普段は厳しい先輩が、忘年会で酔っちゃって後輩にお持ち帰りされる百合
風見源一郎
普段は厳しい先輩が、忘年会で酔っちゃって後輩にお持ち帰りされる百合
オフィスには、埃っぽい淀んだ空気が蔓延していた。
誰も喋らず、タイピングをする音以外に主張するものがないはずの空間。
姫嶋桜子は、そんな只中に立ち尽くし、唇をギュッと噛み締めて耳を塞ぎたくなるような気持ちに堪えていた。
心の内から向けられる、自分への呵責がうるさくて仕方がないのである。
ソフトウェア改良プロジェクトを担当することになった桜子は、その設計の一部を任されることになったのだが、予定されていた進捗目標から大幅な遅れを取ってしまったのだ。
もう少し早く先輩──もとい教育係に相談をしていれば、これほどの遅延にはならなかったはずだが。
指折りでは足りない数の案件を抱えている先輩に対し、どう接すればわからないまま、激動の下期へと入り込んでしまった。
いくら過去の自分を責め立てても意味はない。
わかっていても、それぐらいしか気を鎮める方法が思いつかなかった。
「あのさ」
ディスプレイに目を釘付けにしたまま、工藤春香はコーヒーカップに口をつける。
切れ長でやや釣り上がりな目は、凛としていて気高い面持ちを残し、その刺すような視線に桜子はつい身を縮めてしまう。
冷淡な教育係の声にズキリと胸が痛む桜子は、工藤が唇を離したカップの縁をジッと見つめていた。
「この仕様書、全部書き直しになるんだけど」
その言葉は、数秒の遅延を伴って桜子の耳に届いた。
「えっ」
「なんでテンプレートが昔のままなの?」
「えと、あの、今回は改良ということで、前の人の仕様書を参考にしまして」
「うん。それはいんだけど。新しい標準があるって私は言ったよね?」
「は、はい。ごめんなさい」
桜子の謝罪に、ようやく工藤は顔を合わせる。
どれだけ残業をしても疲れを顔に出さない工藤だが、いつもはきっちり結い上げられている髪がくたびれて緩んでいた。
「ファイルの場所がわからなかった?」
「あ……はい」
「前に私が確認した時、大丈夫って聞いた覚えがあるんだけど」
「はい。すみません」
桜子はひたすら頭を下げる。
悪いのは誰がどう考えても桜子だ。
「なんで嘘ついたの」
「ご、ごめんなさい。つい、聞きづらくて」
桜子は謝罪で言葉を濁した。
言えるわけがない。
先輩の白くてキレイなうなじに見惚れていたら、話の半分も覚えられなかったなんて。
どうしようもない後輩である。
「参考フォルダのパスはメールで送っておくから。全部書き直して」
「わかりました」
桜子はそそくさと自席に戻り、工藤からのメールが来るのを待った。
メール受信のボタンをポチポチとクリックし続ける桜子。
やがて括弧に囲まれた『1』の数字が目に留まる。
「うぅ……これは納期までに終わるのでしょうか」
「終わるかじゃなくて終わらせるの」
工藤はコーヒーカップを片手に席を立った。
「いよいよ残業というやつですね」
桜子はしみじみと口にする。
その緩い雰囲気を見て、工藤は休憩室に向かおうとしていた足を止めた。
「姫嶋さん」
ドスの利いた声が桜子の心臓に切っ先を当てる。
「ただでさえ作業量に対するコストが高いあなたたちが、残業するという意味がわかっている? 通常の給料は教育のためのコストとして考えられているけれど、手戻りは小さなものでも工費の無駄なの」
「は、はい! わかってます! ですので、残業代はいただかなくても結構です……!」
桜子は肩を竦ませてお祈りのポーズを取った。
その返答に、工藤の額の青筋が更に追加される。
「どれだけ短い労働でも残業代は申請するの。コンプライアンスの遵守は最優先だって研修のときに教わらなかったの?」
「そうでした! ごめんなさい! できるだけ早く終わらせるので許してください!」
涙目になって桜子が懇願すると、さすがにやりすぎたと感じたのか工藤の怒気も下がる。
「それがわかってるならいいわ」
工藤は吐き捨てるように言葉を残して踵を返した。
