第四章

第25話 心強い味方

 ぐずぐずと蒸し暑い初夏がようやく過ぎ、王都は夏を迎えた。

 あれからリリアーヌの体調はゆっくりとではあるが着実に回復し、近頃はローレンスの腕に縋りながらであれば裏庭の東屋あずまやのあたりまでなんとか歩けるようになっていた。

 今日も風が涼しくなって日中の暑さを和らげ始めた夕方の時間にローレンスに連れられて二人でやって来たのだが、ガーデンチェアには見たことのない二人組が座っていた。

 一人はローレンスよりかなり年上の男性、アランよりも年上だろうか、白髪交じりの髪に髭を蓄えた立派な風貌をしている。女性はリリアーヌとあまり変わらないぐらいの年頃で、茶色の髪をひっつめに結い、眼鏡を掛けた理知的な雰囲気を漂わせていた。


 二人はローレンスの姿に気づくと、立ち上がってお辞儀をした。

「呼び立ててすまんな、リチャード、バークレイ嬢。楽にしてくれ」

「とんでもないことです、社長」

 ローレンスとリリアーヌが腰を降ろすと、リチャードとバークレイ嬢と呼ばれた二人も倣った。

 アランが茶を持ってくると、ローレンスが受け取って言った。

「ありがとう、しばらく外してくれるか、アラン」

「勿論です」

 一礼して静かに去って行くアランを見送って、リリアーヌは思い切ってローレンスに尋ねた。

「あの、ローレンス様、この方は?」

「彼はリチャード・マードック。俺の顧問弁護士だ。こちらはシルヴィア・バークレイ嬢。リチャードの助手だ」

 そう紹介された二人はリリアーヌに丁寧に頭を下げた。

「初めまして、リリアーヌ・オルフェウスです」

 同じように丁寧に自己紹介を返したものの、胸騒ぎがしてリリアーヌが黙りこんでしまうと、ローレンスが一通の封筒を胸ポケットから取り出して言った。


「あまり良い話ではないのだが」

「?」

「今朝、これが届いた」


 リリアーヌはローレンスから渡された封筒の差出人を見るとさっと顔色を変えた。

「……これは、訴状、ですか……?」

 ローレンスは静かに頷いた。

「俺宛にも来ている。現オルフェウス伯爵家からの損害賠償請求だ」

 リリアーヌは黙って封筒を開けると、内容に目を通して大きな溜息をついた。

「確かに良い話ではございませんね」

「読ませてもらってもいいか?」

 ローレンスは頷いたリリアーヌから訴状を受け取った。

 その訴状に記されていたマテオ、現オルフェウス伯爵からのリリアーヌに対する要求は、およそ以下のようなものであった。


 一、速やかに伯爵家へ戻り、夫マテオと義両親に非礼を詫びて、誠心誠意嫁としての務めを果たすこと

 一、リリアーヌの借金はオルフェウス伯爵家とは無関係であることを公式に認め、その上でリリアーヌ個人は破産し、準禁治産者となること


「狂ってるな」

 読み終えたローレンスは話にならんといった様子で呟いた。

「ローレンス様には何と?」

「俺への要求は金だ。損害賠償と迷惑料とでも言ったところだ。まあ実のところは……」

「他に何かあるのですか?構いませんから、仰って下さい」

 リチャード達をおもんぱかって言い淀んだローレンスにリリアーヌは食い下がった。

「……言外に俺と貴女の不義密通を匂わせている。それはそれで奴らにとっても醜聞となる話だから、金さえ払えば大事おおごとにはしないでおいてやる、という魂胆なんだろう」

「醜聞、ですか。確かにそうですね……いつかはこういうことが起こるだろうとは思っていましたが……」

 ローレンスはリリアーヌに申し訳なさそうな視線を投げて続けた。

「実は貴女が臥せっている間にも何度か向こうの弁護士が訪ねて来ていたのだが、その度にまだそういう込み入った会話が出来る状態ではないと言って追い返していたのだ。だが流石にもう限界だし、貴女の体調もかなり落ち着いて来たので、今日話すことにした」

