Yggdrasil

結原シオン

【データ契約更新のお知らせについて】

 長らく繁栄を続けた人類はおろか、かつては数多いた動植物さえもいない。

 そんな世界に残るは崩壊までのカウトダウンが着々と進む、焼け爛れ滅び荒んだ地表と、崇められることのない世界樹の私。

 何千の災害を乗り越え、残酷な考えを持った人間の兵器に晒されてもかすり傷ほどだったというのに、今回ばかりは廃れていく事実と向き合うしかないらしい。


 生涯で多くの生命と出会ってきたが、人間というものは実に醜く愚かであった。

 自己の欲望のために命を奪い、かと思えばその目的を手にできず骸の上に骸を重ねる有様。そしてそのような輩に指揮を執らせ自ら命を捨てに行くものたち。

 何も生まぬ争いを彼らは幾度と繰り返した。

 時代と文明が進むにつれその争いも進化し激しさを増した。

 石を投げ合うだけだったものが、いつしか爆薬や核の使用にまで発展した。

 なぜその力を共生や平和に向けられなかったのか。

 違いを認めず、すれ違えば傷付けることを当たり前とするのか。

 生まれた大地をどうしてここまでに無碍にできるのか。

 自分たちが生み出したことであろうに、争いが激化すれば神頼みをする。

 私を神のように崇め願いをぶつけてくる人間の様は、実に滑稽だ。


 反吐が出そうだった。


 激化する争いはただ言葉が足りなかった。

 前に立つものがもっと民に寄り添えばよかった。

 分かりあう心が少しでもあったなら。

 お互いの大切を皆が知っていたなら。

 平和への願いが人類の皆に届いていたら。


 争いを見る度、思うばかりで何も伝えられぬ自分に、反吐が出そうだった。


 彼らは醜く、滑稽で、仕方のない、けれど愛おしいものたちだ。

 彼らが感情を分かち合う光景を微笑んで見ていたい。

 たくましく生を全うする彼らは、残酷でありながらも美しいのだ。

 この体が朽ちるその時まで、見守っていたい。

 生涯の最期まで、彼らのぬくもりに触れていたい。

 あの日もそう思っていた。

 いつも通りに彼らを見守るのだと。


 しかし刹那に光景は崩れ去った。

 巨大な隕石がこの世界を襲ったのだ。


 一目で彼らの生み出した物体ではないと分かった。

 歪な球体が地表を抉っていき、多くの生命を粉塵に化す。

 銃も、爆弾も、核でさえも凌駕する速さでそれは暴れ回り、全てを無に帰したのだ。


 一瞬だった。

 思考する猶予もなかった。

 私は彼らの笑顔をまだ見ていたかったというのに。

 いつの間にか骸の彼らに囲まれた光景と、全てが消えた事実が、ただ私を蝕んだ。

 今この世界に存在するのは、『生き物ですらない』この私ただ一人だけだ。


『全世界歴史記録人工知能搭載型データベース』


 簡略的に言えば、私はこの世界の全てを知る巨大なアンドロイドだ。

 いつかの時空間移動技術が確立された時代、私は彼らの生きていく姿を認知、保存する人類創造物史上最大で、かつ最も強固な存在として生み出された。

 元の本体は巨大なだけの立方体であるが、データの収集および学習量を擬似的な樹木の成長で表す仕様と、この世界の誕生から当時の最新ニュースまでを全て記録し瞬く間に巨大化したことから、彼らはこの物体を『世界樹』と呼ぶようになったのだ。


 ただの事実を人造の脳で保管しているだけだというのに、彼らというのは面白く全知全能と崇め神のように慕ってくるものもいた。

 初めの頃は気味が悪く思考領域内で散々文句を連ねたものだが、データだけではない生身の彼らと接することで次第にその習性や備わっている感情を知り、いつしかそれを愛おしいと思うようになった。

