第20話 呪縛と封呪

「ぅあ、っ……‼︎」


 ドウメキの体は、大柄な男たちによって洞窟の中へと放り投げられた。体の自由が効かない上、何が起こっているのかもわからない。

 祭りの前日、普段は見放されているドウメキに食事が振舞われた。それに何かを混ぜられていたのだろう。変だとは思ったが、気にもせずに口にした己の落ち度だ。

 

 頭がクラクラする。巫力をうまく練ることができない。ここはどこだ、俺は、今から殺されるのか。

 頭を押さえつけられ、衣服を剥がされる。目を背けていた己の醜い体を晒され、情けなさと惨めさで頭を抱えるようにうずくまった。


「封呪はいつ始めるって」

「もうすぐだ。面倒臭いが、一度に厄介払いができるんだ。これも仕事だと思わねば」


 何を話しているんだ。村人へと目を向ける。その手に握り締められていたのは、縄だ。嫌な予感が、神経をざわめかせるように体中を走った。


「ドウメキ、よかったなあ。お前も村の為に生きることができるぞ」

「お前には勿体無いくらいだが、これも黄泉路への駄賃だ。これで手打ちにしてくれよ、人身御供殿」


 目の前に放り投げられた皮袋から、砂金が溢れた。見たこともない額だ。

 これが、命の重さ。ドウメキの身の、命の重さだと言うのか。


「ひと、み……ご、くう……?」

「魏界山の結界がゆるんじまったんだ。石に刻んでいた分が、割れちまってなあ」

「何、もうこれからは安心さ。なんてったって、力の強い守城が結界を張る。お前を使ってな」

「な、にいって……」


 まさかと思った。そんなことが、あるはずないとも。

 ドウメキの知っている守城は、目が見えない。それなのに選ばれた。嬉しそうに話す声が、今でも耳に残っている。でも現実は違った。

 ああ、いらないから消されるのだ。何より、村にとって都合がいいからに他ならない。ドウメキを使って結界を張れば、確かに強固なものが作られるだろう。人の命を犠牲にして作り上げる術は、それほどまでに危険で強力だ。

 それでも、違うだろう。守城は、ドウメキに笑みを向けてくれた守城だけは、絶対に違うだろう。選ばれないに決まっている。

 己の死に怯えるよりも先に、どうか守城となった青年がここに来ませんようにと強く願った。頼むから、この汚い姿目に映さないでほしい。それが叶わぬなら、死を受け入れる代わりに別の守城をよこしてくれ。

 憧れていた守城になったと、喜んでいたのに。その笑顔を村人たちは汚すのか。あの優しい手を、この卑しい体で汚させるのか。


「ぅあ、あ……あ、……っ」


 焦りと共に、全身の痣が色を濃くする。滲む巫力に応えるように、ドウメキの体が反応を示したのだ。

 紅い瞳に、じわりと光が宿る。様子の変わったドウメキに気がついたらしい。村人の一人は持っていた縄を振り下ろした。


「ぁあっ、ぐ……っ」

「変なこと考えるなよドウメキ。お前が逃げたら、守城一人で贄になってもらう」

「っなん、で……っ」

「この山を覆うためにはお前と守城が必要なんだよ。巫力は転じると呪いになるんだってよ、知ってるか?結界にはそれを使う」


 太い縄が、容赦なくドウメキの体を縛り上げる。

 巫力は、穢れる。うちに内包する巫力が多ければ多いほどそれは研ぎ澄まされ、人の恨みや嫉みを吸収してしまうのだ。

 ドウメキの巫力は、長きにわたり村で虐げられてきたことで穢れを纏っていた。体に滲む痣がその証拠だ。赤い花が開くように、眼型の痣がそこかしこにドウメキの体を侵していた。


