運命を紡ぐ想い
蓮見庸
第一章 海の見える丘の上の街で
冬の暖かな陽射し
「これ、受け取ってください」
そう言って紙包みを差し出すふたりの少女。
中学1年生の冬。
あまりにも突然のことだった。
僕はふたりを目の前にしてドキドキしてしまい、顔なんてまともに見ることはできず、彼女たちの制服の袖口を見たり、肩に掛けたカバンを見たり、地面を見たり、目が泳いでしまう。
知らない女子に話しかけられるだけで、僕を緊張させるのに十分すぎるほどなのに、同じ顔をしたふたり、しかも制服を着ているからほとんど区別が付かず、僕の頭はひどく混乱していた。
ちらりと顔を見て、違うと思ったのは髪型と雰囲気。そして、胸元の赤いリボンの付け方が違っていた。声も少し違っていたかもしれない。
「
よしのと名乗ったその少女は、赤い顔をしてうつむきながら、言葉をひとつひとつ選ぶようにそう言うと、両手で抱えていた紙袋を僕の前にやさしく差し出した。
僕は女の子から物をもらうなんて初めてのことだったので、差し出された紙包みを前に、いったいどうしたらいいのかと戸惑っていた。
しばらく沈黙が続いた。
そんな様子に耐えかねたのか、もうひとりの少女が片手でつかむようにして持っていた紙包みを、ぶっきらぼうに僕の胸の前に差し出した。
「ん、これ!」
僕は驚いたが、その勢いに
彼女を見ると、少しムッとしたような表情で、けれど、よしのと同じように赤い顔をしていた。
「わたしは、えのかわけい。みんなからは、けいちゃんとか、けいって呼ばれてるから、皆実くんもそう呼んでもいいよ」
その、けいと名乗った少女はそう言うと、急に思い出したように、
「ほら」
と言いながら、よしのの背中を押して僕の正面に立たせた。
「ちょっと、けいちゃん…」
「よっちゃん、がんばるって約束したじゃない」
「そ、そうだけど…」
ふたりは僕の前でこそこそと小声で話を始め、そのうちによしのは覚悟を決めたように僕の方を見たが、すぐにまた目線を落とし、
「あの…これ……」
そう言ってあらためて僕に紙包みを差し出した。
僕はそんな彼女を見ていると、自分も恥ずかしくなってきて、もじもじしながらそれを受け取った。
けいは、よしのが僕に紙包みを渡し終えるのを確認するように見てから言った。
「ちなみに、えのかわっていう漢字は、可愛いいっていう字に、川って書くんよ。知らんでしょうから、先に教えてあげる。可愛い川で、
僕は「えのかわ」と聞いても、それが苗字のことを言っているとは理解が追いつかず、いや、そもそも緊張して彼女の声が言葉として頭に入ってきていなかったので、とりあえずあいまいなまま答えた。
「う…うん。えっと、かわい、がわ…さん?」
「違う! そのまんまじゃない。かわいいのはわたしたちと漢字。わたしたちがかわいいのは仕方ないけど、苗字は、え、の、か、わ、だからね」
「あ、ごめん。その…えのかわさん、ね」
「うん、そうそう。それで、わたしがけいで、こっちがよしの。ふたごだからって間違えたら許さんよ。ほら、よっちゃんも自己紹介」
「あ、あの、よしのです。みんなからは、よっちゃんとか、よしのんって呼ばれてます…」
よしのは相変わらず赤い顔をして、恥ずかしそうに下を向いて言った。
「あ、はい…」
そんな彼女を見ていると、僕もまた恥ずかしくなってしまい、同じような調子で返事を返した。
「まったく、しょうがないねー」
よしのの様子を黙って見ていたけいがつぶやくように言った。
「え? なに?」
「なんでもない。あんたには言っとらんの。男だったら、細かいことは気にせんのよ」
けいは状況が飲み込めずにきょとんとした僕にそう言うと、よしのの肩をぽんぽんっと軽く2回叩いた。
