第7話 ヤンレイ

 愚鈍な兄を持つと苦労をする。ヤンレイはつくづくそう思っていた。

 嘉稜国守城として、主稜城しゅりょうじょうに召し上げられてから十一年。ただでさえ老獪ろうかい極まりない上がいるせいで、ヤンレイが守城の統べる朱院しゅいんの上に立つことはないに等しい。

  

『ヤンレイ。お前の実力は認めよう。しかし、その冷たさだけは人を傷つける。お前に思いやりがあれば、すぐに道師になれるだろうに』


 導師である、イェンの言葉がヤンレイの矜持に傷をつけた。

 道師とは、大王の玉座と共にある守城の最上位的存在だ。戦いの要である青院せいいんの将軍、朱院の導師は大王であるユイチイの横に侍るのを許された主稜城の要。

 ヤンレイは、導師になりたかった。それは、守城として召し上げられてから思い続けてきたことだった。

 幼くして両親と引き離されたヤンレイは、導師として大成することだけを夢見てここまできた。両親の葬式すら蔑ろにして努力をし続けたのは、己の出生が庶民だからに他ならない。

 庶民の出であるヤンレイにとって、朱院は決して居心地の良い場ではない。それでも、九魄に選ばれたヤンレイに心血を注いで育ててくれた両親を思えば、逃げたいなどというはずもなかった。


「タイランの様子は気にかけなくて良いのか」


 籐でできた椅子に腰掛けて、街並みを愛でる。煙管を燻らせて口遊びをするヤンレイに声をかけて来たのは九魄であった。


「あんなもの、兄などではないさ」

「血肉を分けたものは家族というのだろう。しがらみの多い人間の証だとお前が教えてくれたじゃないか」

「今日はよく喋るな」


 赤い長髪を後ろに流した美しい男の妖魔は、金色の切れ長の二重を細める。ヤンレイの目の前に降り立つなり足元へと跪いた九魄は、差し出された白い手のひらに頬を寄せるように擦り寄った。

 

「俺を雛のように扱うのはお前くらいだ」

「お前と俺は対等だが、俺を憐れみ寄り添うと言ったのはお前だ九魄」

「お前の野心に言った」


 金色の瞳が見据えるヤンレイの瞳は、今も深い色を宿している。主以外に口を利こうとはしない九魄は、この朱院でも異質の妖魔であった。


「生きていくには、金が必要だろう。九魄」


 ヤンレイがポツリと呟いた。

 狼の瞳が、緩やかに金色の瞳へと視線を送る。それを合図にとるかのように、九魄は籐の肘置きに手をついた。


「生きることは、野心をなすことか」

「俺にふさわしい椅子は、こんなものではない」

「知っている」


 体を起こした九魄の鼻先が、皮膚の薄いヤンレイの首筋へと滑る。太い血管を辿るように唇を寄せれば、赤い花が顎の下に咲いていた。


「魏界山には、金塊が眠っているそうだ」

「……山主の塒か」

「たとえそれが御伽話でも構わない。タイランが向かうことに意味がある」


 九魄の首に回ったヤンレイの腕に力が入る。声色は淡々としていて感情は読み取れない。この抱擁が、愛情からではないことは明白だった。華奢な腕の内側で、九魄もまたおとなしく話を聞いていた。

 ヤンレイは、歪んでいる。守城となった今、導師になれないことが己の罪とでもいうかのように固執している。

 家族の縁が薄い家だった。城に召し上げられて、関係をつなげているのはタイランだけ。両親を看取ったのもタイランだけ。ヤンレイもまた、タイランと同じように内側に孤独を潜ませていた。

 その孤独が野心に変わったのは、タイランから両親の死を告げられた時だ。


足枷タイランがなくなれば、俺に捨てるものなどもうない。」

「俺はお前から離れない」

「ああそうだ九魄。俺はお前に相応しい位置を用意してやれる。家族よりも、絆の深い場所を」


 ヤンレイの言葉に、九魄の目がゆっくりと伏せられた。思い返すのは、両親を一人看取ったタイランの言葉だった。

 

『最後まで、ヤンレイを気にかけていた。これから兄弟二人、支え合って生きていかなくては』

(タイラン、お前の優しさがヤンレイを苦しめている)


 守城として城に拘束されていたヤンレイに向けられた言葉は、親のそばにいなければ出ない言葉だ。

 タイランは最後まで親と共に、家族として過ごした。親の死にも向き合えなかったヤンレイへと、攻めることもせずに優しさを向けた。その言葉尻から受け取ったのは、守城になったヤンレイに対する憐れみだ。

 両親の望むままに城へ召し上げられた。それからずっとタイランを妬んでいた。朱院に入ってからは、一度も親の愛情を向けられたことはない。

 広い城の中で、ただひたすらに守ることだけを叩き込まれる。小さな手のひらを傷つけ、声を枯らし、泣くことは許されぬまま従うことだけを強いられる。守城とは守備そのものだ。守るものは前線にたち命を危険に晒すのだ。