「俺たちがお前を育てたのは、そう言った意図がある。この村に生まれちまったことを悔いるしかあるめえよ」

「守城も可哀想にな、初舞台が最後の出番になるとは」

「ぃ、ぎ……っーーーーーーーっ‼︎‼︎」


 無理やり口を開かされ、熱した油を注がれる。喉を潰されれば、叫ぶこともできない。のたうち回る体を抑えられ、熱湯をかけられたかのような痛みが、両足に走った。

 つま先が凍りついたように体が動かなくなる。ブルブルと震え、脂汗が滲み出た。頬を地べたに擦り付けるようにして目を向けた己の足は、歩けないように筋を切られていた。

 肺がおかしい、呼吸がままならない。ひどい痛みの中、内側で暴れる力がドウメキの体を奪おうとしている。

 体の自由を奪った男たちは、談笑しながら遠ざかっていった。暗くて、狭い中にたった一人だ。やめろ、頼むから今すぐにでも殺してくれ。守城を、あの青年をよこさないでくれ。

 醜いうめき声しか出せないせいで、ドウメキは本当に人をやめてしまったかのようであった。


 涙が止まらなかった。悔しくて仕方がなかった。人の都合のために育てられ、巫力をも穢される。なんのために、必死で生きてきたのだ。

 ああそうか、人身御供のためだったのか。

 疎まれものの己には、安らかな死すら許されないのか。

 視界が赤く染まる。痣に切れ目が入り、膿が吹き出した。体が、どんどん醜くなっていく。


 こんなにも、来るなと願っているのに。青年が触れてくれた手が、恋しかった。


「誰か、いるのですか」

「……っ」


 ドウメキの願いは届かなかった。村人に連れられて洞窟に訪れた青年は、守城のみが纏うことを許される白い深衣姿で現れた。夢を叶えた青年の姿が、そこにはあった。


(ああ、どうして……)


 いるよ、俺はここにいるよ。だから、頼むから今すぐ逃げてくれ。

 肺が震える。情けない、隙間風のような声しか出なかった。


 (本当だな……確かに、お前に名前があればよかった)


 ドウメキの瞳から溢れた涙が、土で汚れた頬に筋を作る。

 名前があれば、呼んで、辛い時も、嫌な時も、名前を呼べる相手がいることを、喜ぶことができたかもしれない。

 最期のよすがに、できたかもしれない。


 情けない、今の俺は声をあげて泣くこともできない。涙の膜が邪魔をして、あんたの顔がよく見えないんだ。

 でも、きてほしくない、ここにきて、俺に気がついてほしくない。

 

 ドウメキの心は損壊して、肺から出る熱い吐息ですら体を蝕む。

 青年に触れた感触を思い出すように、指を握り込んだ拳は震えていた。


「今回の結界の媒体になる妖魔が一匹おります。あまり近付くのは危険かと」

「血の、匂いがする……怪我をしている、これは、……人?」

「やだなあ、人なんて使うわけないでしょう‼︎ ほら、早く始めてください。あなたが頼りです、守城」


 白い深衣が、よく似合ってる。そう言ってやりたかった。


 村なんかどうでもいいが、俺があんたにしてやれることは、きっとこれしかできないのだろう。

 本当はもっと隣りにいたかった。許された時間の中で、もっと素直に好きだを口にすればよかった。

 おめでとう、そう言って、ささやかな祝いを共にしてみたかった。

 でも、これがきっと今の俺にできる最善なのだろう。


 口にできない思いが肺の中で暴れて、苦しかった。

 こんなに泣いたのは初めてかもしれない。そう思うほど、ドウメキは悔しくて悲しくて、痛む喉をすり潰すように静かに泣いた。

 いつの間にか始まった祝詞に、少しずつあたりの空気が変わってくる。守城の澄んだ声が、文字となって洞窟の中へと流れてくるのだ。

 美しい光景だった。最後に目にした守城の晴れ姿が己の手向になるのだろう。ドウメキは、術の失敗を乞い願うように守城を見つめた。

 

──── お前が逃げたら、守城一人で贄になってもらう

 耳に残る村人の言葉が、ドウメキの呼吸を止める。嫌な予感が沸々と湧き起こり、一つのまさかが浮かび上がる。

 もしドウメキだけが死ぬならば、守城一人で贄になってもらうとは言わないはずだ。冷や汗が吹き出し、全身が震える。痛みが理由ではない、体の奥底、心をちぎられるような苦痛がドウメキの体に侵食してくる。

