第14話 謀

 嫋やかな指先に挟まれた煙管は、ヤンレイのものではない。

 細工の施されたそれは薄い手が持つには太く、重みがあった。悪戯をするように煙を燻らせる。そんな煙管を持つ白い手を窘めるように絡め取ったのは、一回り大きな無骨な手だ。

 悪戯を窘めるかのように煙管を取り上げられれば、煙を追うように振り向いたヤンレイの唇に厚みのある唇が重なった。


「ん、っ」

「……お前に煙管は似合うが、まだ早い。昨日は散々に舌に教え込んだつもりだが、まだ足りないか。ヤンレイ」


 粗野な声で囁かれる。嘉稜国の将軍であるイムジンは、左頬に走る傷を歪めるようにしてヤンレイへ笑いかけた。

 薄い体は、昨晩の情事を引きずるように余韻を散らしていた。長い睫毛に囲まれた、狼の瞳が美しい。勝気な性格は、同じ血を宿す兄とは大違いだ。イムジンは、ヤンレイの一筋縄ではいかないところを気に入っているようだった。


「舌が不快です。精液よりはマシですが」


 濡れた舌を見せつけるように、ヤンレイが笑う。人を煽ることに慣れている仕草だ。挑発的な笑みで、将軍でもあるイムジンを煽る姿に躊躇いはない。

 昨晩脱ぎ落とした夜着を手に、寝台から離れるヤンレイの姿を目で追った。白い肌は陶磁器のように滑らかだ。縄が映えるせいで、イムジンと閨を共にするたびに赤い緊縛痕が増えていく。

 ヤンレイは、それでも気にしていないようだった。むしろ暴力的な愛撫を受け入れるのも、将軍というイムジンの立場を利用するための一つの手段なのだろう。

 ヤンレイの野心に手を貸す代わりに、その体をものにした。イムジンと肉体関係を求めるものも多い。しかしそのくせ性的嗜好を晒せば逃げられることも多い難儀な男であるイムジンは、豪胆にも将軍であるこの身を利用したいと開けすけに言ったヤンレイの度胸を気に入っている。


「出立は間も無くだ。悪いが俺は先に出る」

「影犬を操れる兵を整えておいてください。妖魔を使えば、誤って怪我をさせても言い訳にはなるでしょう」

「全く、お前は毒の花だな。どさくさに紛れて、実兄を手にかけようとは」


 身なりを整えたイムジンが、くつりと笑った。

 本当にいい性格をしている。そう嫌味を口にしたところで、ヤンレイにとっての褒め言葉にしかならないだろう。

 十八の若さで、将軍でもあるイムジンを文字通り乗りこなすしたたかさを持つヤンレイだ。それくらいの度量がなければ、腹の読み合いが日常なこの城ではやっていけない。

 露台へと向かおうとしたヤンレイの背を、温めるように抱きしめる。

 無骨な手を夜着の隙間から白い胸元へ差し込めば、細い首筋に鼻先を寄せる。肩口を甘噛みすれば、腕の中のヤンレイは小さく身を震わした。


「ぁは」

「お綺麗な守城様がこんなことをして、兄が泣くぞヤンレイ」

「ならば、泣けないようにしなくては」


 ヤンレイは、瞳にイムジンを映して嫣然と微笑んだ。狼の瞳が怪しく光る。

 今の守城は国が認めた者のみが名乗れる。巫力が多く、強い妖魔に選ばれた者を国が指名する形だ。

 結界を張るだけが仕事ではない。有事の際には青院とともに戦場へでて、戦況を有利に運ぶための采配も行う。

 無論、そこに変則的な何かが発生すれば、それに合わせた行動も取らねばならない。だからヤンレイは、青院の長でもあるイムジンと関係を持った。

 厚みのあるイムジンの唇を、甘えるように一度だけ啄んだ。鼻先を触れ合わせるように甘く囁くのは、ヤンレイからイムジンへの命である。


「好きに動いて構いません。どうかうまくいきますように」


 ヤンレイの言葉の意味を、イムジンは正しく受けとった。左頬の傷を歪めるようにと笑うと、ヤンレイの体から離れる。

 

「それはお前の目で確かめるがいい」

「ええ、あなたの馬で向かいます」


 その言葉が、冗談ではないことはイムジンが理解している。苛烈な将軍の手綱まで握る若き衆生に、軽く手を上げることだけで了承した。

 互いの利益になるからこそ関係を持っている。ヤンレイは軍に手を伸ばし、イムジンは力の強い守城を自軍に抱えられる。

 部屋を出ていくイムジンを見送ることはしない。ヤンレイは露台へ向かうと、欄干へ身を預けるように市井を見やる。どこからかヒュルリと猛禽の声が聞こえれば、ヤンレイは小さく笑みをこぼした。


「九魄」


 目の前がかげり、背中に猛禽の羽を生やした妖魔が現れた。

 赤い髪を靡かせ、金色の瞳を切れ長の二重に収めたその妖魔は、まるで鳥が休むかのようにヤンレイの前に降り立った。


「また閨を共にしたのか」

「心の傷を慰めてもらったまでさ」

「ありもしないのにか」


 九魄の手のひらが、素肌に夜着を羽織っただけのヤンレイの後頭部へと回された。

 鱗のような籠手をつけたその手が、素直な黒髪に指を通す。指の隙間を流れる黒髪を緩く掴むように、九魄はヤンレイの顔を上げさせた。

 