休憩室の設備がもっと充実すればもっと作業が捗る。
仕事に紅茶やコーヒーを伴う人が多いのだから、精神面での支えになっていることは明らかだろう。
ポットのお湯が空になっていることを確認すると、春香は水道の蛇口を捻って必要分の水を注いだ。
湯沸かしボタンをカチッとする瞬間は、どこか小気味が良くて心が落ち着く。
「ロクに仕事もしないでサボってる女を発見。課長に報告せねば」
ニヤけ顔の女が両手で双眼鏡を作って春香の顔を覗いた。
春香と同期の高橋結月である。
「ふざけないで。案件で二倍、利益で四倍はあなたより働いてるわ」
「利益は会社のものであって個人のものではないの。春香は作業を周りから奪ってるだけでしょ。総合収益を上げるなら人を育てないと」
「……姫嶋さんのことかしら」
「そうそう。あんな怖い顔でイビられて可哀想。そのうち辞めちゃうかもよ?」
結月はわざと肩を竦めておどけてみせる。
「別にいいんじゃないの。それで辞めるくらいならそもそもこの業界には向かないし」
「あら、問題発言。新人一人雇うのにいくらかかってるか知らないの?」
「無能な人事に言ってよ」
春香は乾いた言葉を放ちながらインスタントコーヒーの粉末をカップにあける。
味にこだわりはないが、お湯が湧くまで待つ時間が暇なので、ミルクと砂糖は先に入れてしまう。
「姫嶋さんの仕事が遅いのは春香の管理不足でしょうが。新人歓迎会のときからちっとも仲良くなれてないし。忙しさで人を煙に巻くのもいい加減にしたら?」
これまでと違い、感情の籠もった結月の声に、春香は渋い顔をする。
言いたいことだけ言って去っていった友人の背中を見ながら、沸騰により下がったスイッチの音を聞くと、春香は大きなため息をついて休憩室を出た。
工藤先輩との距離が異様に近い。
桜子は画面にかぶりつくように顔を寄せながら、すぐ傍で座っている工藤の気配をヒシヒシと感じていた。
「どこがわからないの?」
どうやら不明点に手をこまねいているように受け取られたらしく、工藤までディスプレイに顔を寄せてきた。
ちょっと重心を傾けば頬が触れてしまいそうな距離に、桜子の脈拍も穏やかでない。
今は作成要領もわかってきて、あえて質問するようなこともないのだが、先輩がここまで親身になってくれているからには何かを聞かなければならない。
「IDの振り方が、これでいいのかなーと」
「ん。どれ、見せて」
工藤は桜子の手をマウスから退けて自分で操作を始めた。
それが最も効率がいいのはわかっているのだが、そんなことをされたのでは顔だけでなく体の距離まで密接してしまう。
素直に大人らしい体に育った工藤の胸元には、球状の物体に押しのけられることで形成されたシャツのシワがついている。
後ろに回り込んでガバッとわしづかみにすれば、さぞ爽快であろう。
そんな不埒なことを桜子が考えていると、レモンの匂いが鼻腔をくすぐった。
「工藤さん、飴か何か舐めてます……?」
「ん? ああ、コーヒー飲んだ後だからね。姫嶋さんもいる?」
そう言うと、工藤は自分の机から様々な色の飴を取り、手のひらに乗せて桜子に差し出した。
個包装で分けられたカラフルなそれらは、厳格な性格の工藤が手にするとなんとも可愛らしく見える。
「マスカットとりんごとグレープが残ってるよ」
「そう、ですか。えーっと……」
桜子は工藤の言葉の意味を理解しながら、目を伏して小声で呟く。
「レ、レモンの味がいいです」
瞬間、また室内が静寂に戻ったような気がして。
「レモンは私が舐めてるのしかないの」
と工藤に当然の回答をいただく。
「で、では、マスカットをいただきます!」
「はい」
親指と人差指でつままれたプラスチックの包装が、桜子の手のひらに置かれる。
本当は家に持ち帰って先輩との思い出にしたいのだが、食べるために貰ってしまったのでここで消化せざるを得ない。
なんとも悲しい宿命である。
それからしばらく工藤先輩からのご指導を頂いて。
