凛然と筆を執る。
シーラ
第1話
『これは良い出来だ!間違いない!』
書き上げた作品を前に、周囲の邪魔をしてはいけないので心の声だけで喜ぶ。
高校受験中も気分転換に通っていたけれど。でも、こうして一点集中で取り組めるようになったのは高校生活が落ち着き始めてからだった。
2人掛けの座卓が3卓あるだけの、静かな空間。優しい墨汁の香り。正座をして手元にある文字と向き合う生徒達。張り詰めた空間。それもまた楽しい。私にとって特別な時間だ。
墨が乾くまで、出来上がった文字を眺める。黒々としていた墨が、時間を経るごとに白く乾いて雰囲気を変える。私の作品が完成していく。会心の出来だ……多分。もう少し…はらい部分を短くするべきだっただろうか?半紙の皺さえ、気になってくる。
「先生。お願いします。」
ドキドキしながらそっと作品を持ち、先生の机へ向かう。先生も、自分の作品を練習しているところのようだ。書き終わった隙に、声をかける。先生は手を止め少し鼻先にズレた眼鏡を手の甲でクイっと直すと、こちらに向き直ってくれた。猫っ毛で少し長い前髪の隙間から丸い目が私を見る。
「どうぞ。」
先生の座る机の対面に座り、評価をもらう。
「…うん、うん。ここのはらい方、上手になったね。うん、良い。彗(はじめ)の字は伸びやかで実に良い。次回は本番用紙に書こう。うん、今日はコレで終わって良いよ。お疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
思っていたより高評価で、私は思わず机の下で握っていた拳をほどき、太ももを摩る。やった!先生に褒めてもらうのは、いつも嬉しい。次はもっと、次ももっと。どんどん書きたくなる。
冬の書道コンクールの作品を書き終えたら、次は年度末の書き初めに向けての練習。正直、競い合いは苦手だけど、課題が出る瞬間のワクワク感は大好きだ。
良い物を書き上げたい。みんなに見てもらいたい。私は案外、目立ちたがりなのかもしれない。
今の時間は私か大人の生徒さんしかいない。夕方前の時間帯はもっと幼児や小学生、中学生が多くて賑やかだ。静かだけど楽しげな時間と、静かだけど熱心な時間。どっちも好きだけれど。高校生になって、こちらの時間にも参加できるようになった。大人と認められた気がして、誇らしくもありつい筆に熱が入る。
「お疲れ様でした。お先に失礼します。」
集中している人達の邪魔にならないよう、物音を極力立てないように道具を仕舞う。小さな声で挨拶をして、そっと襖を開けて退室する。先生の家を出てから私はやっと、一息吐いた。
「あっ。うそ。他についてないよね!?」
時間を確認しようと鞄から携帯を取り出そうとしたら、左手の小指付け根辺りに墨がついているのを見つけた。肘や胸周りを確認して、他に被害が無いのを確認してホッとする。
この左手どうしようかな。そっと学生服の上に重ねたセーターの袖を伸ばす。紺色だから、目立たないだろう。白い吐息と共に暗い空に星が輝く。秋の終わりは直ぐそこ。
「お腹すいたなー。晩御飯何にしよ。」
キラキラ光る星が、ご飯粒のようだ。そうだ、昆布のおにぎりにしよう。
ーーー
今日は書道コンクールの表彰式に来ている。参加者として。壇上で表彰されるのは、優秀賞と最優秀賞だけだ。私が登壇できたのは、数えるほど。滅多にない。
私の左隣に立つ彼。あえて顔を見ていないが、笑顔で意地の悪い顔をしているだろう。見なくてもわかる。今回も見つかってしまった。私は展示されている作品を見に来ただけなのに。
「来てたんだね。『秀作』さん。」
無視に徹していたら、肩がずしりと重くなった。寄りかかるな!!鬱陶しい!!