 死ぬこともある役職に、家族の縁は不要なものだ。そう教え込まれてきたヤンレイにとって、タイランは邪魔でしかなかった。ここまで培ってきた心を揺らす、不必要な存在。


 そんな環境に身をやつしてきたからこそ、死んだ両親が望むままに、ヤンレイは導師になるつもりだった。それが、死に際に立たなかったヤンレイのできる唯一の弔いになると信じて疑わなかった。

 イェンの言う、思いやりなんて理解できるはずもない。こんなところに押し込んでおいて、よくそんなことが言えたものだと笑いさえ込み上げてくる。


「俺があいつの巫力まで奪ったから、お前がきたそうだ」

「俺はそんなに浅はかな妖魔ではない」

「ああわかっている。いつまでも愚かを言わせるつもりなどないさ。だから俺は、タイランを使う」

「この痣も、準備の一つか」


 ヤンレイから体を離した九魄が、顎の下に咲いた赤い花へと触れる。無骨な手のひらが容易く回ってしまいそうなほど細い首。妖魔である九魄から見ても、ヤンレイは妖じみた美貌を備えている。


将軍イムジンは俺のものだ九魄。王を堕とすのなら駒は揃えておかないと」


 九魄の親指が、痣を隠すように触れた。

 金色の瞳に映るヤンレイは、ただ静かに笑みを浮かべるだけであった。

 朱院とは、導師イェンが統べる大王の花籠。将軍イムジンが座す青院の連中からは、そんな嫌味を言われていることも知っていた。

 それを聞いた時、ヤンレイは思わず鼻で笑ってしまった。青院のものどもが馬鹿にする守城の一人が、お前たちの将軍と寝ていると知ったらどんな顔をするかと思ったのだ。


「九魄」


 ヤンレイの手のひらが、九魄の頬に触れた。


「お前は決して裏切るなよ」


 冷たい声だった。九魄は冷えたヤンレイの手を取ると、指先に唇を寄せるようにして応える。


(ああ、面倒臭いものだ)


 互いの孤独を癒せぬままに拗れた兄弟の確執に、寡黙な妖魔は静かに目を細めるだけだ。

 白い指先に絡めるようにして互いの手を重ねた。目を向けたヤンレイの薄い胸元には、昨晩の将軍との情事の跡が見える。

 九魄はヤンレイの首筋に顔を埋めると、赤い花を隠すように唇を寄せた。

 痕跡を残すような愚かはしない。将軍であるイムジンが触れた場所をなぞるかのような触れ合いだけだ。

 

「タイラン……は、どんな死に方をするかな」

「さあな」

「ぁは、……見たいなあ……」


 無邪気な声色に、九魄は吐息を漏らす。


「気になるなら、お前も向かえばいい」

「……俺が、か?」

「その目で確かめればいい。お前に導師としての資質があるのかを」


 金色の九魄の瞳に、けだるげなヤンレイの顔が映る。

 薄い唇がゆっくりと持ち上がると、花が綻ぶように美しく微笑んだ。


「人を出そう。あいつが約束を違えていないか見なければ。俺はイムジンと共に、タイランを獲りに行く」


 導師になるための王への手土産は、派手な方ないいだろう。ヤンレイの頭の中で組み立てられた一つの策は、九魄によって導き出されたものである。

 ヤンレイの言葉に、九魄は緩く口元を釣り上げた。無表情とさして変化のない表情ではあったが、九魄は確かに笑ったのだ。


 扉の向こうから近づく足音に気がつくと、その背から美しい羽を現した。紅く染まった大きな翼で体を隠すように包み込むと、九魄はあっという間に鳳凰にも似た姿へと転じた。


「ヤンレイ守城。青院のイムジン将軍がお呼びです」

「今向かいます」


 九魄の前で見せていた気だるげな様子はなりを潜め、ヤンレイは凛とした佇まいで立ち上がった。乱れた着衣を整えると、右腕を止まり木のように持ち上げる。

 ヤンレイの深衣の袖から見えたのは、縛られたような痕であった。導師への野心は、己の身を天秤にかけても痛くないほどに膨らんでいる。

 狼の瞳が怪しく光る。長い睫毛を蝶のように震わせながら、ヤンレイは前を見据えて宣った。


「お前の言うとおり、見届けてみようじゃないか」


 九魄にしか聞こえない声色であった。

 凛とした雰囲気を纏ったヤンレイに、侍従は頭を下げるように出迎えた。背後には、道を阻むかのように青院の大将軍であるイムジンが仁王立ちをしていた。

 ヤンレイにとっての肉の盾。イムジンを身のうちに取り込んだのも、この城の中で生き抜くためだ。

 長い深衣の裾を引き摺るように、歩み寄る。まるで侍従に見せつけるかのように体を並べると、ヤンレイは無骨な手に指を絡めるようにして寄り添った。

 


 

 

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