桜子が謝罪の言葉を述べると、工藤は一つ咳き込んでから別の話を切り出してきた。
「今週末、忘年会があるでしょう」
「はい」
「新人歓迎会のときは部長たちに席を取られてあまり話せなかったから、次は一緒に飲むことにするわ」
「えっ。あ、はい」
「悩みなら聞くから。辞めないでね」
「ダ、ダイジョブです」
畳み掛けるようにして誘われた酒の席への同伴。
混乱した桜子が無意味にマウスをクリックしていると、背後から近づいてくるもう一つの人影があった。
「はい、アルハラ・パワハラ・セクハラの三大ハラスメントを一挙に獲得しました工藤さん、おめでとうございます!」
ハイテンションの高橋だった。
「うっ……うるさいっての。これぐらいなによ」
「そういう自分基準が良くないんです。ね? 姫嶋さん」
「うえ!? いや、私は、全然、嬉しいです!」
「あら、そうなの。いい後輩を持ったわね……工藤先輩……ずびずび」
「殴るわよ」
それこそ刺すような視線を向けられ、そそくさと退散する高橋。
何がしたかったのかわからないまま、それから工藤の体の距離がやたらと遠のいたり近づいたりして、ドギマギして業務に全く集中できない桜子だった。
「あのー。工藤さーん」
どうしてこうなったのだろう。
桜子は駅のホームのベンチに座り、周囲からの生暖かい視線に耐えながら工藤の体を支えていた。
忘年会の後、家が近かったので一緒に帰ろうということになったのだが。
泥酔した工藤がなかなか体を起こしてくれない。
一升瓶を空けてもケロッとしているという噂の工藤先輩は、最後の乗り換え駅であるこのホームに着くまでは毅然と歩いていて。
電車が到着するまでに時間があるからとベンチに座ったところ、糸が切れたように工藤が身を預けてきたのだ。
どうやら週末に向けた追い込みが祟ったらしく、冷風の吹きすさぶ野外であるというのに安らかな顔で眠りについている。
「工藤さん。起きないと、終電が」
華の金曜日だからと二次会までガッツリやり通した結果がこれである。
十分に猶予を持って店を出たはずだったのだが、ベンチで工藤の介抱をしている内にだいぶ時間が経ってしまった。
強めに体を揺すってみても一向に覚醒する気配はなく。
ついには終電の到着を報せる放送が流れ始めた。
工藤が家に帰るにはこの電車に乗るしかない。
「工藤さん! 工藤さん!」
桜子にも多少のアルコールが回っていたことも助けになって、周囲を憚らずに耳元で叫びながら無理やり工藤の体を起こした。
「ん……」
するとようやく工藤が意識を取り戻し、数瞬の安堵が桜子に訪れる。
「乗りますよ! さあ、立ってください!」
桜子がベンチから立ち上がるために工藤を引き剥がし、膝に力を入れる。
すると工藤は、離れた分の距離を埋めるようにして強く桜子の体を抱きしめてきた。
「ちょっ、ちょっ、く、くく、工藤さん、ほあ、ああうぅふ」
不規則になった呼吸が体を硬直させ、桜子は無事、工藤の終電を見送ることになった。
「あ……。ごめん」
抱きしめられてから工藤の口から謝罪の言葉が放たれるまで、実に10分ほどの時間が経過していた。
酔った後の体は寒く感じると聞くので、桜子の体温が無くなることに耐えられなかったのだろう。
結局、工藤は桜子の最寄り駅からタクシーで帰ることになった。
はずだったのだが。
駅に着いた途端にまた工藤の酔いがぶり返した。
厳格な人間としての義務感と、酔ってどうにもならない体とが喧嘩しているようである。
桜子が肩を貸さなければ歩くこともできない状態で、タクシーが来たのでさようならというわけにもいかなかった。
ロータリー前のベンチにまた二人で座り込む。
工藤の酒が飛ぶまでにはかなりの時間がかかりそうだが、見慣れた景色に戻れたので桜子の精神状態は安定していた。
そのおかげだろうか。
桜子は、工藤と濃密なスキンシップを取っていることに、ここでようやく気がついた。
「工藤さんの頬っぺた……柔らかい……」
途端に桜子の体が火照りだす。
