13 一人ぼっち
宣言通り、松川は夕食までに部屋に戻ってくることはなくて。僕と食べる気もないだろうから僕は一人で食堂へ行く。
結局買ったフルーツサンドをダメにするなんてことはできなくて冷蔵庫にしまったあと、宿題を片付けた。なんて普通過ぎ。ふて寝するほど怒ってもないし。僕に原因があって避けられているし。麻生と距離が近くなったけど部屋まで訪ねてだらだらと時間を過ごす、とまではまだだし。
相部屋で仲が上手くいかないなんて最悪だ。一年間ずっと一緒なのに。寮の先生に相談すれば部屋替えしてもらえるのだろうか。他の部屋はどうなのだろう。みんな上手くやれてるのかな。
「エツミちゃん」
美味しいのに箸が進まない。のろのろと味噌汁を飲んでいると目の前に人が立った。
「会長さん……」
食事を終えたのかこれからなのかわからないがトレイを持っていない。
「ああ、桜野でいいんだよ。会長、ってなんだかハゲオヤジみたいじゃない?」
「え、あ……じゃあ……桜野さん」
会長という言葉がハゲオヤジなイメージってことはないけど、そう呼ばない方がいいのならば。
「前座っていい?」
「はい」
僕の右も左も前も空いている。僕に話があるのだろう。
「昨日はごめんね、時間間違えちゃって」
「いえ……」
そう言って申し訳ないような顔をするが、本当にそうなのだろうか。僕は松川のことですっかり忘れていたけど近藤さんとのことはちゃんと終われた気がしない。終盤ロクに近藤さんの顔を見ていないから。明日は正面切って顔を合わせることになる。何事もなかったような顔をできるだろうか。正確には、何事かあったけどもう終わったことなのでそこはなかったことにして、だ。
「すぐ戻ったのかな」
「……はい」
「じゃあ和臣君に何もされなかった?」
「え?」
ってことは。
そう言えば、前に松川にチクっただの近藤さんが言っていた。松川は知らないと言ったけど。
ってことは、この人は僕と近藤さんに何かあったのか知っていて呼んだってこと? それならば急に手伝ってほしいと言われたことも説明がつく。要するに近藤さんと僕の物理的距離を縮めたかったのだ。
この人は……近藤さん側? あの日の松川と近藤さんのやり取りが本当なら仲間というわけではなさそうだけど。
いや、松川は桜野さんと知り合い? 違うけどわざわざ言いに行ってくれた?
「エツミちゃん、いろいろぐるぐるしてるみたいだけど、僕は中立で少し和臣君寄りってたけだよ。君のことはまだよく知らないし。今のところ良い子だなとは思ってる」
「……ありがとうございます。近藤さんに何かというのはよくわかりませんが裁断機の使い方を教わりました」
迂闊なことは言えない。桜野さんが一番胡散臭いんじゃないかと思えてくる。
「ああ、あれクセがあって使いづらいよね。僕がチェックシートの裁断を頼んだんだよ、和臣君に」
……この人はやっぱり僕と近藤さんを二人きりにしたかったのか。
「僕はちゃんとダメなことはダメって言う。エツミちゃんにも和臣君にも。彼を贔屓することはないよ。そして最後の判断をするのは君だ。それに僕のおせっかいもここまで。和臣君も引っ掻き回されたくはないだろうしね」
この人が何を知っているのかわからないけど、近藤さんがフォローを頼んでいる訳でもないだろう。お手伝いの初日からそれはきっと変わってない。
「桜野さんの曖昧な言葉に僕は返せるものがありません」
「手堅いね、それでいいよ。案外君はしっかり者みたいだ」
「すみません……」
生意気な一年生だと思ったかもしれない。にこにこ笑っていて本心がまったく見えないけど。
「ところで、いつも一緒に食事してる子は?」
「え、ああ……今日は別行動です」
松川のことだろう。
「喧嘩でもした?」
「えっ?」
「元気なさそうだから」
そんなに顔に出ていただろうか。そのことに関して言えば指摘の通り元気はない。松川と話がしたい。喧嘩にすらなってないから松川が何を思っているのかわからない。
「……いえ」
「相部屋ってそういうこともあるだろうけど、誰かに相談すればなんとかなるから遠慮なく言うんだよ? 僕とかね」
端で見てきて、いい人だし仕事もできる人だと思う。でも策士っぽくもあって、崩れたことがない美人のにこにこ顔が少し怖くもある。僕はすでに二度も嵌められているのだ。ひどく悪意があるものではないけれど。
「はい……」
「うん。じゃあ僕は行くね」
桜野さんは立ち上がると僕の頭をぽんぽんとして食堂の出口へ歩いていった。
まるで小さな子供にするように。
って。
いつも一緒に食事してる子、ってそんなに僕は知らないうちに見られてるのか。桜野さんとここで会ったことなんてほとんどないのに。相部屋って言ってたし。正確に松川のことを知ってるのは。やっぱり松川は近藤さんのことを桜野さんに言いつけたってことか。近藤さんの上司だから?
「人には触るなと言っておきながら自分は触るのか」
!
聞き覚えのある声にがばっと顔を上げると今度は近藤さんがトレイを持って立っていた。ぞんざいな持ち方をしているところを見れば食事は終わって返却するところなのだろう。
……いや、あなたも昨日がっつり僕に触れてたでしょう……? そんな約束、僕も忘れてたけど。
いやそんなことよりも。
僕は今日ここで会うことを想定してなかった。だから何の心の準備もしてなくて。
「こ、こんばんは……」
どくどくと心臓が鳴ってるけど挨拶ぐらいは……。昨日あんな逃げ方をして。僕の方が分が悪い。この人に何か嫌なことをされたわけじゃないのに。驚くようなことを言われたり
「ああ、俺はいいんだ。お前のことが好きだから」
…………。
あっけらかんと。
「誰も見てないしな」
……僕が、見てましたけど。
ってことは誰も見てないところならこの人はまた僕に触れようとするのか。松川の忠告、二人きりになるなっていうのを忘れてた。僕は忘れてばかりだ……。
でもそれはきっと、あの場所が楽しいからなのかもしれない。桜野さんの警告もあってかなくてか、妙なスキンシップはないし、多田さんも北見さんも面白かったり男前だったりで優しい。僕のやれることなんて知れてるけど(当たり前だけど部外者の僕は重要そうなことはやらせてもらえない)、役に立てているっていう充実感もある。
「市原」
「はっはい」
「明日も来るなら頼みたいことがある」
「行きます。多田さんのお手伝いのやり残しがあるのでそちらが先になりますが」
「じゃあその後に」
そう言って、近藤さんは去っていった。
……普通に会話した。とても普通に不機嫌なこともなく。
近藤さんは。自分の言いたいことを言ったせいなのか僕への態度が変わった。みんなに向けるどちらかというと兄貴肌な楽しげな声色や顔で。本来の近藤さんだ。
それはもう僕と近藤さんは何もないってことでいいのだろうか。セ、セックスだのなんだのそういうことに関して僕が考えたり怯える必要はないってことでいいのだろうか。
お前のことが好きだから、さっきそう言ってた。さらっと近藤さんは流してたけど。
それはやっぱりまだ……。
終
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