17 溶解

 ご飯を食べるのに緊張するって、どういうことなんだ……。

 場所もいつもの食堂で、メニューだって八宝菜ともずくの酢の物と生野菜サラダといつも通り。

 なんだけど。これじゃ一人で食べた方が気が楽だ、と思うのは失礼なのか。先輩とご飯を食べる、だけじゃなくて微妙な関係(と言っていいと思う……)だし何をしゃべっていいのかもわからず。なので黙々と箸を運ぶことに。

「俺と飯食うのがそんなに嫌か」

「いえ、違います! 嫌なわけじゃないです」

 下を向いて小さく溜め息を吐いたのを見逃さなかったらしい。でも、嫌なら今差し向かいで箸を握ってない。人としてと思いはしたけど、本当に嫌ならありもしない理由を作ってでも断る。

「俺が余計なことを言ったからか?」

「え?」

「お前のことが好」

「わああああ、ストップ!」

 周りの人から僕たちがどう見られているのかわからないけど、ちらちらと視線を感じるのだ。あいつ誰だ、と思われてるのかもしれない。この人は生徒会副会長なのだから。目立たないなんてことはない。

「俺は余計なことだとは思ってないが」

「えっと……余計かどうかはわかりません。でもやっぱり人が聞き耳を立ててるかもしれないところで安易にそんな」

 好きだのなんだの言えば。

「お前は気にしすぎだ。誰も聞いちゃいないし、俺が誰を好きだろうと気にも留めんだろうよ」

 そうだろうか……そんなものなのだろうか。僕がそういう界隈のことに疎いだけ? 確かに彼女なんていなかったけど。告白したこともされたこともない。ただ、この人はみんなに好かれてる人だと思うし、そういう人の恋愛模様的なものにはみんな興味がありそうだけど。

「それにお前この間、松川と俺の前で食ってただろ」

 ……あれは知らずにたまたま前にいたってだけで。

「まあお前が気になるんなら移動する。あっちに多田さん見つけたし」

 えっ。

 近藤さんはトレイに手をかけて立ち上がろうとする。

「いや、あの、そうじゃなくてっ……いてください。お願いします」

 だから、一緒に食べることが嫌なわけではなくて、人がいるところでそういうこと言わないでほしい……というお願いで。

 なら、と近藤さんは座り直した。そして。

「松川の件は気付いてやれなくて悪かったな」

「いえ……近藤さんには何の関係もないので、悪いなんてことは」

 僕と松川の間の話……ということでいいと思う。それに四六時中一緒にいるわけじゃあるまいし、僕の状態なんて気付くはずがない。

「相部屋の奴と上手くいかないのは辛いからな。松川の態度が悪い時は俺のとこへ来い。ベッドが一つ空いてる」

 へ?

「俺は二人部屋を一人で使ってる。その時は桜野さんの部屋にでも行くからお前が一人で使え」

「あ……りがとうございます」

 もう松川は大丈夫な気がする。桜野さんと……仲直りをしたというのなら、松川の中で解決したと思う。

 俺の部屋へ来いって、少しびっくりしたけど……一人にしてくれるって、甘やかしすぎだろう。僕は何様だ。

「お前、好き嫌いはないのか?」

「……ないです。近藤さんは……?」

 訊かれたのだから訊いてもいいだろう。

「俺もないな。甘いものも辛いものも大丈夫だ。食堂の飯は美味いしな」

「確かに。僕も思います」

 おばちゃんたちは気さくでいい人だしそれに比例してか作るご飯も美味しい。

「仲良くなっておくと融通がきいたりするぞ。おばちゃんも話しかけられると嬉しいみたいだしな」

 誰が聞いても困らない?世間話をしながらなんとか近藤さんと食事を済ませ、食堂の出入り口で別れた。

 ……さすがにもう仲直り……のセックスは終わってるだろう。

 それでも部屋に入る時、少し躊躇して。ノックをした方がいいのかとか、僕を避けるために松川はまたいないんじゃないかとか。

「市原?」

 ドアの前で迷っていると声を掛けられた。

 ……う。

 部屋にいなかったらしい松川は風呂から戻ってきたようで髪の毛が生乾きだった。それがいかにも生々しくて、というか……下衆な発想だな……。

「鍵開いてるぞ」

 風呂上がりだからか、仲直りしたからかわからないけど松川の声は僕がよく知ってる明朗ハスキーなものだった。思わず口元が緩む。

「早く部屋へ入れ。そんな顔をするな」

 そんな顔……?

 腕を引っ張られて部屋の中に入る。目の前に松川がいる。背中じゃなくて無言でもなくて。

「そんな無邪気で隙のある笑顔なんか廊下で見せるなよ」

 ドアを閉めて振り向きざまにそんなことを言う。だらしなかっただろうか。否定はしない。やっぱり嬉しいと思うから。

「ごめん、なんだか嬉しくて」

「意外と天然誑しなんだな……」

 ?

