第21話 乞い願う

 九魄によって、タイランの体は岩屋戸の中に吹き飛ばされた。ドウメキが恐れていたことが、目の前で起こってしまったのだ。

 

「まだ終わってはいないぞ妖魔‼︎」


 振り上げられたイムジンの槍。呆然と立ち尽くすドウメキの背後をとるように飛び込んできた巨躯は、勢いよく槍を振り下ろした。

 隙を見せたドウメキを前に、その首を取ろうとしたのだ。

 

「イムジン、下がれ‼︎」

「ああ⁉︎」


 九魄の鋭い声がイムジンへと向けられた。ドウメキへと振り下ろされるはずだった槍は、輪切りにされるかのようにバラバラになった。

 赤い鳳仙花が弾けるように、血飛沫が上がる。イムジンの腕に螺旋状に走った赤い筋が、槍ごと利き腕を奪っていった。

 

「イムジン様‼︎」

「だめだくるな‼︎」


 ヤンレイの悲鳴まじりの声が響いた。

 イムジンへと向けられたドウメキの左腕が、じわじわと黒く染まっていく。演舞を踊るように広がった黒い深衣の裾が、ドウメキの妖力に反応をするように陽炎を作り出した。

 炎を纏った鋭い爪が、ヤンレイへと振り下ろされようとしたその時であった。


「っぉ、びえるな……‼︎」

「ひ、っ」


 ドウメキの、殺意を滲ませた一打を受け止めたのは九魄であった。

 大きな翼の背後にヤンレイを庇い、獣化した鉤爪でドウメキの手を受け止めている。

 金色の瞳に映るのは、瞳を黒く染め上げ、赤い瞳孔をぎらぎらと輝かせるドウメキの姿だ。


「怯えが、っ……こいつの力になる……‼︎」


 恐ろしいほどの熱風が、九魄の体を包み込んだ。炎を司っていなければ、きっと死んでいただろう。加減ができていない炎は、まさしくドウメキの強い怒りそのものだ。

 

「な、何、なんでこんな、っ」

「タイランは何をしている……‼︎ 早く、こいつを止めろ……‼︎」

「お前がその名を口にするな」


 チィ、と囀りのような音が聞こえた。違う、ドウメキの黒く染め上がった手の皮膚が破けたのだ。切れ目が入るように、手の甲に赤い瞳が花開く

 ギョロリと動く大きな目玉が九魄をとらえる。

 妖魔の中でも一際異形な姿を前に、九魄は足元から這い上がるような怖気を感じた。


「ば、化け物……っなんで、山主は……っ、どこでこいつに取り憑いた……‼︎」

「ドウメキの本体の方が、もっとまずい」

「ほ、本体……⁉︎ く、九魄……‼︎」

「ギィ、ッ……‼︎」


 九魄の言葉が遮られた。炎を纏うドウメキの手が、その首を掴み投げ飛ばしたのだ。視界から姿を消した九魄に、ヤンレイの狼の瞳が見開かれる。 

 目を合わせては、呪い殺されるだろう。ヤンレイは震える体でぎこちなく顔を逸らした。

 地べたに羽が散らばっている。そのまま背後へと目を向けると、瓦礫に埋もれるようにして、片翼だけを残した九魄が倒れていた。


「い、イムジン、イムジン様……‼︎」


 情けなく叫ぶ、ヤンレイの声に応えるものは誰もいない。

 黒く焦げた木々が墓標のように立っている中心で、ドウメキは一人取り残されたヤンレイを見つめていた。


 この状況が億劫だった。ひくんと指を弾ませる。早く終わらせて、タイランを迎えに行かなければ。

 体から漏れた妖力が視覚化され、炎のように揺れながら体外へと滲み出る。

 ドウメキの背後で、伸びた影が地面から剥がれるようにして獣の形を作った。

 じわり、じわりと腕に紅い瞳を咲かせていく。土を撫でるような音は、ドウメキの握りしめている九魄の片翼によるものだ。

 複眼の巨大な化け物を携えて歩く禍々しいドウメキの姿を前に、ヤンレイは地べたに尻を擦り付けるようにして後退りをした。

 