幼稚園から書道を習い始めて、初めてコンクールに入賞した時からの腐れ縁。教室は別なのに、いつもいつも。どこからともなく現れて、嫌味しか言ってこない。何が楽しいんだか。
イケメン、高身長、高学歴、最優秀賞の常連者。コレで嫌味で無かったら、いいヤツなのに。
「透はいつも通り『最優秀賞』おめでとう。」
「今回は居ないと思ったよ。こんな場所にいたんだ。」
クックッと喉で笑う声が耳元でする。何が面白いのだろう。肩の重みがきえたので、隣を見遣る。腕を組んだ透が立っていた。今日もイケメンだ。
透は小豆色の着物に灰色の羽織り。多分、ヤツのお婆様の趣味だ。黒の詰襟の多い中、その着物と存在感が際立っていた。壇上でも、此処でも。
透のお婆様は好きなんだよね。品が良くて優しくて、いつもニコニコしている。どうしてその孫がコレなんだか。ご両親は直接見た事ないけど、雑誌やテレビで見た限りだと穏やかそうな雰囲気の方々だったのに。
「透の見てきたよ。あのはらいは最高だと思う。バランスも良いけど、とめは少し甘かったよね。」
「そうだね。」
ヤツが覗き込んで来る。満面の笑みだ。腹が立つ。何がそんなに楽しいのか、いつもこうだ。
少し離れた所に取り巻きが沢山待っているんだから、有象無象の私なんて放っておいて欲しい。視線が痛くて怖い。
「次、君はどこにいるのかな。たのしみだね。じゃぁ、またね。」
最初の声は不機嫌そうだったのに、ご機嫌な透は私から離れて歩き出した。
距離をとって見守っていた取り巻き達が、満面の笑みで透についていく。すれ違う時に私を睨むのを忘れないのは、もはや集団芸だ。透は瞬く間に取り巻きの中に埋もれていった。
何なんだ。毎回、毎回!そういうルールでもあるのかな!取り巻きは、コチラを見ながらコソコソ話した後に、近寄ってきた。また嫌味か。本当に暇な人達だな。
「毎回、透様のまわりを彷徨いてるんじゃねーよ。」
「話しかけていただけたからって、調子に乗るんじゃ無いわよ!」
「バカでもわかるようにおしえてあげようか?ああ、その価値もなさそうだけどね。」
この子らは透と同じ学校の書道部員。透の目に留まりたくて、必死のようだ。
筆はあまり執らず本気で書く気もないようだ。作品に、よく反映されている。筆に興味が無いのに、いつも透の近くにいる理由は一つだろう。言いたいだけ言った後、透の後ろの集団に小走りでついていった。
表彰式でしか会わない顔馴染みが去っていくのを眺めながら、私は深いため息をついた。
透の着物姿を見るのは初めてだけど、似合っていたなぁ。凛とした雰囲気のある彼には、よく似合っている。私は自分の着ている制服を見つめる。この場に相応しいけれど、やだな。
小声で作品の出来について語り合う人達の間を縫うように歩き出す。自分の好みの作品を探そう。
「……これに決定。」
沢山並ぶ展示品の中で、パッと目に付いた。小学校2年生の書いた『元気』という文字。バランスや文字の流しなんて一切気にせず、紙いっぱいに太く大きく書かれた文字。こちらも元気が貰える。入賞こそしていないが、この作品展において私の優秀賞だ。心の中で拍手を贈る。
「彗(はじめ)。やっと見つけた。」
背後からコソッと声をかけられる。振り向けば、母はご機嫌な様子だ。良い事があったらしい。
「透君の作品前にいなかったから、探したわ。」
「透の作品が飾ってある付近は人だかりでしょ。危ないじゃない。だからついて来なくていいって言ったのに。」
「心配してくれるなんて。お姉ちゃんは優しいですね。」
母は下腹付近を自然に撫でつつ、嬉しそうに微笑む。私はまだ実感が湧いていないし、どう接して良いかわからない。
「お母さん、透と話してきたの?」
「ええ。透君の着物姿、素敵だったわ。受験で忙しくなる前に、お婆様に仕立てて貰ったんですって。あの色味を優雅に着こなして。いいわ〜。
ねぇ、彗。次のコンクールで最優秀賞とれたら、ドレスを買ってあげようか。透君と並んだ写真を撮らせてくれたら、それで充分だから。」
「透と写真なんて無理だよ。」
遠くに見える透は、沢山の人に囲まれて祝われている。涼やかな笑顔で応える天才書道家。それに相応しい装い。
「私は書くのが好きなの。」
そして、作品を見るのが好きなんだ。透だけが特別ではない。
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