人形はなぜ落とされる

有明 十

人形の落下

 ビルの屋上で、一瞬きらりと、何かが星のように光った気がした。月光を反射する直方体の側面を人の形をした何かが落ちていく。幻覚だろうか? いや、幻覚にしてははっきりしていた。通報した方がいいかもしれない。しかし、疲れによる見間違いの可能性も……。取り敢えずスマホをポケットから出す。十九時二十一分。メッセージが届いていた。


 ──ごめんなさい、佐藤くん。これ以上あなたとは付き合えない。


 恋人からの別れの言葉。別に恋愛が人生の全てとは思わないが、デートをすっぽかされて、俺は意気消沈していた。


 駅前で茫然としていると、向かいから駆けてきた少女の肩が、肘に衝突した。手から滑り落ちていくスマホが、落下する人影と網膜で重なる。ぶつかったセーラー服の少女は酷く息を切らしており、真っ青な顔で「ごめんなさい」と一言。少女がスマホを拾おうと屈んだとき、透き通るようなうなじが俺だけに晒される。襟足周りに生えたやわらかそうな産毛。そこから肩甲骨に向かって、絹のような滑らかな皮膚が張られている。少女は苦しそうな顔を上げ、俺の手にスマホを握らせた。何か言葉をかける前に、彼女はふらふらとした足取りで駅に入っていく。


 見覚えのある制服だったな、と気持ちの悪いことを考えながら、俺はビルに向かった。



 服飾系の会社のビルらしい。人手不足の象徴、「従業員募集中」と書かれた垂れ幕が、屋上からビルの半分まで垂れている。ショーウインドウにつばの広い帽子を被ったマネキン人形が二体、無駄に広い間隔で並んでいた。これからハワイにでも行くのだろうか。ヤシの木がデザインされたキャリーケースを携えている。


「マネキンの癖に高い服を着やがって」


 ショーウィンドウの真横、自動ドアを塞ぐように白色の小型車が停まっていた。どうも様子がおかしい。車の屋根が妙に凸凹しているのだ。


 屋根の上に何か乗っている。近づくと嫌な臭いが鼻を刺激した。


「うげえ」


 マネキン人形と女性の死体が重なっていた。人形が上で女性が下だ。女性は二十代くらいだろうか? 死体は白いワンピースを身に着けていた。肉付きのよい生足が投げ出されており、太腿が露わになっている。垂れた髪の隙間を覗こうとして、紫に変色した首筋が見えた。


「ひえっ」

 

 変な声が出た。死体のぎょろりとした目が俺の目を覗き込んでいる。

 

 もういい、通報しよう。

 

 警察を呼んだところで思い出した。妹が言うには、推理小説では大抵、第一発見者が疑われるらしい。

 

 一一〇を押して気づく──つまり、俺のことじゃないか。 

 

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