今抱きしめているその体は、いつも厳しい言葉で桜子を叱る大人のお姉さんのものである。
体を寄せられて気づいたことは他にもあった。
胸元の防御力が極端に低下している。
オフィスカジュアルが許される昨今の時代でもスーツを突き通している工藤は、第二ボタンを開けることは夏でもなかったというのに。
実りの良い悪魔の果実が桜子の視線を捉えて離さなかった。
いつからそうだったのかは定かではないが、上から覗くとブラまではっきり見えてしまっている。
そのうえ、片方にだけ圧力の加わったブラのカップが歪んでいるのだ。
ちょいと指を挟んでしまえば、その内側を露わにしてしまうこともできる。
「ねえ、桜子」
「ひゃっ!?」
胸元を凝視しているところに、急な呼び捨てで桜子の心臓が跳ね上がった。
「寒い」
工藤は更に体を密着させてくる。
首周りに当たる風が嫌だったのか、そこを隠すように桜子を引き寄せる工藤。
重ね着をしているのでその感触を確かめることはできないが、間違いなく生の柔らかさが腕に当たっている。
「……私の家なら、すぐに暖まることができますよ」
言ってしまった。
心臓が張り裂けそうなほど鼓動している。
後輩の家に世話になるわけにはいかないと、言われてしまえば終わってしまう。
それでも、もうその体を放っておくことなど桜子にはできなかった。
「うん。じゃあ行こ」
目眩にも似た甘い陶酔感が桜子の脳を突き抜けた。
桜子は家に帰ると、早速エアコンをつけた。
「先輩、着きましたよ。ベッドに横になりますか?」
工藤とは二人三脚でマンションまで歩いてきた。
部屋につくなり、工藤はベッドの脚を背もたれにして座り込む。
「うーん。いや、さすがにこのままベッドは……」
工藤は化粧の付いた頬と汗で湿った服を交互に触って、ぐったりと首を下げる。
「でもそんなところで寝たら体に悪いですよ。私なら気にしませんから」
桜子がそう言っても、工藤は首を横に振った。
「姫嶋さん、ここに座って」
工藤は左手でぽんぽんと床を叩き、桜子の着席を促す。
桜子は素直にそれに従った。
「あなたはもっと私を頼りなさい」
何かと思ったら説教だった。
滑舌があやふやでなんとも重みのない言葉だが。
こんな状況でも工藤は桜子の教育に悩んでいるらしい。
「工藤さんがもっと親しみやすくしてくれたらそうします」
相手が酔っているのをいいことに、桜子も本音トークに入る。
どうせ朝になれば忘れているだろうと高をくくって、この際なので言いたいことを言うことにした。
「堅いんですよ、今もそうですけど」
「えー。そっかぁ。どうしたらいい?」
膝を抱えて工藤は小首を傾げる。
そんな愛らしい仕草ができるなら普段からそうして欲しいと桜子は内心で毒づくが、自分にだけ甘くなる先輩というのもなかなかに魅力的で考え直した。
「本当は柔らかいところがあるんだってことを知れば、お堅い工藤さんが相手でも話しかけやすくなるかもしれません」
「難しいこと言うのね」
工藤は右手で頭を押さえる。
酔いによる頭痛にも見えたが、表情はそれほど辛そうではない。
「さっきはとても柔らかかったですよ」
桜子は工藤との距離を詰め、耳の近くで囁いてみる。
工藤はそれに対して一切の嫌悪を示さない。
ただやりずらそうに、目を泳がせている。
自覚があるようだった。
「先輩」
桜子は工藤と並んで肩を寄せた。
駅のホームで座っていたときと似たような体勢である。
チラと工藤が横目で一瞥してきたので、それに合わせて桜子も顔を横に向ける。
工藤の顔が真っ赤だった。
どれだけのアルコールを接収しても色味の変わらなかった顔が、朱に染まっている。
何を言おうか桜子は迷った。
結論として、桜子は何も言わなかった。
だんまりの工藤は退屈そうにはしていなかったし、眠そうにもしていない。
頭は回っているのだ。
唇が微妙に動いて、瞬きの回数が増えている。
そうして、二分ほどの静寂が続いた後。
工藤は脚を伸ばして、桜子の正面に回り込んだ。
それに応じて桜子も抱えていた膝を解放する。