よしのはハッとしてけいを見ると、急にほっとしたような表情になり、ふたりはお互いにっこりと微笑みあっていた。
さっき聞き流してしまったが、ふたりはふたごだと言っていたような気がする。
これだけ似ているんだから当然だろう。逆にふたごじゃなく友達だとしたら、どうしてこんなに似るのか聞いてみたい。
それにしても仲がいいふたごの姉妹なんだなと、ちょっとうらやましくなった。
そんな僕の視線に気づいたのか、ふたりは思い出したように僕の方に向き直った。
「なにをにやにやしとるん?」
「けいちゃん、そんな言い方したらだめだよ」
僕はまた視線を泳がし、そしてようやく言った。
「ええと、それで…」
ふたりに見つめられた僕はしどろもどろになっていた。
彼女たちは何も言わずに僕を見ていたが、やはり最初に口を開いたのはけいだった。
「それで、じゃなくて、何か言うことはないん?」
「言うこと?」
「そう。大事なことよ」
「大事な……?」
「そうよ。それ。編むのたいへんだったんよ」
「編むの? あ…、あ、ありがとう」
「こっちこそ、もらってくれて、ありがとうございます」
けいの横からそう丁寧に応えたのはよしのだった。
「どういたしまして」
けいはそっけなく返事をし、続けざまに言った。
「それで?」
「え?」
「名前は覚えた?」
「名前? う、うん。えのかわさん、でしょ?」
「それは苗字。名前よ、名前」
「えっと、えのかわけいさんに、えのかわよし…えーっと……よし………」
けいは不満そうな顔をして、よしのは少し悲しそうな顔をして僕を見ている。
僕は真っ白になった頭で思い出そう思い出そうと必死に考えたけれど、そうするとなおさら焦ってしまい何も出てこない。
「………こ?」
ひねり出した答えを言いかけるとけいは怒ったような顔をしている。間違っていたようだ。
「…じゃなくて………の?…そうだ、よしのさん。えのかわよしのさん」
よしのはほっとした表情をした。
「もう忘れんよね? 名前、忘れたら怒るけんね」
「う、うん」
「それじゃ、わたしたち帰るけん」
けいはぶっきらぼうにそう言い、
「ありがとうございました」
よしのはしおらしくお辞儀をした。
その様子を見ているとなんだか照れてしまう。
「もう帰るけんね」
そう言うけいはやはり不満そうだ。
「えーっと…うん」
「もういい。よっちゃん、帰ろ」
「……うん。あ、ちょっとけいちゃん待って!」
僕は両手に紙包みを持ち、ふたりが帰っていく後ろ姿をただ眺めていた。
ふたりは一度だけ振り返り、そして坂道を下りるとすぐにその制服姿は見えなくなった。
僕は呆けたように立ち尽くし、今起こったことを振り返ってみた。
ふたりのことは何も知らなかった。
『えのかわよしのさん、と、えのかわけいさん。名前は聞いたけど、どこのクラスの人なんだろ。自分のクラスと部活の人のことしか知らないし…』
そんなことを考えていると、なんだかたいへんなことが起こってしまったんじゃないかと、急にまたドキドキしてきた。
明日学校に行ったらうわさされるんじゃないか。
僕はあたりをきょろきょろと見回したが、遠くで犬の鳴き声が聞こえるだけで、人の姿はどこにもなさそうだった。
それは、ある冬の日。
陽の光のやわらかい、この季節にしてはめずらしくとても暖かな午後のことだった。
立ち並ぶ家の隙間から、遠くに穏やかな瀬戸内海が見えた。
その水面は太陽の光を受け止めて、島を抱きながら白く輝いていた。
島の影はいくつも連なり、やがて空の色と混じり合い、霞となって消えていく。
僕にとってのふたりとの出逢いは、こうして始まった。
海の見えるこの丘の上の街で。
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