第54話 キナン公領(2)

 夜半にクルルが抜け出したのは気づいていた。

 野営なのだからテントでも張って、といいたいがテントの用意は護衛と商人、彼の使用人の分しかない。僕らは便乗している荷車の中で思い思いの場所で毛布にくるまって寝ていた。まあ、封蝋をうっかり壊さないよう、箱の向きをかえたり位置に気をつけたりしていたが。スルト執事だけは商人の天幕に招待されているあたり、扱いがやはり荷物なんだろう。

 それでも疲れもあってみんな寝息を大きくたてながら眠ってしまっていたし、僕も眠りがたまたま浅くなければ彼女がそっと出ていくのに気づきはしなかっただろう。

 ただ、用足しなのだろうと思ってその時は気にしなかった。

 ところが、なかなか戻ってこない。

 何かあったのだろうか。僕もそっと荷車を抜け出し、共同の仮説便所になっている大きな焚火の側のとんがった天幕のところに行った。

 この中に穴を掘って板をわたしただけの簡易トイレがある。

 商人傭兵が一人、火の番をしているので、クルルが用足し中に襲われる心配は少ない。彼に誰か使っているか聞いたが、傭兵ははっきり首をふった。

 クルルはどこに行ったのか。

 見張りの傭兵は不寝番の交代以来彼女を見ていないそうだ。

 やばい。何か良くないことが起こっている気がする。

 その日のクルルの様子に何か変わったことがなかったか。

 特にない、と思ったが、すぐ近くで野営している警邏隊に出会ったときの様子が少しおかしかった。

 その警邏隊は少し先の廃墟に駐屯している兵団のもので、人数は二十人ほど。結構多い。そしてあたりまえのように商人たちにたかってきた。交渉が終わったあと、世話になってる商人に少しみかじめ料の追加負担を求められた、と食事の時にスルト執事が苦笑していた。

 どうやら、普通の警邏隊ではなく元々が賊徒かなにかでかなり強行であったようだ。バックについている貴族や大商人を引き合いに出しても頑として引かず、これまでよりも多くを引き渡すことになったらしい。

「足りなければものでもいいと、酒をまきあげられた人もおるそうだ」

 彼らの交渉の仕方は僕の育ったところでいえば反社と呼ばれる人たちっぽいやりかただった。

 商人たちはこれまでの相場相当で落とそうとするし、いったんは相手のリーダーは承服するが、外で部下たちがあれがたりない、これがほしいと不満の声をあげて、リーダーがこれは抑えきれないと、追加を懇願するというやりかた。

 とにかく低姿勢で、しつけはきちんとやるが、今夜のところは、と地に頭すりつけんばかり。それでまあ、酒だの食べ物だの、追加の金など巻き上げられたということだ。

「商人殿は兵団の司令官に文句を言うといきまいておられるが、あの連中は気にするまいよ。いざとなったらみんなで逃げればいいと考えているんじゃないだろうか」

 厄介な相手のようだ。

 その連中を見た時のクルルが一瞬だがおかしかった。

 じっと何かを見つめていた。直後、ダルドに何か聞かれていつもの様子に戻ったので気にしていなかったのだが。

 クルルが何を見て、何をしようとしたにしても、賊徒くずれ相手は危険すぎる。

 あてなどないが、彼らの野営地に向けて僕は歩き始めた。

 彼らの野営地では何か集まってもりあがっているようだ。

 おかげでろくに警戒もしていない。

 人垣の後ろから何が起こっているのか見るのは簡単だった。

 あちこち腫らしてひどいありさまのクルルと、彼らの一人らしい軽薄そうな男が素手で戦っている。

 おどろいたことに、この男は「●●●」ではなかった。そして、ちゃらちゃらクルルを挑発したり、仲間に強さのアピールをしたりしているのに、徒手格闘の技術だけで彼女を圧倒していた。

 クルルの攻撃があたれば、この男は一発でのびてしまうだろう。それがあたらない。よけられ、流され、反撃をいれられている。クルルがまだ立っているのはシイナの指導があったおかげだ。

 見てると、気づかれないようにしてるが男の防御はワンパターンだ。だいぶなめられているな。しかしクルルも頭に血がのぼっているのか、それに気づかずギャラリーの推定賊徒崩れの兵たちに笑われている。

 キンシの港で暴言吐かれた時と違って、僕は変に冷静だった。力任せに制圧できる連中ではない。連中がこの遊びにあきたらクルルに何がおきるか考えたくもない。なんとかなにか打開の道をさがさないといけない。冷静だが、心は焦燥にあった。

 おちょくってる男はリーダーではない。

 よく見ると一段高いところに、金色の矛を馬印のように立てて一人の豪傑としか思えない男が床几に座っていた。かれも「●●●」だ。はみだしているアストラル体は見たところそれほど大きくはないが、一つ普通と違うところがあった。

 色が濃いのだ。これはもっと大きいものを圧縮でもしているのか、量はそれくらいでも質的な意味で何かが違うのかわからないが、直感はあった。

 この男、恐ろしく強い。シイナには及ばないが、僕は足元にも及ぶまい。

 クルルを笑ってる中に、ほかに「●●●」は一人しかいないが、彼のアストラル体はクルルと同程度の大きさ、色だ。

 やばいな。分が悪すぎる

 打てそうな手はどれもこれも一か八かで分が悪いと思った。

 だが、事態の推移は容赦がなかった。

「誰だおめぇ」

 ギャラリーに見慣れないよそ者がまじってることがばれてしまったのだ。

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