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「俺の……?」
その問いにゆっくりと頷く。もはや自分を偽ってあの口調、態度をしていた者とは別人である。――実際はこちらが素なんだろうけど。
「私は……過去をずっと、ずぅーっと見てきた。そこで様々な不幸で徐々に歪んでゆく兄さんを、幸せにしたいって、思ったの。……だから私はここで兄さんと会った時、自分を偽った。まあ今となっては全くの無意味なんだけど。だから、きっと……」
「……それと、自らの消滅」
「そう。私はすでにこの世に存在していない。誰かの意思でこうして狭間に留まっているだけ。私は、それが苦痛だった。そして、
「……」
あの声……海歌がまるで別人のようになった時のあれ、か……この運命は誰のものなのか。
「俺は『お前』に救われたんだッ!そんな……俺だけ幸せに向かって、お前はここから消える、なんて……」
「……」
「俺は許さないッ!運命が何だってんだ……これまでだって、変えてきたじゃないか!?そうだ、過去改変をすれば、きっと――」
「違うのっ!!」
海歌が怒鳴る。言葉を遮られ、改めて海歌を見れば――今までの、天真爛漫を装っていた時とも。空間を彷徨い続けた果ての素の時とも違う……俺が当時見ていた、小さいちいさい妹の、身体を震わせ行き場のない激情を必死に押さえ込むような、まるで子供のような様相で、こちらを睨み、やがて視線を下げて、震える声で言った。
「この力は借り物……きっと、次の過去改変は私たちの意思とは関係なく行われる。兄さんが次にここに来た時……そこで在りし日の私を助けようが助けまいが……私は消えるの!それが、私とあの声の主との運命の決定……だからっ……分かってよっ、兄ちゃん……」
「……!海歌ッ!――!!」
次の瞬間、目の前にいた海歌が消え、伸ばした右手は暖色の光を掴むだけであった。
「――ッ!!!」
伸ばした右手を、湯船に打ちつける。無常に響く水の音。しかし、波打った湯船は、次第に収まっていき、水平となった。
「……おれ、は」
俺は、どうすれば、良いんだ……教えてくれ、海歌……。
***
五月、七日。
起きた時、目覚まし時計のアラームは止まっていた。スイッチをゆっくりとオフにする。……既に十時過ぎ。ゴールデンウィークが明け、今日から講義があるのだが、一限はもう遅刻確定。このまま休んでしまおう。二限も……ダメだ、起き上がれる気がしない。
昨日の夜、『深層心理の――……いや、
あれから海歌をどうにか残すために策を弄したが、そもそも、この運命を創り出した者が分からないため、どうしようもなかった。
あのまま、運命を受け入れるだけなのか――
海歌が望んでも、俺は――
……ベットで講義を休んだ罪悪感と海歌へ希う想いから、現実を見ぬよう布団を被って、外界から何人も受けぬように、眠りに就いた……。
…………
………
……
…
……机の上にあるスマホから、リズミカルな着信音が鳴る。無視を決め込むつもりだったが、何コール待っても、音は鳴り止まない。
次第にイライラしてきたので、布団から身を乗り出し、立て膝で机の上にあるスマホを手に取り、画面をスライドし、耳に当てる。
『おーい、なんで今日講義来なかったんだよ?』
「いや、なんかだるくてな……」
『ハァ~……なんかあったか?絵でも描けなくなったとか?』
「うるせ。……お前には、関係のないことだ」
虹輝である。虹輝は俺の言葉を聞くと、電話口でわざとらしく大きなため息を吐き――
『仕方ねぇ……俺が、わざわざお前の家に行って、聞いてやるよ』
「バッ……!だから違うっつーの!」
『んじゃ、後でなぁ~』
「だから――」
ブツ。
乱暴に切られたからか、耳元で不愉快な音が鳴る。ため息を吐き、遮光カーテンを開けて光を入れる。外は昨日の朝より一層激しい豪雨である。……どうしてこんな日に来るんだよ……。
「うひゃ~外スゲェ雨だぜ!俺も講義休むんだったなぁ」
「まったく……なんで来たんだよ、お前」
無数の水滴がついた傘をバサバサとし、外に付いている給湯器の出っ張りに引っ掛ける。ダボっとしたズボンは裾が変色し、明らかに濡れている。肩も端々が濡れており、今から自宅に上げるやつがこの濡れようと考えると、気が滅入るのだった……。
とりあえず手頃なタオルを投げつけ、玄関で諸々拭いてから上がるように言い聞かせた。それをやけに上機嫌に聞き流す虹輝。……なんか、コイツ今日上機嫌だな。なんかムカつく。
かくして、虹輝は我が家、絵馬家へと初上陸した。上がるや否やお構いなしにノートパソコンを開き、一言も話すことなくペンタブを握り、絵を描き始めた。……なんだ、コイツ?
