史上最弱のかませ犬から始まる勘違い英雄譚

リヒト

プロローグ

 分厚い雲によって月や星々の光さえも隠されてしまった暗い夜の中。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 廃墟と化し、寂れた、たった一つの蝋燭によってのみ照らされている教会の中に今、多くの血を流しながら座り込んでいる一人の美しい女性が存在していた。

 桃色の唇からは苦し気な呼吸音だけが繰り返され、その腰まで伸びた白く美しい髪は今や、彼女の血に染まって真っ赤になってしまっている。

 宝石のように美しい瞳だって霞んでおり、その輝きに陰りを出してしまっている。


「……嫌だ」

 

 今にも死んでしまいそうな女性。

 そんな彼女の口から喘ぎ藻掻くかのような言葉が絞りだされる。


「まぁ、だぁ……私は、何、も……。まだ、みんなへと……あいつらに、裏切られてっ」

 

 そして、そのまままとまりの欠く戯言のような言葉が何回も繰り返される。


「あぁ……」


 死を拒む。

 そんなの誰だって一緒だ。

 どれだけ死を拒んでも、それは必ずやってきて、目の前に現れたそれを跳ねのけることなど不可能に近しい。


「……っ」


 だが。

 今にも死にかけていた女性を照らすように、少しばかり動いた分厚い雲より差し込まれた月光が煌めく。

 その瞬間だった。


「大丈夫?」


「えっ?」


 女性の前に一人の少年が現れたのは。

 鴉のように黒い髪に、虹色をその中に閉じ込める神々しい瞳をもった、この世のものとは思えないほどに丹精な顔立ちの少年。

 それがゆっくりと、月光に照らされたながら今にも死にそうになっている女性へと近寄ってくる。


「あなっ……たは?」


「ん?僕かい?そうだね……君を救いに来た救世主、かな?」


 女性の言葉に対して、茶目っ気のある笑みを携えながら返した少年は女性のすぐ前にまでやってきて、その足を止める。

 そして、そのまま膝を地面に落として女性の頬に己の手を這わせる。


「酷い怪我だ」


 その身を覆っている芸術品のように美しい衣が血に染まるのも厭わずに、少年は手慣れた手つきで女性の体を手当していく。

 彼が包帯を巻いていくのに合わせてすーっと女性の体を蝕んでいた痛みが減っていく。

 それだけではなく、少年から分けられている暖かさはじんわりと冷たくなっていた女性の体に広がっていき、どんどんとその体調も改善されていっていた。


「完治させることは出来ないけど……」


「……」


 今にも命尽きるところだった自分の前に現れ、その温かさでもって命を繋ぎとめてくれた少年。

 それを、女性は宝石の輝きを取り戻した美しい青色の瞳でもって見入る。


「……あぁ、これが」


 遥か古代より生きるハイエルフ。

 その生涯で剣技を修め、多くの者から武神と称される伝説の剣聖たる女性の瞳は今、あまりにも多くの感情によって色づいている。

 そんな瞳に映っているのはたった一人の少年だった。

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