「ひ、ひっゃ……い、ぃや、だ……っ……く、くる、な……」


 下手くそな呼吸が、緊張を如実に表していた。今にも死にそうなヤンレイの顔を眺めているというのに、ドウメキの心は何も思わなかった。

 足元から、根を張るように呪が侵食していく。ドウメキの背後でぐるりと唸る化け物は、その身を膨らませるように空間を夜へと変えていく。

 いくつもの目玉が咲く腕を、ヤンレイの首へと伸ばした。鎖の擦れ合う音を耳にしたのも、その時だった。


「あ」


 ヤンレイの喉元まで伸ばされた指先が、ぴたりと静止した。全身を呪いで黒く染めたドウメキは、唯一紅く光る瞳を揺らして、口から母音をこぼした。


「は、あ、あ……っ」


 震えるヤンレイの声がした。その瞳は、ドウメキの背後へと向けられていた。

 洞窟の入り口から、膨らんだ黒い膜を突き破るかのように、いくつもの鎖が飛び出したのだ。それらは拘束するかのように、ドウメキの体へと素早く巻き付いた。


 本性である山主が、守るようにタイランを包み込んでいる。

 自由を制限する幾つもの鎖を通して、ドウメキはしっかりとそれを感じ取っていた。


 空気が張り詰める。濃度の高い妖力が、その場に圧をかけるのだ。

 曇っていた思考は徐々に明朗なものになり、気がつけばドウメキは引き寄せられるように体を影に溶かした。

 山主として、外に出ている。ようやくドウメキの意識が本来のものと重なった瞬間、腕の中にはタイランがいた。


「ドウメキ!」

「は……、なんで生きている……!」


 声を上げたタイランを前に、ヤンレイはわかりやすく表情を変えた。

 山主に食われたと思っていたのだろう。気がつけば目の前から化け物ごと消えたドウメキが、タイランと共にいる。

 ヤンレイは理解してしまった。九魄の口にしていた言葉の意味を、そして、本当の山主の姿を。


「もういい、もう、元の姿に戻っていいんだ。怯えなくていい、もう俺は、お前の前で死なないから……‼︎」


 大きな背中に腕を回すようにして、タイランはドウメキを抱きしめた。体から滲む、禍々しい妖力にも臆さずに。

 元に戻ってもいい。タイランの言葉に、ドウメキの赤い瞳がわずかに揺らぐ。あの岩屋戸の中で、タイランが何を見たのかを理解してしまった。


「なんで、お前は……」


 タイランをきつく抱きしめるドウメキは、掠れた、震える声で呟いた。

 心穏やかに過ごしてくれればいい。己の本当から遠ざけて、今度こそ守り切るつもりでいたのだ。それなのに、タイランは繰り返す死の原因がドウメキだと知った上で、全てを受け入れるというのか。

 ドウメキの心は千切れそうだった。真実を知られたくはなかったというやましさと、再び腕の中へと戻ってきた温もりに歓喜する心。

 ぐちゃぐちゃな感情で肺を満たしたまま、それでも腕の中のタイランを離そうとはしなかった。


「タイラン、……」

「やっと、お前と会えた。本当のお前を、助けることができた……っ」

「っ……、……お、俺は……っ」


 ドウメキはずっと、守城として生まれ変わった青年が死を繰り返すのを眺めることしかできなかった。いつしかそれに心が耐えられなくなって、気がつけばずっと仮初の、己の理想とする姿のまま、輪廻を巡る青年を騙し続けてきた。

 己が本当の山主であることを、忘れて欲しかった。生まれ変わる青年の魂に、心から願い続けてきたことだった。それなのに。


「タイ、ラン」

「うん」


 醜い姿を厭わずにいてくれる。まっすぐな優しさがドウメキを弱くした。


「……お前は、俺が望まぬことばかりをする」

「そんなこと、わかっているだろうに」


 タイランの手のひらが、情けなく涙を堪えるドウメキの頭へと触れた。

 白髪頭に、鬼の拗れたつのを生やしながら、赤い刺青のような模様を全身に浮かび上がらせている。

 時折、感情に反応を示すかのように咲く目玉が、本人よりも雄弁に心模様を表していた。

 

