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「それじゃあなー」


「ああ……二度と来んなよ~」


「はっ……いつでも来てやるよ、ツンデレさん」


「なっ、俺はッ――」




 キィ……バタンッ。




 扉が閉まり、俺は玄関前にへたり込んだ。外から虫の声と、このマンションの住民が出入れする音が聞こえる。階段を降りる音は――あぁ、虹輝か。


時刻は二十三時過ぎ。あれからまた絵を描いては批評、また描いてはやんややんやと、それはまあ騒がしく、とにかく絵を描き続けた。流石に、日付けが変わっても居る気はなかったらしく、割とすんなり帰ってくれたことが救いである。……あいつと居ると疲れるんだよなぁ。




 ……でも。




 あいつの絵に対する熱意は本物だ。それに感化されて、自分にもフルスロットルで走れるエンジンがついたかのような爽快感を持ちながら絵を描けた。ここまでペンが走ったのはきっと海歌ウミカの――ダメだ。描いていたであろうことを知っていても、どう描いていたのか、何を持って描いていたのか、まるで思い出せない。それだけが後悔として残る。


でもその代償を払ったお陰で俺は――




 スマホがリズミカルな着信音とともに震える。ポケットの中からスマホを取り出し、画面を見ると、であった。……なにか用事か何かだろうか?




 画面をスライドし、耳に当てる。あ、出たー!!と夜にしては騒がしいような、今の俺の状態からではありがたいような、明るい声が電話越しに聞こえてくる。




『もしもしー?今、大丈夫?』


「大丈夫だけど……どうした?」




 ――この時間なら……明日が土曜日だから出かけよう、とか?……う~ん、ありえる、かも?

 

しかし彼女は少し溜めるようにして、予想していた斜め上の回答が返ってきた。




「明日、バッティングセンター行かない!?」


「……は?」












         ***












「さ、バッチこーーいっ!!」


「逆、それ守備側が言うやつ」




 五月八日、土曜日の昼前。


俺たちは大学近くに存在するバッティングセンターに来ていた。むかし、地元の切絵町にはバッティングセンターが無く、俺は野球こそ知っているものの、バッティング経験はからっきしであった。そんな中、大学近くにバッティングセンターがあるという情報を仕入れ、以前虹輝と来たことがあるのだが……




 ズバン、ズバンッ!、ズッバァァン!!




「あれ、青人くんってもしかして……運動音痴?」


「運動音痴でッ……悪かったなッ……フンッ!」




 ズバンッ!




 ……このザマである。虹輝と来た時も散々バカにされた。ある意味、因縁の場所である。


 反円球のドームに七レーンほどのスペースがあり、施設自体もやけに綺麗だ。非常に利用しやすい場所となっており、同じ学部、学科の生徒たちもチラホラ見かける。カラオケに次いで二番目の人気スポットである。


横のレーンで右打席に悠然と立ち、バットの先をマシンに向ける海夏の姿は、さながら名ヒットメーカーを彷彿とさせるものがあった。……身長、俺よりも小さいはずなのに、すげぇデカく見えるなぁ……。


俺は一ゲーム分を消費したので、レーンから退却。そして海夏の立っているレーンをアクリル扉越しに見る。




「それじゃ……見ててよっ」




 球速は……『120km/h』!?おいおい……一介の女子大生が挑戦して良いレベルじゃねえぞおい!


マシンが起動し、アームと映像擬似ピッチャーも連動して起動する。右投げ、左手にはめたグローブをこちらに向け、腰を内旋、右腕が遅れて外旋……踏み出された左足をブレーキとして、その反動を利用し……投球ッ!!


射出された球は海夏の懐に真っ直ぐ進んでくる。それを待っていたかの如く、海夏はボールの軌道へとバットをレベルスイング――カキーンッ!!




「うおっ!?ヒット性の鋭い打球……!!クリーンヒット……!!!」


「まだまだぁ!!」




 バスンッ、カキーン!


 バスンッ!、カキーーン!!


 バスンッ!!、カッキーン!!!


 ……バスン、ホームラーン!!!!