工藤の腕が桜子の首に回されて、体全体を包んだ。
疲弊の影響か、工藤はそのまま体重を桜子に預けてきた。
「これでいいの……?」
互いに耳の側まで口が近づいて、荒くなった呼吸音が鼓膜を揺らす。
顔の赤さから想像できる以上に、工藤の体は熱かった。
「駅にいたときと、ちょっと違います」
十分なくらいに答えを示してもらった桜子だったが、あの圧迫感を忘れられない心臓は満足していなかった。
きっと工藤としても物足りなかったはずで。
遠慮がちに離されていたお腹と脚をべったりとくっつけて、桜子を強く抱きしめた。
「工藤さん……」
その刺激に触発されて、桜子もまた工藤を抱きしめる。
片方が力がもう一方を上回ると、相手はさらに力を強め。
体を押し付け合っているうちに、吐息には色が混じり始めていた。
桜子がまさぐるようにして工藤のスカートの中に手を入れると、裏起毛のタイツが触れた。
ストッキングにも見える色合いだったため、思いのほか肌感のない触り心地にちょっぴり残念な気持ちになる。
「工藤さん、すごく暑そうですよ。脱いだらどうですか」
さり気なさのかけらも無く、桜子は工藤を脱がしにかかる。
「うん」
工藤は腰を上げて、脱ぐことに協力した。
実際のところ相当に暑いのだろう。
工藤の額にはうっすらと雫が浮かんでいた。
工藤を脱がすことに便乗して、桜子もタイツを脱ぐ。
解放された脚は汗の湿り気でややひんやりと感じ、その不快感を取り除くためにまた二人は抱きしめ合った。
生脚を擦り合わせて、剥き出しになった肌質を感じ合う。
足を絡ませる快感は大腿部から上部へと登り詰め、ピクピクと痙攣する腹部が更なる快楽を求めるも、抱き合うだけでは限度がある。
気付けばお互いの手が腕や背中を擦っていてた。
やがて桜子は、押し付け合う二人の胸の間に手を差し入れると、工藤の前ボタンに指を掛けた。
工藤はそれを厭わず、流れのままにシャツを脱ぐ。
桜子の腕が回され、ブラのホックに手を掛けられても、工藤は一切逆らうことはなかった。
まだ筋に支えられて形を保ったままの胸を、桜子は手のひら全体で包む。
ずっと憧れていたその柔らかい感触に、桜子の表情も緩んだ。
「姫嶋さんのも見せて」
一人だけ脱ぐ羞恥に耐えかねてか、工藤もすぐに桜子のシャツのボタンを外しにかかった。
しかし、桜子は工藤の手を握り、その動きを止める。
「……どうして、またその呼び方なんですか?」
桜子の言葉に、工藤は目を見開いた。
「えっ……あ……」
思わず工藤は手を離そうとして、しかしそれも桜子は許さない。
ギュッと工藤の手を両手で握ったまま、動揺する工藤を余所に桜子は続けた。
「家に来る前は、名前で呼んでくれたじゃないですか」
濡れた視線を注いだ。
工藤の手が押さえつけたままの胸が、深い呼吸に膨らんでいる。
「もっと、呼んでください」
桜子は体を起こすと、そのまま工藤を押し倒した。
「春香さん……」
はだけたシャツから覗く春香の胸の頂きに、桜子は唇を押し付ける。
そのまま、あとは流れのように押し寄せる感情のまま、桜子は春香のことを貪った。
床に押し倒された状態の春香は涙目で肩を弾ませていた。
春香は胸だけでめちゃくちゃイカされてしまった。
酔いのせいもあってか、桜子を見つめる視点が合っていないようにも思える。
「春香さん……結構、声が出るんですね……可愛い」
「あっ……ご、ごめん!」
桜子の苦笑いに、春香は顔を真っ赤にして視線を逸した。
「そんなに気持ちよかったですか?」
「え、うん、まあ。自分でも不思議なくらい。……声、聞かれちゃったかな」
春香は壁越しに隣人の存在を危ぶむ。
夜中に響かせる声としては耽美に過ぎただろう。
桜子は数瞬考え込んで、すぐにパッと明るい顔に戻った。
「大丈夫ですよ。お隣さん、気の弱そうなお姉さんなので」
「そうなの?」
そういう問題ではないはずなのだが、春香もそれで納得してしまう。
全ては酔いのせい。
桜子が再び春香の体に覆いかぶさり、胸に口づけをすると、その後は欲望のままに互いの肌を求め合うだけった。