「ま、また……俺はお前を、殺すかも、しれないというに……っ」


 赤い瞳が、大粒の涙をこぼした。

 タイランが生まれたと気がついた時、ドウメキが悲しみと同時に感じたのは喜びだった。そして、再び殺してしまうかもしれないという恐怖。

 それでも、再び出会うことに抗えなかったのは、本当に心から待ち望んでいたからだ。

 今度こそ、守るつもりだった。今度こそ遠ざけるつもりだったのに。


「どうしろというのだ、お、俺は、……っ、お前に辛い目に、あってほしくない、というに……っ……」


 悲痛な声は、そのままドウメキの愛情だった。まっすぐにタイランへと向かう愛情は、確かに抗えぬ呪いだった。

 それでも、ドウメキに何度殺されようとも、タイランの前世でもある青年は構わなかったのだ。


 その道の先には、ドウメキがいる。


 それは、いつかの時代に必ず時が重なると、信じていたからに他ならない。


「殺されないとわかっていた。だって俺は、あの時確かに任されたのだ。あの時の、俺に」


 タイランの見てきた記憶は、守城であった青年の記憶だ。それも、己と同じように生まれ変わりを悟った青年の、守城としての最後の記憶だった。

 これで、輪廻は断ち切った。次を生きる己に託したその言葉の意味を、タイランはしっかりと受け取ったのだ。

 輪廻から解放されたのは、タイランも同じだ。だから、青年は守城として呪いを育む一族を終わらせ、タイランには名前が与えられた。

 縛りから互いを開放するために、なにも隔たり無く、ドウメキを愛せるように。


「欲しかった名前を得た。それが何よりの証拠じゃないか。お前にたくさん名前を呼んでもらえる」

「っ……ぅ、ぐ……っ……」


 長く伸びたドウメキの白い髪に手を通す。たなびく尾も、ねじれた角も、黒い眼窩に収まる赤い瞳も、全部タイランのものだ。

 時をいくつも跨いで得た大切に、ようやく素直に心を差し出すことができる。当たり前に至るまで、随分な遠回りをしたからこそ、離れ難い。

 

「もう、……お、俺のせいで……っ、死ぬことは、ないのか……」

「ないよ、こうしてお前がここにいるのだから。共に生きよう。もう、怯えなくていい」

「タイラン……タイラン、タイ、ラン……」


 豊かな尾が、囲うようにタイランの体に回った。タイランのあたたかな腕の中で、ドウメキは声を震わせて泣いていた。

 醜い執着だ。そして、健気なまでに、一心だ。

 


「喰録には、ともに怒られてくれよ」

「仕方あるまい……」


 濡れた、情けない声で宣うドウメキに苦笑いを浮かべると、琥珀の瞳をヤンレイへと向けた。

 弟の顔は、わかりやすく青ざめていた。

 山主の本当の主が、兄でもあるタイランだとは思わなかったらしい。今までタイランへ向けていた侮蔑の視線が、明確な怯えに変わっている。

 九魄が腕をおさえるようにヤンレイのもとへと歩み寄る。片翼しかない羽根で、薄い背中を支えるように寄り添うと、金色の瞳でタイランを睨みつけた。

 

「……もう面倒くさい役回りはごめんだ」


 剣呑な瞳は不満を雄弁に語っていた。

 唐突にタイランへと文句をつける九魄は、まるで最初から結果を知っているかのような口ぶりである。


「でも、お前はやってくれただろう」

「ま、まて……なんで、お前らいつの間に」


 タイランと九魄のやり取りを前に、ヤンレイは戸惑いを隠せない様子であった。

 何度目かの生まれ変わりの後、守城は一時的に九魄の主に収まっていた時期があった。

 それは、九魄が名前も持たぬただの妖魔だった頃。生まれ変わりを繰り返し、高い巫力を身につけた守城に近づいた。

 結局、ドウメキの嫉妬のおかげで嫌気がさして離れたが、その時に九魄へと一つだけお願い事をしていたのだ。


「約束は守った。やはりあんたの言う通りだったな」

「ああ?」

「唸るなドウメキ。こいつは生まれ変わった後も、お前が岩屋戸に行かせないようにするだろうから、その時はそれを阻止してくれって言ったんだ」


 どんな手を使っても構わない。そう言ってお願いをしたのは守城だが、まさか九魄がヤンレイの妖魔として収まり、随分と乱暴なやり方で約束を果たしてしまうとは思いもよらなかったが。

