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  • 最終話 人生の転換点への応援コメント

    心因性のものと言うのは他の人にはわからない、それだけに辛いものだと思います。
    尚子はいい友人に出逢えたけど、ずっと心に抱えたまま悩んで、登校拒否になることもあるでしょう。
    寛容があって思いやりのある子どもたちを育てる社会づくりをしていきたいですね!🐷

    作者からの返信

    オカンさん、コメントありがとうございます!
    またいつも作品に大変なご評価をお寄せいただきますこと、重ねて厚く御礼申し上げます。

    実は、尚子にはモデルがいます。
    私の中学生の頃のクラスメイトで、男子でしたが症状は尚子とほぼ同じです。明るい男子で私も仲が良かったですが、きっとひとには言えない苦悩を抱えていたと思います。
    ちなみに、彼をイジメたりするヤツはいませんでした。

    オカンさんの仰る通り、相手の立場に立ってモノを考えること(=思いやり)の重要性を再認識して、ひとに優しい社会を作り上げていきたいものです。

    お読みいただきまして、ありがとうございました!

  • 最終話 人生の転換点への応援コメント

    下東さん、こんばんは😊

    今回もまた色々と考えさせられるテーマでした。
    理解ある多喜子さんと幸浩さんのおかげで、クラスのみんなにも、自分のありのままの姿を見てもらって自分の気持ちを打ち明けることができて、尚子さんもすっきりしましたね。
    こうすることで回りのみんなの意識も変わってきて、尚子さんにも笑顔が戻ってきましたね。
    下東さん、今回も素敵なお話ありがとうございます✨✨

    作者からの返信

    この美さん、こんばんは。
    最後までお読みいただき、また本作にも過分なご評価を賜りまして、本当にありがとうございます! この場を借りて改めて厚く御礼申し上げます。

    見た目での偏見や差別をベースのテーマにしながら、偏見(今回は特にアンコンシャス・バイアス = 無意識の偏見・思い込み)とは何か、偏見を無くしていくにはどうすればいいのかを自分なりに考えながら物語に落とし込んでみました。

    実は、尚子にはモデルがいます。中学生の頃のクラスメイトです。女の子ではなく男子でしたが、物語の尚子とほぼ同じでした。とても明るく仲も良かったのですが、今考えると相談できないような苦労は色々とあったんだろうなと思います。ちなみに、彼をからかうようなクラスメイトはいなかったです。

    多喜子と幸浩との出会いで人生の転換点を迎えることができた尚子。この先、偏見の目があったとしても、きっと楽しい中学生活を過ごせるでしょう。三人の中学生に幸あれ!

    素敵なお話を仰っていただき、本当に嬉しいです!
    お読みいただきまして、ありがとうございました!

  • 最終話 人生の転換点への応援コメント

    いつもとてもデリケートな題材に挑戦し続ける下東さんらしい作品ですね。

    人の目は偏見の塊で、真っ直ぐ見る事の出来る人なんているのでしょうか。心のフィルターがかかっている地点で偏見が入ります。心が曇れば曇るほど偏見にかかるフイルターは増します。そして、第一印象。先入観。体裁。人間なんて虚像そのものだと言えるでしょう。

    そりゃあ、見た目も大事な要素もあるでしょう。眼福なんて言葉もあるくらいです。しかし、心を豊かにしてくれるのはそんなものだけではありません。

    そして、人間関係を構築する上での喜びと言うものは、共感に他ならないでしょう。喜びや悲しみを共感し合える仲間がいる。その為にはくだらないフイルターなんてものは捨て去らなければなりません。

    とても良いお話でした。ありがとうございますm(_ _)m

    作者からの返信

    かごのぼっちさん、公開したばかりにもかからわず、コメントをお寄せいただきまして、ありがとうございました!

    >人の目は偏見の塊で、真っ直ぐ見る事の出来る人なんているのでしょうか

    かごのぼっちさんの仰る通りだと思います。
    偏見の目でふたりを見ていたと涙する尚子を、多喜子と幸浩はそれは普通のことなんだと諭しました。同時に、偏見の目で見ていたことに気付くこと、正しい姿を理解すること、偏見の目で見られていたことを赦すこと、この3つが重要なのだと諭しました。

    昨今、アンコンシャス・バイアスが話題になることがありますが、その言葉と思想・考え方だけが先行してしまい、吊し上げのためだけの言葉として使われたり、マウンティングするための言葉して使われたりすることが多いように感じています。アンコンシャス・バイアスという言葉だけを振りかざすのではなく、それを実現するために必要なことを理解して、心に落とし込む必要があるのではないかと個人的に考えております。そして、そのベースとなるのは「思いやり」なのかなと思います。

    >人間関係を構築する上での喜びと言うものは、共感に他ならないでしょう

    こちらもかごのぼっちさんの仰る通りだと思います。
    今はデジタルでの共感になりがちですが、こんな時代だからこそアナログ(人間同士の直接的なコミュニケーション)での共感の重要性を再確認するべきではないかなと思います。尚子と多喜子と幸浩のような……

    良いお話とお褒めいただき、大変恐縮でございます。
    お読みいただきまして、本当にありがとうございました!

  • 第3話 母の遺品への応援コメント

    多喜子さんが毎朝、尚子さんに話しかけていたのはこんな思いがあったからなんですね。
    私はてっきり嫌味な人かと勝手に思ってました。
    そこがそもそも間違いでしたね。

    作者からの返信

    この美さん、読み進めていただき、本当に嬉しいです!

    多喜子の行動には、こんな思いが込められていました。
    ニット帽のワンポイントを褒めたのも、それをきっかけに会話ができないかと考えていたからです。

    そして、これまでクラスメイトから濁った視線を向けられていた尚子は気付きます。自分も濁った視線でふたりを見ていたことを……。

  • 下東さん、こんばんは😊

    >「お前らよぉ、中学生にもなって言って良いことと悪いことの区別もつかねぇの? 自分じゃどうにもならねぇことで苦しんでいる女子へ、追い打ちをかけるように石を投げつけるのがそんなに楽しいか? 死ぬほどダセェんだけど」

    幸浩君の言葉、心に沁みますね。
    カッコいいです。

    作者からの返信

    この美さん、こんばんは。
    公開したばかりなのに、コメントまでお寄せいただき、本当にありがとうございます!

    >幸浩君の言葉、心に沁みますね。

    こんな風に相手の立場に立って物事を考えられるひとが減っているように感じます。デジタルからアナログへ、数字や記号から心や気持ちへ。もう一度回帰するべき時が来ているように思いますが……難しいのかな。。何だか物凄くもどかしいです……