんって凄いな? もう女子達と仲良くなってるぜ」
「ね、尊敬する。ただコミュ強は柳下も同じだろ」
「ん~? なんだ、俺の事褒めてくれてるのか? ほら、もっと褒めろ」
「言わなきゃよかった」
「冗談じゃんか!」
まぁ良い、本当に思っている事だし。
「はい、席付いて! 週明けだからって気抜いてんじゃないぞ!」
「やべ、んじゃな! あと、考えが変わったならあのアニメ見とけよ!」
「はい、ありがと」
柳下が、というよりクラス全員がそれぞれの席に戻って行く。もちろん、自分の隣の席も席が埋まる……ん?
「今日高平君欠席です!」
「おーそうか。お大事に」
「病欠ですか?」
「いや、打撲? だか何だかだ」
「可哀想……」
そうなんだ。高平……ご愁傷様。
「まぁ特に今日は言うことないから一限目の授業の準備しとけ~! じゃ解散!」
解散までが早い。これも担任が生徒から好かれている理由の一つだろう。
「りょう!」
「み、みちか。おはよ」
先生の事を考えていると左隣から笑顔で声を掛けられる。昨日の今日だ、流石に気まずいような……自分だけなんだろうか。
「おはよ!」
軽快な笑みで挨拶を返してくれる。やっぱり、気にしてないんだ………
「ね、腕」
「う、腕?」
ちょいちょいと腕を出してとのジェスチャーされ、何も言わず腕を出す。どうしたんだろうか。
っ!?
「……内緒ね」
「は、はいぃ……」
突然、腕に抱き着いてきた。時が、止まった。
そんな瞬間でも、みちかは笑顔と太陽の光で輝いている。
見る見るうちに顔が赤くなっていくのを感じた。
「……えへへ」
「ええと……」
何も言う事が出来ない。
「はい、皆。準備できてるね。まぁ鞄から教科書取り出すだけだもんね」
「今日の授業もいっしょに頑張ろうね」
「う、うん。頑張ろ」
赤らむ顔を背けたくて、席に着いて即座に教科書を取り出して前を向く。
授業が始まった。
ちらりと隣を向く。
「…………」
みちかは窓の外へ顔を向けていた。
耳が、赤かった。
「…………あはは」
いっしょだ。
頑張ってくれたんだね。
「自分も、頑張らないと」
そう、心に決めた。
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