第8話

 母の死に関して父から何か声をかけられることはなく、日々は何も変わりなくただ過ぎていくかのように思われた。外出する気にもなれず、同席を求められる食事時以外の時間をディアナは部屋に引きこもって過ごした。

 気の重い食事の席に変化があったのは、葬儀からわずか六日後のことだ。

 直系の人間だけ、つまりユレンベック伯オーリーとディアナだけが座す食事の席において、ディアナは唐突に遠戚との縁談を命じられた。王都を挟んで反対側の東北、三代前に伯爵家から嫁いだ者がある辺境領家の三男が相手だった。

 この血筋に生まれ、寄宿学校を卒業した以上、いつかは告げられると分かっていたことだ。この国では騎士団か王都魔防隊への所属を命じられない限り、同期生の多くも一、二年のうちには婚姻を結ぶ。

 夫人も同じようにして嫁いだはずだ。母の場合は貴族に連なると言っても外戚にあたるので早々に縁談を組まれることもなく、そのうちに伯爵家から白羽の矢が立ったのだと聞いている。

「……はい」

 食事の手を止めたディアナが従順にうなずくと、父と家令は小声で一言二言を交わし、次にディアナを向いた。

「喪明けを待つ必要などないので、半月のうちには発つように。持参品はこちらで見繕う」

「えっ」

 ディアナは思わず声を上げた。

 身分はなくとも実母の死となれば、長ければ一年にわたって喪に服すことがあるほどだ。早々に縁談を告げられることは分かっていたが、わずか半月で発つように言われるなどとは思っていなかった。

「で──でも。せめて二月後には弟たちが寄宿舎から戻ります。あの子たちへの挨拶くらいは……」

「挨拶?」

 鼻で笑い飛ばされ、ディアナは押し黙った。

 命じられた行く先は名こそ聞いたことはあるが、辺境の小さな一家だ。ディアナ自身は称号に価値など感じてはいないが、そうではないはずの父が平然とこの話を受け入れたことも意外だった。直接に血を継いだところで能力がない自分には、その程度の価値しかないということなのだろう。

「どうせたいした話でもないが、貴様程度には似合いであろうから受けただけのこと。万が一にも才ある子を産めたなら養子として引き取ってやらんでもない」

 いつになく口数の多い父は、そこまで言って不意に口を閉ざし、そしてディアナを見据えて、ひどく下品な笑みを浮かべた。

 ぞっ、と背筋を走り抜けた感触にディアナは思わず身をすくめる。

「ああ……あぁ、なるほど。あれへの挨拶くらいならば好きにすませればよい。ずいぶんと仲良くしていたようだから」

 それは喜怒哀楽でさえほとんど表に出したことのない男の、初めて見る表情だった。あまりの衝撃に声さえ失った娘を置いて当主は席を立つ。

 実の娘であろうともディアナはあの男にとっての一人の女だったのだと理解する頃には、手にしていたフォークは床に転がり落ちていた。


 戸惑う女中を押し切って訪ねた先で、夫人は意外にも落ち着き払ってディアナを迎え入れた。首もとまで詰まった漆黒のドレスを身にまとった夫人の表情はこの日も冷たかった。

 母の埋葬を取り仕切ってくれたことに礼のひとつも言いたかったが、冷たい表情にディアナは臆する。

「──用件は」

 必要外のことはすべて拒む声の硬さに、ディアナは嘆息も吞み込んで父からの命を伝えた。見る間に夫人の表情は変わり、大きく見開いた目の中の瞳孔が揺れる。次いで浮かべた明らかな憤怒にディアナは思わず身構えたが、周囲に風刃が吹き荒れるようなことはなかった。

 夫人はいつになくカツカツと踵の音を立てて歩き出し、通りすがりにディアナの腕をつかんで引っ張る。そうして強引に本宅まで連れて行かれた道すがら、夫人は夫に対する数々の呪詛を口汚く吐き捨てた。よりよい血族だけを残すための、不要物は軽々に外部へと追いやる数々の言動。血族に与えられた役割であろうと、十分な期間さえも与えられず振り回されることへの怒り、そして人を人とも思わぬ非道な扱い──。

 中でも夫人らの身体にまで正体の知れぬものを憑りつかせた狂気は、遠く離れた王都でさえ白眼視されていた。そのことをディアナは口にこそしなかったが、夫人たちがなんとも思っていなかったはずもない。

 ましてこの怒りの契機がディアナのためのものならば、これからの計画を思って胸が痛んだ。

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