 これはきっと、面倒ごとを押し付けた九魄から守城への、仕返しだったに違いない。


「そもそも、妖魔の操る炎は、燃やしたいものしか燃えない。あの時の九魄の炎で気がつくべきだった」

「……くそ、二人して俺を謀ったということか」

「まて、タイラン……お前は、何を言って」


 くやしげに唸るドウメキの体から、タイランは腕を離した。その足はまっすぐにヤンレイの元へと向かう。目の前の弟は、白い深衣を土と煤で汚し、涼やかな目元は泣いたせいで赤くなっていた。

 ヤンレイの表情がこわばる。今まで信じてきたものが、嘘であったと突きつけられたかのような、そんな様子であった。

 顔を青褪めさせるほど、ヤンレイは九魄を信頼していた。

 主人として、恥じぬ守城になろうと努めていたことも、ヤンレイが城に召し上げられた時から知っていた。

 だからこそ、酷い裏切りに感じているに違いない。

 タイランが、守城として九魄と肩を並べていたのは過去に一度だけ。ほんのわずかなひとときだった。それも、ドウメキが姿を変えて現れてからは、すぐに去っていってしまったが。

 タイランは呆然としているヤンレイへ目線を合わせるようにしゃがみ込むと、頬の汚れを袖で拭う。


「ヤンレイを、これからも頼む」


 タイランは、ヤンレイの隣にいる九魄へと宣った。いつもの、顔色を窺うような口調ではない。はっきりとした、兄としての言葉だった。


「無論」

「貴様、一体何さ、ングっ」


 ヤンレイの唇に、タイランの手のひらが押しつけられた。いつも優しく微笑むことしかしなかった琥珀の瞳に宿る鋭さに、ヤンレイは唇を真一文字に引き結ぶ。


「お前の、兄だよヤンレイ。頼むから、もう体を使うのはやめてくれ。そんなことをしなくても、九魄はお前を認めている」


 タイランは真っ直ぐにヤンレイを見つめて言い聞かせると、ゆっくりと手のひらを離した。

 何かをいいあぐねるように、口を開こうとしたヤンレイを、九魄が手で制した。

 悔しそうに顔を歪める姿を前に、タイランは小さく微笑んだ。指通りのいいヤンレイの黒髪を撫でる。こうして触れるのも、随分と久しぶりであった。

 あっけにとられたように己を見上げるヤンレイに、幼い頃の面影が重なった。


「……引き上げろヤンレイ。山主は死んだと伝えてくれ」

「お前は、どうするつもりだ」


 頭に乗せた手のひらを押し返される。ヤンレイの言葉に、タイランはドウメキの顔を見上げた。

 結界が消えたわけではない。山主であるドウメキ自体が魏界山を覆う結界の媒体なのは今も変わらないのだ。

 守城によって十四つの呪いを解かれた今、ドウメキは岩屋戸から解き放たれた。

 それでも岩屋戸にこもっていたのは、己の力で大切を失うのが怖かったからだ。

 今は、守城の生まれ変わりであるタイランに応える形で姿を現した。本来の姿でもある山主の主が、誰であるかは明白だった。


「ヤンレイにドウメキをやることはできない。俺のものにする」

「……守城になるつもりか」


 ヤンレイの言葉に、タイランは少しの間閉口した。あまりにドウメキが守城守城というものだからすっかり忘れていたが、今のタイランには巫力がなく、守城にはなれないのだ。

 期待をするような目で、ドウメキが見つめてくる。それでもタイランの気持ちはすでに固まっていた。


「守城はもういい、俺は普通に暮らしたい」

「……そうか」

「心配せずとも、お前の位置を奪うつもりは毛頭ないよ。ドウメキには悪いが」

「お前の決めたことなら構わん。俺はお前と生きるだけだからな」


 そう言って、ドウメキは緩く笑みを浮かべる。

 しっかりと己の意思を口にするタイランを前に、ヤンレイは少しだけ驚いた顔をした。しかし、それ以上は文句を言うつもりもないらしい。難しい顔をしてはいたが、ただ端的に、そうか。とだけ返事をされた。


 今はただ、共にいることができる時間を大切にしたい。妖魔として、タイランよりも長く生きるドウメキと過ごせる時間には限りがあるだろう。

 指の股を開くようにして、ドウメキの手がタイランの手に絡む。あの川縁で、言葉にできない思いを交わしたささやかなやりとりを振り返るようで、タイランは少しだけ気恥ずかしかった。

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