記憶泥棒
@kawausou
第1話 ねぇ、覚えてる
シアルが10歳の出来事だった。
「ねぇ、覚えてる?」
そう聞くと両手一杯の金を手にした老人は光の無いくぼんだ目を小さく見開き、不思議そうに首をかしげた。
そこでシアルは絶望した、「また私は大事な人の記憶を奪ったのだ」と。
そうとも知らず老人はこちらをまじまじと見つめるとこけた頬に困ったような笑みを浮かべる。
「ごめんなさいね、お嬢さん。
酒でものんだのか僕は今日、自分の名前すら思い出せないのです。もしかしたらあなたと会ったことがあるかもしれない。
そうだったら教えて貰いたいのです」
「僕は誰なのか」老人はそう言って不安そうに目を伏せた。
その様子にシアルはいつものごとく泣きそうな気持ちになる。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝って逃げるように彼に背を向けて逃げ出した。
彼女は生まれつき不思議な能力を持っていた。相手の望みを叶えることができるという、それだけ聞くと夢のような力だろう。
しかし、もちろん代償はある。
願い事を聞く代わりにシアルは自分の意思など関係なく相手の記憶を奪ってしまうのだ。
国王である父はそんなシアルを極力人前に出さないようにしていた。許されているのは月に一度、町を散歩することだけ。
先ほどの老人は町にあるパン屋の主人で散歩中のシアルにいつもホワホワのパンを与えてくれた。
そして彼はいつもシアルに「
天に住む謎の生物を地上の民は空人と呼んでいた。彼らは伝説でもなんでもなく実際にシアルの父——国王と貿易を行っている。
「めったに姿を見せない空人を見てみたい」とパン屋の主人は語り、パンは空に浮かぶ雲をイメージして作ったのだとシアルに教えてくれた。
シアルも彼から空人の話を聞くのは楽しかったし、その日もいつものように散歩の途中にパン屋に寄った。
だがあの大雨の日、シアルは彼から店を閉めることを告げられた。借金を抱えながらパン屋を続けるのは厳しいという。
「申し訳ありません、王女様。
僕も借金すらなければいつまでもホワホワのパンを王女様にあげれたのに……」
「金があればなぁ……」彼が息を吐くように自然とつぶやいた言葉にシアルは青くなった。またもや人間の大切な記憶を奪ってしまう、と怖くなったのだ。
「やめて、これ以上言わないで…!」
「どうしてだい?王女様。僕だって金があればずっとあなたにおいしいパンを焼いてあげるのに」
もう駄目だと思った。もう手遅れだ。彼の金が欲しいという願い事は叶うだろう。けれどもその代わり、パン屋の主人の記憶は消える。
そして案の定、彼は記憶をなくして代わりに多くの富を手に入れた。
その代償は彼の人生の軌跡とも言える大切な記憶。
あの日からシアルは城の一番奥、召使い用の雑用部屋に引きこもって決して外にでないことにした。暗くて冷たい石畳の部屋はシアルに孤独を与え続けたが、他人の記憶を奪い、様々な感情がぐちゃぐちゃになって血液を泥水にかえられたかのような気持ち悪い気分よりかはマシだった。
父はそんなシアルについて何も言わなかった。
もっとも、その時父は「空人」との貿易に夢中だったから10歳の娘のことなどどうでもよかったのだろう。
父が未知なる空の生態系に熱を上げているその時もシアルは一人だった。
冷たい部屋の中で毎日つけている日記には自分のことを「記憶泥棒」と書いた。国の法律で泥棒は捕まれば投獄される。
当たり前のことだ、とシアルはどんなにつらくても寂しくてもひたすらにこの状況を耐え抜いた。
自分は極悪人で牢に入れられることがきまっている、と自らに言い聞かして。
そして誰にも知られないまま15の誕生日を迎える——はずだった。
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