「おい、絵描きに来たんなら帰れよ。邪魔だ」
「おうおう、そんなこと言うなって。ほら、とりあえず描こうぜ」
机とは別の折りたたみ式テーブルを勝手に取り出し、テーブルをバンバンして、主張する。ここに座って描け、と。
……上等じゃねぇか。書いてやらァァ!!
それから何時間経っただろうか?お互い仰向けになって大学生二人が床の上でくたばっているではないか。全く、醜いものである。遮光カーテンの先には既に黒々とした空が広がっており、時計を見れば既に二十一時を過ぎていた。
虹輝はむくりと起き上がり、タブレットを見せてきた。……最初に出したパソコンはなんだったんだ、コイツ?
タブレットの画面にはいつも通り、『世間のオタクが好きそうなロリ巨乳JKが溢れんばかりの笑顔で画面に映ってる』……いや、『コイツなりのある種の祈りが込められたもの』が描かれていた。描かれているもの、人こそ大きく変わってはいないが、明らかに違う……というか、これは――
「俺の絵柄に似てる……?」
「お、流石だな。そう、今回は――というか。今後、俺の方針は、『生きた幻想』ならぬ……『生ける幻想』だッ!!」
「……は?」
――本当に、何を言ってやがるんだ、コイツは。
「おま……上げてた絵はどうすんだよ!?絵柄が変わるなんて……そうそう許されることじゃねぇぞ!!そうだよ、可愛いJKの絵の依頼だって――あ……」
――やべ、咄嗟に捲し立てたせいか、これじゃいつもコイツの絵見てるのがバレ――
「いや、あれは丁重に断った。本当に申し訳ないことをしたよ……ははっ」
「そ、そうか……」
……ふぅ、なんとかバレてないようで、よかっ――
「あ、お前が毎回毎回興味ないって言いながら俺のSNSアカウント毎回一番乗りで見てるの、知ってるから安心しな」
「そ、そうか……よかっ――はあッ!?いや、み、見てねぇから……」
「まあまあそう恥ずかしがんなよ。……むしろ、俺の方が今日は恥ずかしいんだからな」
……?どういうことだ?
虹輝の言葉の意味がわからず困惑し、あたふたしていると、虹輝が何故か肩を組んできた。……ホントに今日、コイツ大丈夫か?
「今日は本来、講義を休んだお前の相談に乗るとこなんだが……俺の話を聞いてくれよ」
「……なんだよ」
「……実はな、お前が確か……そう、描いてた絵だ。アレについて俺は、『気持ち悪い』って言ったよな?」
「……確かあったな」
一度目の改変の話だ。今はもう、海歌を描いていたということだけ知っていて、どんな絵だったのか忘れてしまったが。
虹輝は続ける。
「あれ、な……正直、羨ましかったんだ。ああいう存在が、お前の中には居るんだってことが。残念ながら、俺にはなかったんでね」
「……」
「まあ……何が言いたいかってことなんだけど……」
頭を掻き、少し恥ずかしそうに口元をゴニョゴニョした後、ハッキリと言った。
「ああいう存在の意思、というか……持ってるものを尊重してやれよー。……でもあん時見たやつはお前の捻くれゴミクズ思想が入っててキモかったからな!……ええと、アレ?なんの絵だったっけ?」
「……ああ」
思い出せるはずもない。俺ですら思い出せないのだから。だけど――
「……お前、たまに良いこと言うな」
「たまにってなんだよおい!いつもだろうが!」
「んな訳ねぇだろ。てかなんだ!捻くれゴミクズ思想ってッ!!」
「だ・か・ら――」
あの
星が瞬き、分厚い闇が帳となって夜を覆う。……今日は確か、新月だったな。
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