「舌を寄越せ、九魄」


 挑発的に振る舞うヤンレイを前に、九魄はその目をすっと細めた。

 口内を晒すように見せつけられた赤い舌に、九魄の舌が重なった。味蕾同士をゆっくりと摩擦するようなそれは、雛鳥への給餌にも見える。

 小さな水音を立てて、舌が離れた。互いの存在を確認するような口付けを九魄に求めたのは、ヤンレイが最初だった。

 

「九魄、山の様子は」

「……岩屋戸の封呪が消えている。あれではもうダメだな」

「タイランが解いたと思うか」

「無理だろう。劣化が妥当だとしか思えない」

「そうか……」

 

 ヤンレイの兄であるタイランが魏界山へと向かってから、もう一月が経とうとしていた。妖魔を持たない体でうまく生き延びたとしても、もって半月だろう。予想通りの九魄の答えに、ヤンレイは満足げに笑う。


「ヤンレイ、行くのか」

「無論」


 九魄が問いかける。

 射干玉の黒髪。形のいい二重瞼に収まった狼の瞳。白磁の美貌を活かして生きてきたヤンレイとは違い、タイランは生きるのが下手だ。

 下手なら下手なりに、それなりの面を活かして男妾になればいいものを。タイランはそれをせずに、ひたすら弟に頼られようと、必死だった。


「哀れなものよな」


 その表情は、遠くの景色を見つていめるかのようだった。

 タイランには、誰かに認めてもらえるような才能がない。

 兄であるタイランの巫力までも吸い取って成長したのではないかと言われたほどだ。結局、ヤンレイはそんな馬鹿馬鹿しいことはあるわけないと一蹴したが。

 口元へ、煙管を運ぼうとした手は動かなかった。制止をするように手を掴んでいたのは、不機嫌そうな九魄である。


「先発隊はでたようだ」

「……兄として、最後は死ぬことができるのだ。感謝されてもいいだろう」

「ヤンレイ、守城なら言動に注意しろ。口がすぎるぞ」

「誰も聞いちゃいないさ」


 九魄の窘めに、ヤンレイは気だるげに返す。

 守城とは、元々は結界を司る一族に生まれた生贄を指す言葉だ。昔と違い、巫力の少ないものが山主を封じるたびに死んでいた過去は、もう重ねることはない。

 妖魔を操るものが、妖魔の生贄とは笑える。ヤンレイは守城になってからその話を聞かされた。

 まるで人身御供だなと鼻で笑えば、九魄は羽をたたんで、その通りだと言ったのだ。


「これも一つの親孝行よな」


 唇を緩めて、美しく微笑む。不出来な兄を悲しみながら死んだ両親の代わりに、ヤンレイが立派にならなくてはいけない。

 いつだって先に生まれたタイランよりも一番だったのだ。

 それは、これからも続いていかなければならない。可哀想な弟から、ただのヤンレイになるために。

 見下ろす城下の景色は、いずれヤンレイのものになる。己の唯一の肉親、尊い兄の命と引き換えに。


──── 妖魔を、持たないのに?


 タイランは、山主を探せというヤンレイの言葉を受けて、ひどく戸惑った顔をしていた。

 震えた声で返された言葉に。命を下したヤンレイは微笑みだけで応えた。まるで、巫力を持たないタイランだからできるのだとでもいうように。


 過去に何人もの守城を贄にして封じてきた、山主の眠る岩屋戸。嘉稜国に二度目の日亡時が訪れたことで、結界が緩んだのだと知った。

 山主は形を成さない化け物だと聞いている。タイランには巫力がないから、山主の器にするのにちょうどいい。

 タイランの体を奪い形をなした山主を仕留めれば、ヤンレイの名はもっと広がる。

 

 タイランは、己の身に妖魔を宿さないことを苦にして魏界山に迷い込んだ。誤って山主の封印を解いてしまい、体を奪われてしまった実兄を解放するために、ヤンレイは悲しみの最中に討つ。

 美しい話だ。ヤンレイの名前に箔もつく。まわりが勝手に作り上げたヤンレイの理想像が、黙っていても一人歩きするだろう。肩を震わせて、笑いを堪えた。

 もしタイランが山でのたれ死んでいたのなら、ヤンレイが山主を解いて使役をすればいい。計画がどちらに転んでも、実に好都合だ。


「オイタがすぎると、鬼が宿るぞ。ヤンレイ」

「おおこわい、そんなものがいるなら見てみたいものだ」


 九魄の言葉に、ヤンレイは鼻で笑うように反応を示した。立ち上がると、身に纏っていた夜着を床に落とす。素肌に深衣を身につけると、腰布をきつく結んだ。

 先程までの気だるげな雰囲気はなりを潜め、ヤンレイは長い黒髪を後ろに流すようにして手で避ける。支度を終えれば、時がきたらしい。九魄の瞳が、気配を追うように部屋の扉へと向けられた。


「ヤンレイ殿、そろそろご支度を」


 扉の外から、几帳面な声が飛んできた。将軍の部下が迎えに上がったのだろう。ヤンレイは入室の許可を出すと、その身に哀感を宿すように表情を変えた。


「今、向かいます。九魄」

「ああ」


 両開きの扉は、ヤンレイを迎えるように開かれた。

 まだ年若い守城の腕には、力の強い妖魔。民からの憧れを身に受けるヤンレイは、純粋無垢を表すように白い深衣を纏っている。

 守城の証である金刺繍の腰布に差す、扇の飾り紐を揺らしながら歩く美しいその姿に、迎えに来た青院の兵が吐息を漏らした。


 狼の瞳が、ほのかに輝く。嘉稜国守城、九魄ヤンレイ。己に欠点などあってはならないのだ。

 それが、たとえ肉親である兄であったとしても。




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