星のささやきを集めて
とても暑く終わりの見えなかった夏は、過ぎ去ってみると案外短かったようにも感じられ、今はトンボが高く澄んだ空を舞い、朝晩は長袖一枚だと少し肌寒い。
今日は体育祭。雲ひとつない晴天とはまさにこの日のことだった。
リレー、綱引き、障害物競走、騎馬戦、玉入れ…。運動部だというだけで、ほぼ全員がいろいろな競技に駆り出される。なかには人数の関係で何種目にも出場する人もいた。
そして、この学校の体育祭の最後はフォークダンスで
校内の全員が運動場に集まり、学年ごとに男女が大きな輪を作る。
フォークダンスの練習は体育の授業で何回かやった。練習の時は同じクラスの男女しかいなかったが、本番は別のクラスの男女の組み合わせから始まった。知らない人と踊るのはなんだか緊張してとても恥ずかしい。
全員が落ち着いて静かになったところで音楽が始まった。
それぞれ向かい合って手を取り合い、音楽に合わせて踊る。
男女ともぎこちない動きで少しずつ進んでいく。輪が動くたびに
何人かと踊ったところで、ちらちらと目の端によしのの姿が映った。
少し遠くにいたかと思っていたけれど、気が付いたら彼女はすぐそこまで来ていた。
僕はここ数日、もし、よしのやけいと一緒に踊ることがあれば、言ってみようと心に決めていたことがあった。
そしてその時は案外あっさりとやってきた。
「あの、さ…」
僕は彼女の手を取って近付いた時、思い切って声を掛けた。
運動場は雑音が多く、僕の声は彼女にしか聞こえていないはずだ。
「え…?」
よしのはそれまで恥ずかしそうに下を向いていたが、びっくりした顔で僕を見た。
思わず目が合ったが、僕は周りにバレないようにと、すぐに前を見て言葉だけ続けた。
「今、
「彗星?」
「うん。夜しか見れないけど、行ってみない?」
しっかりとではないけれど、手を繋いでいる状況でこんな話をするのはとても恥ずかしかったし、緊張で手が汗ばんでいるんじゃないかとか、心臓が早く打っている音を聞かれてしまったのではないかと思うと、そんなことが気になり、まさしく顔から火の出る思いだった。
「どこで見れるの?」
「高台の公園」
「でも夜にそんなところ…」
「けいと一緒なら?」
「うん、それなら…相談してみる」
これだけを話すのが精一杯だった。
音楽は流れ、高く掲げた僕の腕の下でよしのはくるりと一回転し、お互い向かい合ってお辞儀をした。
そして僕は何もなかった顔をして、次の人の手を取った。
練習の時とは違い、音楽はいつまでも絶え間なく流れ続け、人は次から次へと入れ替わっていく。
けれど、よしのと踊ってから音楽が止まるまで、僕はどれくらいの人とどのように踊ったのだかまるっきり覚えていなかった。
結局、けいと踊ることは最後までなかったが、よしのがちゃんと話をしてくれるだろう。
これから少なくとも一週間、しばらく秋晴れが続く予報だった。夜の予報も星マークが並び、星空もきれいに見えるはずだ。
いつ誘うのがいいんだろう。やっぱり休みの前の金曜日の夜がいいのかな。
僕は家に帰ってからもこのことで頭がいっぱいだった。
放課後に、よしのかけいのどちらかの教室に行ってみよう。
家に帰り体操服を着替えていると、電話が鳴った。
「はい、
「もしもし、わたし
「うん、僕だけど」
「あ、皆実くん? さっきよっちゃんから話聞いたんよ。彗星見に行くのって、今日はどうなん?」
唐突な提案だった。
「今日って、これから?」
「うん、夜ご飯食べたあと。体育祭でちょっと疲れたけど、明日休みだから寝坊できるし」
「高台の公園に行くだけだし、そんなに夜遅くまでいるわけじゃないから、朝寝坊するまででもないよ」
「そうなん?」
「うん。だから、ふたりがいいなら今日でもいいよ」
「ほんと? よっちゃん、今日行けるって」
「よしのもいるの?」
「うん。電話替わる?」
「ううん、大丈夫。じゃあ、どこで待ち合わせにしようか…」
家族に声を掛けて玄関を出ると、空にはまだ夕方の気配が残り、いくつかの星が輝いていた。