「わたくし、何も知りませんでしたわ」

「勝手なことかと思ったが、弱っている貴女にこれ以上心労をかけたくなかった」

「分かっております。ありがとうございます」


 リリアーヌがローレンスに向かって頭を下げると、タイミングを見計らっていたリチャードが会話に入って来た。

「状況は理解いたしました。それで社長、どうなさいますか?」

「それだ。……そこでリリアーヌ嬢、貴女はどうしたい?」


「え?」


「正直、俺はあいつらを許せん。あいつらの貴女への仕打ちを全て白日の下に明らかにして、完膚なきまでに叩き潰してやりたいと思う。別に俺にとっては造作もないことだ。……だが、それはあくまで俺の考えでしかない」

 リリアーヌが頭を上げると、ローレンスの真っすぐな視線とぶつかった。そのままローレンスはゆっくりと続けた。

「だが、この件の一番の被害者は貴女だ。俺は、貴女の意思を何よりも尊重したい。だから今日こうしてリチャードにも同席してもらった。……リリアーヌ嬢、貴女の考えを聞かせてくれないか?」


 突然のことにリリアーヌが考え込んでしまっていると、リチャードが助け船を出した。

「社長、リリアーヌ嬢、私の意見を述べてもよろしいでしょうか?」

「勿論だ、リチャード」

「リリアーヌ嬢への二つの要求にはそれぞれ違った意図が読み取れます。まず一つ目は、リリアーヌ嬢をこれまで以上に精神的に屈服させ、支配下に置くこと。そして二つ目は、リリアーヌ嬢から譲渡された伯爵家の爵位に関することです」


 リチャードの話した内容はこういうことであった。

 リリアーヌとマテオの父同士の取り決めで、二人が結婚する際にオルフェウス伯爵家の爵位はマテオに譲渡された。だが実は、リリアーヌは伯爵家に関する全ての権利を失った訳ではなかった。

 爵位の相続権は、まだリリアーヌにも残っているのである。もしマテオがリリアーヌとの間に子供を設けないままリリアーヌより先に死亡した場合、爵位は夫人であるリリアーヌが相続する。

 また二人の間に子供がいたとしても、子供が成人するまでは自動的にリリアーヌが後見人となるし、子供が成人前に死亡した場合も結局はリリアーヌが爵位を相続する。

 だがこの条件は、被相続人のリリアーヌがだと判断された場合は適用されない。

「先方がリリアーヌ嬢に破産を要求しているのは、これが狙いでございましょうな。準禁治産者となれば、独立した人間としての社会性はほぼ認められなくなります故」

「俺もそう思う」

 リチャードは続けた。

「であれば、この二つ目の条件は断固拒否すべきかと」

「リリアーヌ嬢の借金の件については、俺のほうで何とかする。そこはあまり心配していない」

「かしこまりました。後は一つ目の条件ですが……」

 ローレンスはリリアーヌに向き直った。

「一つ確認しておきたい。リリアーヌ嬢……まさかとは思うが、貴女はマテオの元に帰るつもりはあるか?」


「ありません」


 リリアーヌは即答した。その場の全員がほっとした顔になる。

「マテオの元に帰るなど、到底考えられません。もし今度会うことがあったら、わたくしはこの手であの男を殺します」

 何の躊躇いもなく言い切ったリリアーヌを見て、ローレンスは短く答えた。

「そうか」

「それでは社長」

「ああ」

 そしてローレンスは再びリリアーヌに向き直るとこう言った。


「貴女の意思は良く分かった。そこで一つ提案がある。この件、俺に全て任せてもらえないだろうか?」


「ローレンス様に、ですか?」

「俺に任せてくれるというのであれば、必ず貴女をマテオから自由にすると約束しよう。他がどうなるかは正直何とも言えんが、何としてもこれだけは死守する。絶対にだ」

 そう力強く言い切ると続けた。

 ローレンスはこうも言った。当たり前だが、裁判には弁護士が必要だ。その点ここにいるリチャードは大変有能で、自信を持って任せることができる。

 またリリアーヌが裁判の当事者として対応するとなると地方判事の審判に出席する必要があるし、その場合は先方の弁護士や、場合によってはマテオ自身とも対峙しなければならない。それはリリアーヌにとって苦痛でしかないだろう、と。


「確かにそうでございますね……」

「俺は俺で対応しなければならないこともあるから、どうせなら一緒に片づけてしまったほうが早いしな。だが、これはあくまでだ。さっきも言ったが、貴女の意思を最優先する。だから慌てなくていい、じっくり考えて答えを出してくれればいい」


 そこまで言うとローレンスは口を噤み、裏庭には静寂が拡がった。

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