濁った視線

下東 良雄

第1話 ニット帽をかぶった少女

 まだ少し涼しさを感じる春の朝。陽光が燦々さんさんと差す戸神東中学校には、多くの生徒達が登校し始めており、学校の周辺や教室では朝の挨拶を交わしたり、おしゃべりを楽しむ生徒たちで賑やかだ。

 そんな中学校の教室の窓側の席で、ぼんやりと外を眺めている女子生徒がいた。

 中山なかやま尚子なおこ、中学一年生。

 尚子は他の生徒と違うところがあった。ニット帽をかぶっているのだ。それも毎日。気分によって帽子の種類を変えることはあったが、基本は黒か濃いグレーのニット帽。授業中や体育の時間でも外すことはなかった。

 尚子は心因性の脱毛症だった。本人は決して神経質というわけではないのだが、周囲の環境が変わると身体中の毛が抜けてしまうのだ。それでも環境に慣れてくると、毛は改めて生えてくるのだが、中学校入学でまたすべての毛が抜け落ちてしまった。今、頭髪はまだら模様の状態で、教師たちも事情を理解して、帽子の着用を認めている。

 そんな尚子の下へやってくるひとりの女子生徒。


「あ~ら、中山さん。今日も素敵なニット帽ですこと。お花のワンポイントがイイ感じですわね。お~っほっほっほっほっほ」


 綺麗な黒髪ロングのお嬢様・佐藤さとう多喜子たきこだ。日本を代表する商社である佐藤商事の社長令嬢。漫画に出てくるようなテンプレ的な感じのお嬢様で、尚子は彼女が苦手だった。誰もが気持ち悪がって尚子を無視しているが、多喜子はわざわざこうして嫌味を言ってくるのだ。そもそも何でこんな普通の公立校いるのか、尚子は不思議だった。

 尚子は多喜子に軽く頭を下げる。


「今日の調理実習は楽しみですわね。お~っほっほっほっほっほ」


 高笑いしながら多喜子は自席へと向かっていった。そして、楽しそうに友だちとおしゃべりを始める多喜子を見て、「毎朝私の席まで来て嫌味を言わなくても」と尚子は毎朝嫌な気分になっていた。


「うっす」


 苦手と言えば、もうひとり。ちょうど今登校してきた隣の席の男子で、金髪ツンツンヘアーの山本やまもと幸浩ゆきひろ。いかにもな不良で、こうして挨拶は交わしてくれるが、正直怖い。

 尚子は幸浩にも軽く頭を下げた。


「あぁ、眠ぃ……ふぁあああああぁ……」


 席に座ったと思ったら、そのまま机に突っ伏して寝始めた幸浩。「煙草吸ったりしてそうだし、関わり合いになるのは避けておこう」と、尚子はまた窓の外に視線を向けた。


「今日もニット帽被ってる……」

「あれって……」

「くすくすくす」


 女子のひそひそ話が聞こえてくる。いや、聞こえるように言っているのだろう。コールタールのような黒くてどろっとした思いが尚子の心を包んでいく。今日もまた濁った視線に晒される一日が始まるのだ。



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