第23話 信頼と正体

 魔族の死は人や魔獣の死とは異なる。

 ただ一代だけ存在しながらも『族』と呼ばれるのは、命一つを連綿とつなぐから。


 ヒース=ノークンと今は名乗る鎧鷲獅子アウラグリフォンが誕生したのは、封印の中でだった。先代が死した魔力を封じられたからだと教えてくれたのが、共に封印されていた檎母龍ロゼリアドラゴンだった。



 ──憎き精霊と、それを信奉する人間のせいだ。我らがかような場所に閉じ込められているのは。

 ──新たなる鎧鷲獅子アウラグリフォンよ。お前はまだ精霊や人と遭遇したことがないから分からぬだろう。あれがどれほど我らの魂に刻まれた、おぞましき存在か。

 ──だが、いずれ知るだろう。この忌々しき封印が解かれたその時に。


 マザーは恐ろしくも優しかった。だから彼女が言うならと信じて疑わなかった。



 * * *



 夜が明ける前の早朝。闇の中に僅かに光る星明かりを頼りに天馬が一頭飛び立った。手綱を握るヒースさんの熱が背中に触れる。それが緊張と不安で凍えそうな私の心を温めた。


檎母龍ロゼリアドラゴンがかつて封印された場所は……」

「ここから南東の切り立った岩山だ。火のエーテルが色濃く、対策をしないで向かえば焼けこげる恐れもあるな」

「こ、こわいこと言わないでください!」


 ディノクスさんにあらかじめ渡されていた、火鼠ファイラットのローブを握りしめた。

 私たちの目的は一つ。檎母龍ロゼリアドラゴンへと出会い黎属れいぞく及び説得ができるかの確認だ。術式に必要なスクロールは余分にカバンに入れてきたし、防御に使う魔法具もディノクスさんが貸してくれた。


 ──理想をいえば檎母龍ロゼリアドラゴン本体を。そうでなくとも強いドラゴンを何頭か黎属させて人間の敵ではないことをアピールできれば、被害も民の恐怖も減るでしょう。

 本当ならもうちょっと人数が多けりゃいいんだろうけれど、国のやつほど四大魔族への恐怖は色濃い。アンタたちに頼むしかないの。ヒース、アンタの腕前ならいざって時にマナミを守れるでしょう?

 ──当然だ。


 昨日の未明にしたやり取りを思い返す。


「ディノクスさんがリュミエルさんを少し足止めしてくれると言ってましたが……大丈夫でしょうか」

「……各地に結界を貼らせるだけならあいつでは数刻もかかるまい。あとはどれだけディノクスの口が回るかだが」


 天馬が飛んでいけるのは岩山のふもと付近までだ。翼をもつドラゴンが多く存在する山で飛ぶことは危険が大きい。

 万一間に合わなかったら。冷たい風に服の裾を握りしめていれば、その上から手が重なる。


「ヒースさん……?」

「……手段はある。天馬に依らずともある程度は飛んでいけるだろう」

「えっ、あの山をですか!?」


 ディノクスさんとの会話ではそれらしいことを口にしていなかったはず。

 天馬に乗ったまま後ろを見るなんて出来ないまま、言葉の意図と沈黙をどう受け取るべきかと思考が回る。


「え、ええと。騎士団ならではの奥の手、みたいな?」

「違う。……騎士団の面々も知らない手段だ。リュミエルを除いて」

「えっ、」


 そんな手段があるのか。そう思うと同時に私が聞いてもいいのだろうかという不安が湧き立つ。振り返りたいという衝動を見透かし止めるように、天馬が大きく傾いた。

 落ちそうになる錯覚を覚えながらも、ヒースさんの腕が手綱を一度揺らせばすぐに安定した。


「っ……、」

「……悩んでいた。お前にそれを伝えるべきか。言わずともお前がこの世界で平和にあれるのなら、無為に葛藤の種を増やす必要はないと」

「悩みですか? どうして」


 ヒースさんに対してそう思うなんてあり得ない。とっさに湧き上がった衝動の正体は自分でも分からないけれど。

 天馬の翼が大きくはためいた。空から大地へ、ゆっくりと高度を下げていく。


「着いたぞ。……先ほどの話の続きは、天馬を停めてからだ」

「……は、はい」




 誇らしげに鼻息を鳴らす天馬を撫でてから、外部の人に貸し出しているうまやへと預ける。ここは別の騎士団の人も良く使う場所のようで、ヒースさんの姿を見た村の人は手慣れた様子で手続きを済ませてくれる。

 天馬と村の人に見送られ、私たちはゆっくりと荒野を歩き出す。これまで私が訪れた場所のどこよりも草木の緑はなく、露出した赤い岩肌が印象的な場所。


「あの。さっきの話なんですが、リュミエルさんしか知らないことって……」


 ──まだここに来て数か月も経っていない私が、知っていいことだろうか。

 尋ねようと見上げた顔は、思っていたよりもずっと……やわらかいものだった。


「かまわない。マナミになら」

「……どうしてですか」


 ずっと疑問だった。私とはじめて会った時から優しかった。それはリュミエルさんもそうかもしれないけれど、どこか上空から見定めるような彼のやり方ではなく、地に足をつけて私の隣にいてくれるような。

 そこまでしてもらえる理由が分からなかった。先日彼は恩と言っていたけれど、そんな心当たりなんてもちろんないから。


 うまやのあった集落はとても小さくて、街道からそれて歩いていけばすぐに人の気配などなくなる。建物の影がようやく見えるかどうかというくらいに距離を置いたところで、ヒースさんが足を止めた。


「この世界の時間軸からおよそ二年前、俺はお前に出会い、手当てをされた。その時俺は信じられる者など一人もいない。そういった想いも確かにあったはずなのに……不思議だな。お前の手だけは受け入れられたんだ」

「二年前……。……えっ、どういう、どういうことですか!?」


 私がこの世界でお世話になってから、まださほど時間は経っていない。こんな異世界に来ることなんてそうあるわけでもないというのに。それに手当も。ヒースさんのような人と過去に出逢っていたら、忘れるはずがないのに。


 こちらを見ている彼の輪郭が揺らめいた。不確かな境界線は次第に膨張し、かたちを変えていく。小さな山が突然出現したような錯覚さえ覚えて、けれども私の足は不思議と後ろに下がることもなかった。


 やがてその変化を終えた時、目の前に立っていたのは世にも美しき、黒きグリフォンだった。

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