行為が終わると、羞恥で頬を朱に染めて倒れ込んできた桜子を、春香は優しく抱きしめていた。
「桜子……巧すぎ……」
春香は満足げな顔と不満そうな声でバランスを取りながらボヤいた。
「えへへ。春香さんが可愛くて、つい頑張っちゃいました」
桜子が頭をスリスリすると、春香が愛おしさを込めて撫でる。
隣人さんは今頃女の子二人の艶声を聞いてムラムラしているだろうが、二人にとってはそんなものどうでもよいのである。
「お風呂入りたい」
春香がベッドを見つめながら囁く。
ずっと床を背にして力んでいたせいで体が痛くなっていた。
小休止とは言え雰囲気を壊したくはないのだが、その痛みを我慢してると次は満足できなさそうだった。
「わかりました。春香さんはそのままベッドに入るのは嫌ですもんね」
そう言って桜子はチュッと軽い口づけをすると、風呂場へと移動した。
春香はまだだいぶ酔っているようで、お風呂の準備をしている内に寝てしまうのではないかと一抹の不安を抱えながら、手早く湯船を掃除する。
バストイレ別の部屋を選んだのは、単に桜子がユニットバスが嫌いだからだが、このような形でメリットを得られるとは桜子も考えていなかった。
「桜子ぉ」
湯船の掃除を終えてお湯を出した直後、春香が背後から抱きついてきた。
「は、春香さん……?」
桜子は後ろから回された腕を掴みながら、背後にベッタリと張り付く温度に硬直する。
シャツ越しでも胸の柔らかさがわかる春香の大きさに感服しながら、クンクンと鼻を擦りつけてくる先輩に外側からも内側からもくすぐったさが湧き上がった。
「あんまり離れないで」
「うえっ!? た、たった二メートルですよ……?」
「それでも寂しいの」
「わ、わかりました。大丈夫です。私は先輩から離れたりしませんから」
「ほんと?」
春香は桜子を抱きしめる力を強める。
この部屋に来るまでといい、春香はどうにも人に抱きつくことで安心感を得ているようだった。
「本当です。そんなに不安ですか?」
「だって。私の管理がなってないせいで桜子に迷惑かけてるのに。忙しいからってほったらかしにしちゃってるし」
「いえいえ、春香さんが忙しいのは事実ですから。それに、その、あまり伝わっていないかもしれませんが、私は私で春香さんに叱られるの好きなので」
「むっ。それはそれでどうなんだ」
「えへへ」
二人は密着したまま。
目も合わせないまま。
湯船を満たしていくお湯の音が会話の隙間を埋める。
「脱いで体を洗ってるうちにお湯が張りそうですね。二人分なので少なくて済みますし」
「うん」
桜子が春香の手をタップすると、春香は桜子を解放した。
その瞬間、桜子は勢い良く反転して春香に抱きつく。
「大好きです!」
想いを告げて、顔は見なかった。
春香の肩の上に顎を乗せて、今度は桜子の方から抱きしめる。
「私も、桜子が好きよ」
春香は頬をすり合わせて、その誓いを誘った。
桜子が顔を上げると、そこに二人の唇が重なる。
「んっ……」
どちらともなく漏れた声に、互いを抱きしめる力が強くなる。
ついばむだけのつもりだった口づけは、時間を置くこともなく舌を絡ませ合い、深くまでねじ込まれていく。
落下するお湯の音が変わり、必要以上の水量が溜まっても、二人はずっと愛を送り続けていた。
「んふふ。春香さん、今のほうが酔ってますね」
「んー? そお? でも酔ってるから嘘がつけないの」
「わーもう! 春香さん! 春香さん!」
しばらくそうやって体を押し付けあって、湯船からお湯が溢れ出したところで桜子はようやくお湯を止めた。
「──先に入ってるわ」
頭と身体を洗い終えて、先に湯船に入ったのは春香だった。
えっちを終えてスッキリしたのか、甘えモードは解除されていて、桜子はちょっと寂しくなる。
春香がお湯に身を沈めると、溢れ出したお湯が溜まってしばらく風呂桶が浮いた。
「いい眺めね」
縁に腕を乗せて、春香は頭を洗う桜子の姿を眺める。