「お前、もっと怒っていいのに」

 ぽつりとつぶやいて。

「ごめん、すごくお前を傷つけた」

 ゆっくりと頭を下げる。

「近藤さんとあんなことがあって心の傷もそう癒えてないのに、俺がチクって事情を知った桜野さ……いや、もういいか、お前を癒そうとしてた由貴さんの邪魔をしてお前の傷を抉った」

「松川、座ろう? ゆっくり話したいよ」

 僕が自分の椅子を引いて座ると松川も同じように座った。僕たちは膝を突き合わせるような感じで。大声で話すことでもないから何となく近寄って。

「松川がどうして離れて行ってしまったのか全然わからなかったけど、もういいんだ。そういう事情なら僕だって同じように思うかもしれないから」

 僕と桜野さんがあまりにも近かったから、松川からしたら人のものに手を出して……と。僕には全然その気はなかったけどそう見えたのだ。

 松川がこれまでのように僕に接してくれるのならそれでいい。

「ちゃん付けで呼ばれてるし頭をぽんぽんされてるし、お前が憎らしかった。俺のものなのにって。横から取るなって。言いたいことがあるならちゃんと言えって由貴さんに怒られた」

 笑って誤魔化すようなこともせずに松川は誠実に気持ちを口にした。

「仲直りできたのならよかったよ。部屋に入ってきた時の桜野さん、いつも通りみたいだったけど何となく怖かったし」

 桜野さんだって、松川が僕を構うことを面白く思ってなかったんじゃないかな。近藤さんの言うようにこれはちょっとした桜野さんの意地悪だった気もする。松川が反応することをわかっていて。

 好きって難しい。きっと少しのすれ違いが大きな負の感情になってしまう。

「もうわかったと思うけど、俺と由貴さん、付き合ってて……近所で小学生からの知り合いで、俺は由貴さんがずっと好きで」

「うん」

「中二の時俺が告ったら受け入れてくれて。俺は追いかけてこの学校を受験したんだ」

 由貴さんって呼ぶ松川は照れ臭そうで幸せそうで。好きな人と一緒にいたいっていう思いはすごいな。そんなに強くなれるものなのか。

「特に話し合ってたわけじゃないけどやっぱりあまり人に知られないでおこうっていう感じになって、お前にも話さなかった」

「それは全然。きっとそういうものだよ。自分から吹聴して回る人なんていないよ」

 僕だってもし誰かと付き合うことになったとして、知り合って間もない人に言うかといえば疑問だ。

「できれば他言しないでほしい。由貴さんはもう少しで卒業だし、受験もあるし、あまり騒ぎ立てたくないんだ」

「うん、もちろん。話してくれてありがとう」

 何事もなかったかのように頑なに一切触れずにスルーすることだってできたのに松川は話してくれた。僕を信用してくれたってことでいいのかな。それなら嬉しい。

「本当にごめん。お前は俺のせいで眠れなくてストレス溜め込んで倒れたのに勝手ばかり言って」

「いや、倒れたわけじゃ。眠かったんだよ、単に。多田さんが寝ればみたいなことを言ったから寝てただけで」

 桜野さんが大袈裟なことを言ったのだろう。

「近藤さんのこともある。ずっと一人にしてごめん。何もなかったか?」

「近藤さん……?」

 想定外の球が飛んできた。

「そう、あの人部屋にいたよな? 大丈夫だったのか?」

「うん……特にあれ以来何も……」

 土曜日は話したいと勢いで思ったけど、やっぱりお兄さんとのことがある。話していいものか迷ってしまう。

「ホントか? 俺が言うのもなんだけどあの人に関しては隠し事はナシだぞ? いやらしいことをされたとかないのか?」

 い、いやらしいこと……? どんなことだよ。ただ、後ろから手を握られたり、好きだと言われたり、セックスしたいと言われた、り……。

 セッ……。

 ぞくりと背中に何かが走って顔が熱くなるのがわかった。

「どうしたんだ? やっぱり何かされたのか? 口にすらできないようなことか?」

 俯いた僕の顔を松川は覗きこもうとする。

「違っ……そうじゃない。あの、ちょっと別件で思い出して……」

 何かされたのかと言うのならそうだ。でも松川が心配するようなことではない、多分。そう言えば遥か昔のことのように思えるけど夜中勝手に部屋に入ってこられた時は……。衝撃がどんどん上書きされてる。とんでもないことだ。

 本当は相談というか話を聞いてもらいたいけど、近藤さんのこととなれば松川は頭から否定するだろうし、気分を悪くするだけだ。桜野さんと仲直りできたところに水を差すことはない。

「違うならいいんだ。市原がまた辛い、嫌な思いをしてなければ」

「うん……ありがとう」

 なんとか話を終わらせた時、少し遠くでスマホの震える音がした。数回の震えで止まったからメールだろうか。

 あ。僕のスマホって……。

「市原のだろ。俺今バイブ切ってるし」

 ええとどこにやったっけ。ポケットになかったのはわかってる。ってことは鞄の中か。ショートホームルームが終わってすぐ生徒会室に行って寝こけてたんだからスマホには触ってない。

 眠った僕と一緒に鞄も部屋に届けられていて。机の横に置いてあった鞄に手を伸ばして引き寄せ、スマホを取り出した。

 ロック画面にはメール着信の通知が来ていて。

 送信者の欄に、良くないと思いながらも自然と眉が寄ってしまう。何が書いてあるのか想像はつかないが僕が手放しで喜ぶような内容ではないだろうから。

「どうした? メールか何かだろ?」

 ロック画面を見たまま操作しない僕に松川が不思議そうな声を出した。

「兄からのメール」

「へえ、市原も兄貴がいるのか」

 同じ境遇だと思ったのか顔を綻ばせた。

「うん、地元の大学に通ってる」

 今年二十歳になる、四つ上の兄。勉強ができる人で地元の国立大学に入学した。

「中身見ないのか?」

「見た方がいいと思う?」

「え? 俺が決めること?」

「いやいや、見るよ」

 ロックを外してメーラーを立ち上げれば。

 たった一文。挨拶もこちらを気遣う言葉もなく。

『週末、そっち行くから』

 松川がいる手前、溜め息なんか吐けない。心配するだろうから。

 せっかく松川の件が良い感じで終わって、また楽しい毎日になると思ったのに。


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