第6話

 月光を目で追いかけていると、人工的な光が僕の目に飛び込んできた。その光は、凄まじいスピードで近づいて来て、ガタンゴトンと、激しい音を鳴らした。


 僕は、侵入を防ぐためのバーが降りた遮断機の前で、立ち尽くしていた。目の前を電車が通って行って、強い風圧が髪をなびかせる。電車が完全に通り過ぎると、遮断機はゆっくりとバーを持ち上げて僕に道を開けてくれた。


 けれど、どうにも僕の足は動かなかった。


 踏切を越えて向こう側に渡るという行為が、これまでの人生の何よりも難しいような気がして、どんどん目に見えない重りが僕の背中に乗り始める。振り払っても振り払っても、重りは際限なく現れて、僕を押し潰そうとしていった。


 一歩。一歩だけでも。


 いや、そうじゃない。だけでも、じゃなかった。僕は、一歩、歩を進めたかったんだ。


 やがて、カンカンとなる甲高い音に誘われる様に、遮断機のバーが再び降り始めた。脳内に響く誘いの音、そして、闇の中に現れた二つの光。


 僕は、光に縋ろうとして、足を一歩踏み出そうとした。あの光の先に、僕の帰る場所がある。


 そんな気がしたけれど、そんな気がしただけだった。


 あと少しで光に触れられると思った矢先、甲高い音ではなく、脳を揺らすような振動の激しい音が僕に届いた。


 電車の警笛だ。


 僕が音の方へ視線を向ける間もなく電車は容赦なく進んで行って、僕の眼前を塞いだ。前髪の先がはじけ飛び、突如訪れた脅威に僕の身体は強張り、その場で直立不動して電車が通り過ぎるのを待った。


 電車が通り過ぎると力が抜けて、思わずその場に腰を下ろした。足ががくがくと震えて、上手く立ち上がれそうにない。


 あと数センチ前に出ていたら、確実に轢かれていた。


 歩道の隅で座り込みながら、我に返った僕は空を見上げる。僕はどうやら、無意識下で死のうとしていたようだ。


「あは、あはは」


 意思に反して、笑い声が漏れた。そして、瞳から雫が流れ出す。自分で自分のことが、分からなくなった。

 死んだ方がいい人間だ、なんてことは思うけれど、自殺願望があるわけではなかった。電車に轢かれたい、と思って、こんな家の方角から少し離れた場所に来たわけでもない。足の赴くままに、訪れただけなのだ。


 深層心理。根っこの部分で、僕は死ぬことを望んでいたのだろうか。死ぬことで楽になれる、と本気でそう思っていたのだろうか。


 ますます笑いが込み上げてくる。


 自分のことすらも理解出来ない人間が、不特定多数の人間の前に立ち教鞭をとる立場にあるなんて。僕が生徒なら、気付けば死のうとしてしました、なんていう精神的に不安定な教師に教わりたくなどない。突発的に何かされたら、恐ろしてくたまらない。


 笑い声がおさまると、今度は滝のように涙が溢れ出した。こんなにも泣いたのは、小さい頃、僕はいじめを受けているんだ、と初めて認識した時以来だ。


 僕は、社会にいじめられている。こうやって、何かのせいにしないと、自我を保っていられそうにない。

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