腕が上がったその体勢は、横からみると胸の形がはっきりとわかる。
「私、春香さんみたいにキレイなおっぱいしてませんよ?」
「そんなことないわ。とってもキレイよ」
大きさでいえば、桜子はまだ控えめな部類。
それでも、形がはっきりと分かるくらいのサイズはある。
「それにね、自分が湯船に浸かっているときに、他に人がいるというのは体験したことがないから。視界が新鮮なの」
春香は心地よさそうに身を沈める。
その様子を見て桜子は確信した。
仕事場での春香の厳しさは、日常生活での寂しさが生み出しているものだと。
「なら、こうして二人でお風呂に入るのも初めてなんじゃないですか」
桜子も身体を洗い終え、湯船に足をつけた。
成人女性二人が入ることを想定していないその狭い箱は、互いに細身だからこそ収まる程度のもの。
湯船の縁に座ると、桜子は足を入れてこのスペースが欲しいと要求する。
そんな桜子に対し、春香は足を引くどころか体を近づけてきた。
「足を開いて」
春香の声が耳に届いたときには、すでにその先の光景まで桜子の脳内に流れていた。
同時にまた下腹部に熱いものが流れ出して、思わず桜子は足を閉じる。
「あの、あの」
「いいから。早く」
有無を言わせず、春香は桜子の股を開かせる。
「春香さん、それも、ベッドで…………ッ…………!!」
否応なく桜子は舌で犯された。
瞳が若干上向いていたかもしれないが、そんなことを気にしていられる余裕もなかった。
「はぁ……はぁ……」
「かわいい。さ、おいで。疲れたでしょ」
誰のせいで疲れたのか。
ツッコミを挟む気力もなく、桜子は背中を春香の胸へと預ける。
「うぅ……。春香さん、そんなにえっちだと思いませんでした」
「えっちな人だと思われるように生きてたら問題だわ」
春香は桜子の頭を撫でて窘める。
背後からジッと桜子の胸を見つめ、わずかに乳房を揉み上げるも、さすがに体を休めようとそれだけで留まった。
「その、春香さん、ずいぶんと膣内が慣れてましたよね。結構、してるんですか?」
「うーん……桜子はどうなの? 指二本も入っちゃったけど」
「うぐっ」
風呂の中でもわかるくらいに桜子の体温が上昇する。
いくら快楽が精神的なもので増幅するとはいえ、全く慣れのない状態で達することができるなどそうないことだ。
「寝る前に、してますけど」
「どれくらい?」
「ま、毎日です」
「ふーん」
春香は驚きもせず、桜子の両側のほっぺたを人差し指でいじくり回す。
「春香さんはどうなんですか」
「私も同じくらいよ」
春香はサラッと返答した。
その後の間に、妙な気まずい時間があったことを桜子は察して、質問を重ねる。
「本当はどれくらいしてるんですか?」
背後にいる春香に、顔こそ見えないものの、後ろを向くようにして桜子は尋ねた。
「いえ、まあ、毎日ではあるのよ。ただ、私の場合は、その。……起き抜けにもしてるけど」
毎晩寝る前に一回の桜子に対し、春香は寝る前と寝起きで二回。
習慣になると、性欲とは関係なくやめられないと春香は続けた。
「ということは、私がいつも面倒をみてもらっている春香さんは、つまり、えっちをした後の春香さんだったってことですよね」
「うっ。ま、そ、そうだけど。そう言われると、気まずいわ」
「いつも遅くまで仕事されてるのに。疲れないんですか?」
「疲れるには疲れるけど。私は寝付きがいいから体力の回復には困ってなくて。ストレス解消する方が大切なの」
「なるほど」
春香の美しい肌ツヤは、一人えっちによる精神解放が秘訣のようだった。
「ところで、ところでなんですけど!」
桜子は急にテンションを上げて尋ねる。
「その、するときのオカズとかっていうのは、何なのでしょうか!」
「えっ。そこまで答えるの……?」
「はい。ぜひ!」
桜子は体を横向きにして、春香と目を合わせた。
ずいぶんとギラギラしている。
「その、なに。桜子は?」
「春香さんです!!」
「こ、こら。やめなさいって」
「照れないでください! ホントのことなんですから!」
