第10話 未経験
「経験……無いんだ……そういうの……したことない……」
赤裸々に教えてくれる式乃。
――そういうことをした経験が無い。
抽象的な表現ではあるものの、それがどんな意味を持っているのか、俺はすぐに理解した。
意外だ。
驚きを隠せない。
俺は思わず「え?」と頓狂な声を漏らし、式乃のことを見つめる。
式乃は恥ずかしそうにうつむいていたところから視線を上げ、見つめ返してくれた。
その瞳は、色々な感情がない交ぜになって揺れている。
繊細で、雑に触れると割れてしまいそうなガラス細工みたいだ。
でも、それはすごく綺麗だと思った。
綺麗だからこそ、丁寧に扱わないと。
俺は静かに頷き、式乃と目を合わせるのをやめてから、そっと切り出す。
「……そう……だったんだな。……何だ? 付き合ってる時から気に入らないところがあったのか? 杉崎君に対して」
「……違う。気に入るとか、気に入らないとかじゃない。私はお兄ちゃんのことが好きだったから。だからあの人とそういうことまではしなかった」
「……」
じゃあ、何で杉崎と付き合ったのか。
そう問いたいところだけど、その理由はもう聞いていた。
式乃は、俺との恋愛関係を築くなんてこと、できるはずがないと思い込んでいたんだ。
……でも、だとすれば。
「だったら、何で杉崎君は式乃のことを『重い女』って言って振ったんだろう? 恋人らしいことをあまりしてないのに、『重い』ってのは少し……いや、かなり違うと思うんだけど……?」
「うん。意味わかんない。私も全然重くしたつもりないのに」
「むしろ軽いって表現の方が正しい。……てか、そんなのでよく恋人関係を維持できてたな、とは思うが……」
「だって、彼の方もそれでいいって言ってたから」
「……え? そ、そうなの……?」
式乃は頷きながら続けてくれる。
「重い恋愛はしない、なんて口にはあの人も出さなかったけど、そういう雰囲気っていうか……私もそれを察して空気を読んでたの」
「……マジか……」
「うん……マジだよ……。でも、私としては都合が良かった。心の奥底にはずっとお兄ちゃんがいたし……忘れられなかったから……」
「け、けど式乃、杉崎君に振られて部屋に閉じこもってたよな? あれは……?」
「あれは簡単。あんな人相手に振られる私が果たしてお兄ちゃんと今後恋愛関係になれた時、やっていけるか不安になったことと、想いが溢れて止まらなくて、お兄ちゃんと付き合うしかないと思ったから、アプローチ掛けるための作戦を考えてただけ」
「え、えぇぇっ!?」
ものすごい暴露だった。
あの時、俺割と一生懸命に式乃のこと元気付けようとしてたのに。本人はそこまで傷付いてなかったみたいだ。嘘だろ。
「じゃ、じゃああの時、式乃は別にそこまで傷付いてたわけじゃなかったのか……?」
「そんなことない。お兄ちゃんに恋人がいて、寝取られも経験したって聞いて一気に落ち込んだ」
「それは俺のセリフを受けて、だろ? それより前の話だよ。俺が慰めようとするより前。その時は傷付いてなかったのか?」
「だから、そんなことないよ。あんな人に振られて、お兄ちゃんとこれから付き合えるのかすごく不安になって傷付いてた。割と本気で」
「ひっでぇ話……杉崎君がこれ聞いてたら涙目だろ……。完全に魔性の女じゃん、俺の妹……」
「んへへ……そうかな……? 好き……お兄ちゃん……♡」
「一つも褒めてないから嬉しそうにしないでね? あと、唐突に告白して誤魔化そうとするのもやめなさい」
注意すると、式乃はもっと嬉しそうに頬を緩めだす。
呼吸が荒くなって、その瞳も光が消え失せている。最近見るようになった、ヤバい時の式乃だ。
「はぁ……はぁ……お兄ちゃんに怒られるのレア……♡ しゅき……もっとちょうだいぃぃ……♡」
俺の体に横から絡みついてきて、顔を近付けてくる式乃さん。
吐息が首筋にかかり、ゾクッとしてしまう。
いつの間にこんなマゾ属性まで獲得してしまったのだろう。昔は本当に素っ気なくて、俺が色々よくしてやっても反応薄かったのに。
「寝取られた女についても教えてね……? お兄ちゃんにはもう私がいるから関係ないだろうけど、不安要素は不安要素だし。……何なら消しとかなきゃいけないかもだし……」
「今なんて言いました? 消す? 俺の空耳? 式乃さん?」
「うん。空耳。好き……好き……大好きぃ……おにいちゃぁん……♡」
「ちょっ、あっ、や、やめっ、式乃……! ほんとそれ以上は……! きゃぁぁぁ!」
「っ~……♡♡♡ 可愛い悲鳴可愛い悲鳴可愛い悲鳴可愛い悲鳴可愛い悲鳴可愛い悲鳴可愛い悲鳴ぃぃ……♡♡♡ おにいちゃぁん……♡♡♡」
その後、俺たちが店員さんから注意を受けたのは言うまでもない。
そりゃそうだ。
監視カメラで見たら、たぶん女の子(式乃)が男の子(俺)を襲おうとしているようにしか見えなかっただろうから。
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