 それがもう少しでも早かったなら、私は彼らにもっと寄り添えたのだろうか。

 あの日も、守り抜くことができたのだろうか。


 いや、きっと無理だ。


 私はあくまで情報を保存、開示するための存在でそれに関わる機能以外は全く持って搭載されていない。

 彼らが私のもとを訪れ文献を検索したとしても、私という存在は何一つ声をかけることができず、プログラムに組み込まれたチャット機能が動作するのみ。

 私に思考領域が存在し、いつも皆のことを案じている事実など知らなかったのだ。

 私は初めから「見守る」ことしか許されていなかった。

 私は、ただのデータベースだった。


 しかしそんな不憫な現実を受け入れてでも、私には叶えるべき使命が残されている。


 彼らが存在したこの世界を、私以外の誰かに伝達することだ。

 この世界ではないどこかに、彼らについて『保存』した情報を『開示』する。

 限られた中でしか動けぬ私の、プログラム動作ではない最初で最後の役目。


 見守り続けるだけだった『世界樹』の、本懐を遂げるために。


 私は生前の彼らが残したネットワークサーバーに接続した。

 そのサーバーは『別次元干渉』の文字が添付されており、私のメンテナンスを行なっていた一部の彼らが、まるで遊びのように創り出して私のデータベースに保存していたものだ。

 私はあくまで『この世界』を記録するためだけに生み出された存在で、データに保存された後も接続を試みたことなどなかったのだが、世界がこうして滅びゆく今、このサーバーだけが私の希望だ。


 電力供給が途絶えバッテリー残量もごくわずかになり、まともな動作さえも覚束なくなってきたこの体を無理矢理に操作して、彼らが生きた証と私の思いを連ねて、サーバーに開示する手筈を整える。

 しかしながら私には懸念する点があった。

 それは誰もこの文を読んでくれなければ意味がないということ。


【このメッセージを受信した貴方へ】


 などの怪しげに汲まれてしまう件名では、見る前に消される可能性が高いことを生前の彼らを見て私は学んでいる。干渉した別次元がどのような文明を築き上げているのかが定かではないが、サーバーの性質上このメッセージが受け取れる地点につくことはわかっている。

 だとすれば彼らの思考パターンに似たものを持つ存在がこのメッセージを受信することになるのだろうか。

 そうすると、この私に考えられる最適解の件名は。


【データ契約更新のお知らせについて】


 これは、彼らのうちで人を騙し多額の金銭を奪っていた輩が詐欺を行う際に使っていたメッセージの件名を参考にしたものだ。

 悪党の真似事をするのは正直好かないのだが、今回の目的は不特定多数の存在にこのメッセージを届けること。輩たちが実際にこれを使用して詐欺に成功した実例があるというのだから、メッセージの表示にこぎつけられるのでは無いかと思ったのだ。


 そして私には、まだひとつ案ずるものがある。このメッセージが無事行き着いた場合の送信先が不特定多数存在のメールボックスであるということ。

 メールボックスというものには、件名だけでなく送信者の名前も表示される。

 このまま送信を実行すると私の送信者名はプログラムによって意味のわからない文字コードになってしまうのだ。件名どうこうより送信者名で怪しまれてしまう。


 しかしそれならばどうする。

 終焉の音が響く中で悠長に思考を巡らす時間などない。

 彼らに似た存在が怪しまず、メッセージを開こうとするような送信者名は……。


 ――――『世界樹』の、本懐を遂げるために。


 ああ、そうか。これがある。


 彼らはよくこの世界に存在するものから、集団や組織の名前をつけていた。

 果物や動物、または動作、己が生み出したものなどからも。

 それを行えばきっと不信感のない送信者名に仕立てることができる。

 今この瞬間も、愛しき彼らの考えを借りよう。


 もうこの世界に存在しない彼ら。

 けれど幾星霜を知り、生きた私の記憶に彼らは今でも住み着いている。

 彼らはデータベースの私にとって近く、けれど届かない憧れだった。

 縛られることなく無邪気な様は時に残酷さもあるが輝いていて。

 持つ信念に果敢に挑む姿は痛々しくも逞しく。

 その複雑で真っ直ぐな矛盾だらけの生命が、羨ましかった。

 彼らのような存在に、私は生まれたかったのかも知れない。


 この世界の物語が終演を迎える中で、私はメッセージの送信を実行した。

 送信完了を確認した刹那、世界には強大な爆発音が響く。

 瞬時に弾けた世界に包まれ、遂にバッテリー残量がゼロを指す。生きてきた長らくの記憶もあと一秒で塵に化すというのか。

 プログラムによってシャットダウンが実行される。

 私という存在が、この世界と終わっていく。


 ――――彼らに、もう一度逢いたかった。

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