「わかったわかった。わかったから」
春香は桜子から目を逸らす。
これほどまで真っ直ぐに性欲を向けられることなどそうあるわけではなく、恋愛経験どころか人付き合いもロクに積んでこなかった春香には手に余るものだった。
「私が確認したいのは、つまり。春香さんも、私をオカズにしたことがあるかということなんです」
「え、まあ。なくはないけど」
「そうですか。やっぱりなくないんですね。…………えっ?」
「ん?」
ザバッ、と桜子は立ち上がった。
「あるんですか!?」
目をキラキラさせて、春香を見つめる。
これほど嬉しそうにされるとは春香としても予想外だった。
「まあ、だって。可愛いし」
春香は精一杯の理由を述べた。
新人の教育係としては問題発言でしかなく、それ以上の言及はできない。
「春香さん」
桜子は再び膝を曲げ、湯船に浸かる。
お湯の量が少し減っていた。
「好きです」
最後は唇を触れ合わせるだけのキスをして。
二人は風呂場を後にした。
それからしばらく、下期の忙しさが続いた。
桜子も残業を始め、帰る時間が遅くなった。
「あー。そろそろクリスマスですねぇ」
「そうね」
デスクに並ぶ二人。
桜子も休憩室を使うようになり、机にはカップが置かれている。
コーヒーは苦手なので、中身は砂糖たっぷりのミルクティーだが。
「工藤さんはそんなにコーヒー飲んで頭が痛くならないんですか?」
「別に。でも、飲み過ぎは体には良くないそうね。姫嶋さんが持ってきてくれるなら、紅茶も飲むけど」
「あ、ホントですか。やった」
桜子は小さくガッツポーズする。
最近では二人の会話も増えて、高橋も変なちょっかいを出さなくなった。
時計の針が二十時を回ることも当たり前になり、会社に残る人も疎らである。
春香が抱えている案件が重たいだけで、他の社員が全員忙しいというわけでもないのだ。
「工藤さんは、まだ残っていかれますか?」
「そうね。今日も遅くなるわ。姫嶋さんはもう帰る?」
「はい。ただ、最後にここの設計書の意味だけ教えてください」
「いいわよ。どれかしら」
春香は椅子を桜子の横まで移動させる。
二人で残るといっても、常に桜子が先に帰るため、一緒に帰路につくことはほぼない。
「……春香さん」
桜子は小さい声で尋ねた。
「今日は、どうしますか?」
桜子はいつも春香よりは先に帰るので、こうやって内密に確認を取るのだ。
今日は、泊まりに来るのか。
今日は、ご飯を食べるのか。
今日は、えっちをするのか。
「明日の土曜日は休めるから、桜子の家でゆっくりするわ」
画面を見つめたまま、春香が答える。
横目で覗いた視線が交わって、二人は互いに頬を紅潮させた。
「は、春香さん、また飴舐めてますね」
「コーヒーの後味が嫌いなの」
「そうですか。また、レモンですか?」
「そうよ。桜子も舐める?」
そう言って、春香はまた、自分の机からカラフルな飴玉を持ってきた。
マスカットとりんごとグレープが残っている。
「どうしていつもレモンがないんですか……?」
「仕方がないでしょ。レモンが好きなの」
春香はさも当然のように答える。
そんなにレモン味が好きなら、最初からレモン味だけの飴を買えば良さそうなものだが。
「……レモン味がいいです」
桜子は上目でそれを要求した。
春香は何も答えず、桜子と視線を合わせたり逸したりを繰り返す。
そして、周囲に人影がないことを確認すると、
「んっ……」
春香は桜子の口の中に、舐めていた飴を直接移した。
「んふふ」
桜子はニヤケ顔を抑えきれず、周囲に気を配りながらちょっぴり不気味な笑みを浮かべる。
春香の顔が真っ赤に染まっていて、そんなところもまた可愛らしい。
「美味しい」
桜子は黄色い飴玉を、舌の上でゆっくり転がした。
普段は厳しい先輩が、忘年会で酔っちゃって後輩にお持ち帰りされる百合 風見源一郎 @kazamihitori
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