千枚通しの呉小五郎

九戸政景

本文

「お前なあ!」

「なんだよ!」



 とある会社の一角、そこで二人の男性社員が言い争いをしていた。ちょっとした一言から始まった言い争いは激化し、今にもお互いに掴みかかりそうな程に剣呑な雰囲気になっていた。


 そして二人がお互いに睨み合い、どちらともなく次の言葉を口にしようとしたその時だった。



「あれー? 二人ともどうしたの? そんな怖い顔して」



 そこに中年の男性社員が姿を見せた。小太りな体型に柔和な雰囲気の顔つき、そして丸レンズのメガネに少し薄くなった頭部、とその容姿は穏やかそうなものだった。



「人事部のくれさん……」

「別に呉さんには関係ないじゃないですか」

「うんうん、そうだね。なんだか雰囲気が怖いから話しかけただけだしね。でも、さ」



 呉は笑みを浮かべた。しかし、その目の奥には冷たい光が宿っており、突き刺すようなその視線に二人の男性社員は震え上がった。



「このままだと確実に業務に差し障りが出るし、最悪傷害事件か何かになって君達だけの問題じゃなくなる。だから、関係ない人間を挟んででも今の内に解決した方が良いでしょ。ねえ?」

「は、はい……」

「す、すみません……」

「謝る必要なんてないよ。それで、何が原因でこんな事になったのかな?」

「それは……」



 二人の男性社員は喧嘩の理由を話し始めた。呉はその話を相づちを打ちながら聞き、話が終わると同時に二人の方に手を置いた。



「だいたいわかったよ。たしかにそれは喧嘩にも繋がる。でも、そうなると喧嘩をしてみてよかったと思うよ」

「え?」

「少し行きすぎた事にはなりかけたけど、お互いに怒りをぶつけてスッキリはしたでしょ? たまにはそういうのも必要なんだよ、人間関係ってのはさ」

「お互いに怒りをぶつける事が……ですか?」

「そう。怒りっていうのは相手の事を考えてるから沸いてくるもので、それをぶつけるというのは気持ちを伝える手段の一つなんだ。たまに怒られたり叱られたりするの嫌だって子もいるけど、それを乗り越えるとその子はまた一つ成長出来る。人生っていうのはそういうもんだよ」

「呉さん……」



 二人が呉を見つめる中、呉は笑みを浮かべてから二人に背を向けた。



「あとはしっかりと二人で話し合うだけ。これが終わったらゆっくり飲みにでも行ってきなよ。それじゃあね」



 呉が歩き去っていくと、その姿を二人の男性社員はボーッと見つめた。



「スゴいな、呉さんは」

「千枚通しの呉小五郎、だったっけな。普段は会社の人間関係の潤滑剤として穏やかに働くけれど、時には鋭い言葉を投げ掛けてくる。そんなところからつけられたのが千枚通しの呉小五郎」

「呉さんに助けられたよな、俺達」

「だな。さて、呉さんにも言われたし、しっかりと話し合おうぜ。今度は喧嘩にならないようにさ」

「だな」



 二人は笑い合うと、楽しそうに話をしながらその場を歩き去っていった。

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千枚通しの呉小五郎 九戸政景 @2012712

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