ふたりとはバス通りの坂道を上ったところで待ち合わせをした。
夏に大きな入道雲を見た場所だ。
坂道を上り切ると、大きく手を振る人影が見えた。
高台の公園に着くと、まずは3人で街を見下ろしてみた。
まだほんのりと明るさの残る街並み。家々には明かりがともり、遠く瀬戸内海に浮かぶ船の灯りもいくつか見えたが、島の影は闇に溶け込みはじめていた。
「ずいぶん暗くなったね」
よしのの言葉に合わせるように、足元からコロコロとコオロギの声が聞こえてきた。
「ここで彗星が見れるん?」
けいが聞く。
「うん、もうだいぶ暗くなってきたから見えてくるはずだよ」
僕は街灯の光が来ない場所に移動し、海とは反対の山側の空を見上げ目を凝らした。
すると北西の方向にぼんやりとした彗星が浮かび上がってきた。
「ほら、あそこにあるの分かる?」
僕が空を指差すと、ふたりも夜空を見上げた。
「え? どれ?」
「ほら、あそこの、ちょっとぼんやりしてるけど、左のほうが頭で右に向かってしっぽが流れてるように見えない? もうちょっと暗くなったらもっとはっきり見えると思うんだけど」
「あ、わかった!」
「よっちゃん見えたん? あ、うちもわかった! ああ、あれね。ふーん。彗星って流れ星のことかと思っとった」
「それは流星群」
「違うん? 知らんかった」
「わたしも流れ星なのかと思ってた」
「流星群は毎年見れるけど、この彗星は何千年に1回しか地球の近くに来ないから、僕たちが見るのはこれが最初で最後だよ」
「そうなん? それめちゃくちゃ貴重じゃない? ね、よっちゃん」
「うん。いつも見れるのかと思ってた。へえ、そうなんだ。皆実くん、ありがとね」
「ううん。僕も見たかっただけだし」
お礼を言われると、なんだか気恥ずかしかった。
「それにしても星がたくさん」
よしのは空を見上げてつぶやいた。
「ほんと。街が星の明かりに照らされてるみたいじゃね」
夜空にはいくつもの星がきらめき、天の川はそんな星々のささやきを集めて、ほのかに光りながら瀬戸内海へ流れ込んでいくようだった。
その時、流れ星が見えた。
それは天の川を渡り、大きく尾を引いて海の向こうへと消えていった。
ふたりはこの流れ星を見ただろうか。
そう聞いてみたかったが、ふたりは黙って星空を眺めていたので、僕は口にするのをやめた。
山の方から風が吹き、どこか冷たい指先が首元をなでていくようだった。
「よっちゃんから言って…」
「えー、でも…。うん、わかった」
ふたりはなにか小声で相談をしているようだった。
「皆実くん?」
「なに?」
「お願いがあるんだけど…」
「うん。なに?」
「わたしたちを家まで送ってくれない?」
「家まで?」
「そう。うちら友達が家まで送ってくれるのを条件に出てきたんよ」
「そうなの?」
「うん…。勝手なことを言ってごめんね」
「ううん、別にいいよ。じゃあ、遅くなる前にそろそろ帰る?」
「うん。そろそろ帰ろうかね」
「少し寒くなってきたしね」
少し大回りになるが、僕たちはバス通りに出て坂道を下った。
途中すれ違ったバスに乗客はほとんどなく、その明かりだけが静かな街を照らしていた。
「ここでいいよ。うちすぐそこじゃけん」
「皆実くん、ありがとね」
「うん、こっちこそ。それじゃ、おやすみ」
「今日はありがと。おやすみ」
「皆実くん、おやすみなさい。またね」
僕はひとりバス通りを戻り、静まった街の坂道を歩いていく。
街灯と街灯の間の夜空に星がきらめいている。
そして彗星の尾が少しだけ見えた。
宇宙のなかで大きな楕円を描き、次に戻ってくるのは何千年後。
僕の人生とはもう二度と交わることのないこの彗星。その頃の人類はどうなっているのだろう。
そんなことを思っていると、彼女たちの人生と交わったこの時間も同じように、次の瞬間には僕から離れてどこか遠くへ行ってしまうのではないかと、ふとそんなことを考えてしまった。
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