 違う、違うだろ。そうじゃないだろ。

 やめてくれ、贄ってなんだ。俺だけで、俺だけが死ねば終わりじゃないのか。

 洞窟の中の空気がざらりとしたものに変わる。

 壁一面を覆う夥しい文字の数に異様さを感じ取った。気がつけば、ドウメキの体は巫力を噴き上げるように痣が広がり、黒く染まっていった。

 

(なん、だこれ……っ、なんだこれ、なんだ、っ)


 短い呼吸を繰り返す。体が何かに変わっていくのを、生々しく感じる。

 黒かったはずのドウメキの髪の毛が、白く染まっていく。まるで、本当の妖魔に変わっていくかのようだ。青年の偽物の妖魔ではなく、本物の妖魔に。

 

 気がつけば、ドウメキの目の前には鏡のようなものが浮かんでいた。

 全身を黒く染め、髪の毛は白い。紅い虹彩だけを光らせた化け物が、仄暗い影の輪郭を捉えるかのように映し出していた。


(この、儀式は……っ)


 鏡の向こうに、ドウメキの姿と重なるようにして青年が映し出されていた。胸騒ぎがする。鏡に映った背中から、黒い帯状のものが噴き上げた。皮膚を突き破って飛び出したそれは、洞窟を揺らす勢いで黒を膨らませていく。


(やめろ、やめろお願いだ頼むから……)


 帯状の影が、鏡面に映り込む青年の体を包み込んだ。ピシリと罅が走る。ドウメキの目の前。鏡の向こう側で、祝詞を紡いでいた言葉が不自然に途切れた。


「ぁ、なに、……っ」

(待ってくれ)

「ぅ、くっ……あ、……っぃ、いた、っ……」

(なんで、繋がってるんだ……‼︎)


 噴き上げたものが、ドウメキの巫力が転じた穢れなのだと理解した。

 鏡面は、黒が視界を染める中でも光り続けている。ドウメキにしか見えない呪いが、鎖のようになって守城に絡みついているのだ。

 己の、執着だ。生きることへの執着と、守城への執着が具現化してしまったのだ。それに気がついてからは、もう遅かった。


「ドウメ、キ……?」

(ーーーーっ)


 掠れた声が、ドウメキの名を紡いだ。鏡に囚われた二人が、一つの反転世界を通して重なり合っていた。

 ドウメキは、必死で声を上げた。届かない、隙間風のように情けない声が、届くわけもなかった。

 鏡面の罅が、守城の体を横断するように走る。鈍い音が聞こえた。紅い瞳に映る華奢な体が、黒い何かに飲み込まれるようにして体の半分を失った。

 優しさを教えてくれた手のひらが、だらしなく垂れ下がる。ドウメキの瞳よりも紅い血が、白い肌によく映えていた。


「ぁ」


 小さな声が漏れた。ドウメキの口から吹き出した血が、背中を突き破るようにして溢れた呪いが、黒が、噴き上げるようにしてあたりを包み込む。守城の体が、鏡面に吸い込まれていく。

 ドウメキは、表情の消えた顔でそれを見つめていた。

 己から溢れ出た闇が、瞬く間に空間を染め上げる。守城の紡いだ祝詞の一部が、壁から剥がれるように鏡へと落ちた。

 文字が張り付く鏡が、ぐにゃりと形を崩す。それは大きな杭の形を取ると、勢いよくドウメキの体を貫いた。

 壁に体を縫い止められる。その杭の先端から伸びた十三の鎖が、ドウメキの全身を覆うようにして封印した。


(一つ……、切れている……)


 細い鎖の一本が、垂れ下がるようにドウメキの頬を撫でた。感じるのは、かすかな守城の巫力であった。


 その瞬間、呪ってしまったのだと理解した。


 思いを寄せたせいだ。そのせいで、守城はドウメキに呪い殺された。そして、結界の役目を終えるその時まで、守城は生まれ変わり、ドウメキはその手で殺すのだろう。

 十三の鎖、魂の解放条件。巨大な結界を展開する代償は、これか。

 かすかに見えていた光が、大岩によって遮られた。光が一筋も入らない狭い世界で、ドウメキは己の大切の命を奪い、封印されたのだ。




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