 ……ホームランまで出しちゃったよ、この子。




 海夏が周りのバッティングセンター通や男子大学生の目を釘付けにする中、俺はそうそうにバットをボールに当てることを諦め、後方監督ヅラをしながら、腕を組んで、ウンウン!!と首を縦に振っているだけである。


 最後の一球を無事仕留め、周りから軽い拍手が起こる中……真っ直ぐこちらに歩み寄り、海夏は汗ばんだ右手をこちらに差し出し――




「ほら、打つよ」


「あっ……ハイ……」




 彼氏って、俺、だよな……?


茶髪のセミロングがいい具合に揺れ、それを左手で耳後ろに掛け、前髪をまた左手で掻き上げる仕草はさながら真夏のイケメン彼氏である。……ヤバい、そっちの方で惚れそう。


俺は『80km/h』を選択し、打席に立つ。後ろでは汗を拭きながらこちらを見つめるコー……海夏コーチがおり、一連の動作を見ていた数人の別客からはエールが届く。




「兄ちゃんいけ~」「良いとこみせろー!」「振り抜け~!!」




 ……やりずらい。


 一球目、空振り。二球目……空振り。なにが海夏と違うのだろうか。考える暇もなく、三球目が準備される。


これは……空振り三振、か。そう思っていた矢先――覇気のある声が、鼓膜と男魂に火をつける。




「タイミングが大事だー!そして目を逸らすなぁ!!よく見ろぉ!!!」




 自然と、今まで力が入ってガチガチになっていた首、肩、腰、腕、手の力が抜ける。ぐるぐると駆け回っていた邪推が無くなり、頭がスーッとする。


――タイミング、そして、よく見る。


 擬似ピッチャーが仮想の指先でボールを射出する。――ど真ん中、今だッ!!!




 カキーン。




「お……おおおぉぉ!?!?」


「よっしゃ、あれならヒットだよー!」


「や、やったぜぇ……?」




 海夏ほど鋭い打球でもなく、正確なミートとは言えない当たり。でも――きちんとバットの芯でボールを捉えた感触を、手のひらにじんわりと、感じられた。


それ以降は、先ほどの集中はどこへやら。という状態であり、最後の一球でさえ、擦りもしなかった。




 ……ブンッ!ズバァァン!!――バッター、アウトッ!!












         ***












「今日は急に誘って、ごめんね!送ってくれてありがと。それじゃまたね~」


「うっす、ありがとうございましたっ、監督!」


「次それで呼んだら張っ倒すからね!?……それじゃ」



 

 キイィ……パタン。




 海夏を家まで送り、異例のバッティングセンターデート?は無事終了した。時刻は十五時二十分。


終始、圧倒的なバッティングセンスで会場を支配していた海夏に対し、からっきしの三振王ぶりを見せた俺は、もはや彼女のイケメンっぷりに惚れていた。……いや、すでに惚れてはいるんだ。何を言っているんだ、俺は……?


 帰路に着く。こうして早く解散したのは、この後夜勤というお邪魔虫が居るからである。人生は世知辛い。


とぼとぼと、後に筋肉痛になるであろう上腕二頭筋と腰と大腿筋を労わりながら、長くて短い坂道を登っていく。途中、まだバッティングセンター気分が抜けていないのか、俺はエアーバットでブンブン空気を打ち抜く。



 

……タイミング。そして、よく見る、か。




 あの海夏の言葉を反芻しながら、見えぬボールに向かって、立ち止まって……振り抜くッ!!――ッ!!




「いだだだぁ~!!」




 ……腰に電流、走る――。


また今度、バッティングセンター行こう。












         ***












「ありがとうございました~」




 接客を終えてレジからバックヤードへと戻る。モニターの置かれた机には、灰皿として使っている、水を入れた容器も置かれている。中には三本の吸い殻。椅子に腰掛ける。そしてジッポライターで煙草に火をつけ、蛍光灯に照らされた紫煙がふらふらと漂う。



 バックヤードの扉が開き、もう一人の夜勤バイターが入ってくる。きっと、トイレにでも行っていたのだろう。




「さ、今日も頑張りますよ~弘海さん」


「おう、任せろ~」

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